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努力で過去を正解にする |カツセマサヒコ
Twitterフォロワー数14万超。
初めて書いた小説は即重版。
発売して1年経たずして映画化の発表──。
『明け方の若者たち』映画化が決定しました! 主演は北村匠海さん、監督は松本花奈さんです! 2022年全国ロードショー 皆さまよろしくお願いします!!!!! https://t.co/ln7KfTbI5D
— カツセマサヒコ (@katsuse_m) February 21, 2021
印刷会社の総務部からスタートしたとは思えないような、クリエイターとしての大成功。一見とても華やかに見えるけれど、その裏には圧倒的な努力と、人との縁を大切に紡いできた歴史がある。
何者でもなかった若者は、そうして『カツセマサヒコ』になった。
それでも、彼はファイティングポーズをやめないのだという。
まだ落ち着けない。クリエイティブに、終わりはない。一線を走り続けるための、緊張感のようなもの。35歳に差し掛かり、見えてきた下り坂。
だけど、くすぶっていたあの頃に比べたら、全然マシ。
そして、くすぶっていたあの頃があるから、今がある。
もどかしかった、あの頃。
自分の人生をこんな風に受け取れるなんて、思ってもみなかった。
この日、『Flat Share Magazine』では、そんなことが語られていた。
カツセマサヒコ 小説家 / ライター
1986年、東京都生まれ。大学を卒業後、一般企業勤務を経て、2014年よりWebライターとして活動を開始。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)がベストセラーとなり、北村匠海主演で映画化を控えている。他の仕事に東京FM『NIGHT DIVER』パーソナリティや女性誌でのエッセイ連載など。今夏、ロックバンドindigo la Endとのコラボレーション作品となる自身二作目の小説『夜行秘密』を双葉社から刊行予定。
聞き手:キルタ(Flat Share Magazine)
書き手:はし かよこ
カツセマサヒコさん、ようこそ。
──今日は、僕のバスケ仲間でもあるカツセマサヒコさんにお越しいただきました!
カツセマサヒコ(以下カツセ):いや〜、きましたね!
──今って、ご自身を説明するときは、肩書きはどういう風に説明するんですか?
カツセ:以前は「ライター/編集者」と言うことが多くて、今は一応「ライター/小説家」かな?去年の6月に『明け方の若者たち』という小説を出して。
──そうですよね、もう“先生”ですもんね!
カツセ:あのね、先生って呼ばれるのは本当に照れ臭くて...。本当に僕のことを知らない方と会う時は「カツセ先生」って呼ばれるんですけど、その度に隣にいる担当編集がクスって笑うんですよね!「お前失礼だろ!」って言ってるんだけど(笑)
──というわけで今や“先生”のカツセさんですが(笑)、もともとは普通に新卒で就職して、キャリアのスタートはライターではないんですよね。
カツセ:そうです。
──学生時代から、そもそもライターになろうと思ったきっかけや、小説家を目指すまでの経緯とか、これまでの話をお聞きできたらと思うんですけども。
トントン拍子の健全な人生、だった
カツセ:生まれが東京で、普通に両親も元気で、大学を出て、最初は大手の印刷会社に入って...。
──じゃあ、大学卒業まではトントン拍子で来てるんですか?
カツセ:全部ストレートで来てるし、一応有名と言われる四大を出てるし、親も「いや、1社目は絶対大手じゃないとダメよ!」みたいな堅い感じで。それで言われた通り大手に行くことになるんですけど、一応その時点で企画をやりたいっていうのは思っていて。
──企画とか、広告とか?
カツセ:そう、単純に派手でかっこ良さそうっていうのもあるし、あと、僕はすごく飽きっぽいのもあって。自己分析しているうちに分かったんですけど、本当に続いたものがない。
印刷会社だったら受注産業だから色んな仕事が来るじゃないですか?
僕の想いとか願いよりは、誰かが考えてる何かを形にする仕事だから、そっちの方が全然おもしろそう!って思って。
──自分から生み出すというより、ある意味代理店業というか。飽きないですよね。
カツセ:そう!最初のタネはクライアントが持ってきてくれるから、それを彩る方がおもしろいなっていうのが感覚的にあって。そういう軸で就活してたんですよね。広告、人材、出版、分かりやすく「マスコミ関係大好き!」みたいな感じだったんですけど、それで一応大手に受かって、そのまま入社するっていうスタートでした。
「君、総務部になったわ」
──そこからですよね!
カツセ:そこから...学生の方がいたら、何度も強く言うんですけど、「やりたいことがある人は大手に行っちゃいけない!」って(笑)
なぜなら、採用や異動の確率を考えると、やりたい職種に就くのに何年かかるか分かんない。僕がまさにそのタイプで、「企画やりたいです!」ってずっと言い続けて最終選考まで受かったのに、「君、総務部になったわ」って言われて。
──総務って、すごいですよね。新卒で入る枠があるのか...!みたいな。もうバグですよね。
カツセ:本当にバグだよね!もうどんだけ運悪いんだろうって...。「君には適正あるから」とかなだめられて。ずっとそこから抗っちゃってましたね。「こんなはずじゃない」「なんで俺は企画や営業やらずに、おっさんの作業着の発注するんだろう...」って。
──何年くらいやられたんですか?
カツセ:5年?
その間は、大変でしたね。
──何が自分を引き止めてたんですか?
カツセ:ひとつは「3年くらいやってみ!」っていう親の言葉が呪いのようについてたから。血反吐はいても3年はやらなきゃと思ってて。
それだけやると苦しいところも慣れてっちゃうんですよね。心が死んで、無にして働けるようになっちゃって。あとは大手企業って本当にすごくて、やろうと思えば1日何もしなくてもちゃんとお金が入るんですよ!
──(笑)
カツセ:怒られるし、たくさん失敗もするんだけど、すぐクビにはならないし、会社の看板の大きさっていうんですかね...?何をするにも名刺1枚で信用が得られちゃう部分も強いなと思ってて。あとは、社内の人間関係だけは割と良かったんです。もし、パワハラとかあったらすぐ辞めてたと思うんだけど、それはなかったから、なんとか。
──給料もすごい低いわけじゃないし。
カツセ:そうそう、だから業務内容だけを我慢すればなんとかなるっていう感じで。
新婚で、脱出ゲームの司会者に!?
──仕事以外の時間って何してたんですか?
カツセ:内定者時代に仲良くなった仲間が当時10人くらいいて。うちらでなんかおもしろいことやろうよっていう感じで、週末にイベント企画してみたり。それが心の支えでしたね。
──へー!
カツセ:「月〜金は死んでるけど、土日の俺はあんなに輝いてるんだぞ!」っていう。スーパーマンみたいな感じですよね。「サラリーマンやってるけど、俺の本当の姿はこっちなんだ!」って、騙すことでなんとかやってこれて。
そんなある日、Twitterを見てたら『リアル脱出ゲームの司会者』の求人を見かけたんですよ。ダメ元で応募したら、20人くらいのオーディションで受かってしまって。
──リアル脱出ゲームの支配人みたいなやつですか?
カツセ:そうです、最初のオープニングの15分喋るようなやつ!
──「皆さん脱出してください!」みたいな?
カツセ:そうそう、それを2ヶ月間、会社に黙ってやってみたんです。そのときの熱狂が自分の中で完全にクセになってて。
「こんなにエンターテイメントってすごいの!いつか絶対そっちの方にいきたい!」って。当時、会社員と司会者の2枚の名刺を持ってたんですけど、エンターテイメントの方の名刺1枚でやっていきたいっていう気持ちが強くなっていったのがその頃ですね。
──それが何年目ですか?
カツセ:3年目、25歳。
僕、25歳がすごいターニングポイントで。結婚したのも25歳なんですよ。新婚で急に司会者始めたから、もう妻はポカーンですよ。「この人、私のこと放っといて何をやってんだ!?」みたいな感じになり、結婚してすぐの頃が一番家庭のバランスを崩してましたね。
──お相手的には、夫は大手の会社員で、ある意味安定コースで、脱出ゲームの司会者をやるとは思ってないですもんね。
カツセ:思ってないですね!堅実な印刷会社のサラリーマンを選んだつもりが、急に夫がマイクを握り出して...って、俺でも不安だわ!
──でも、会社を辞めるっていうわけではなく。
カツセ:辞めるのはさすがにな...っていうのはあって。稼げないのもよく分かった。さすがにこれで職種乗り換えるのは無理だなって思って。
──まだ辞めるまでに2年くらいあるわけですもんね。
サラリーマンって、なんなんだろう
カツセ:そうそう、でも、その2ヶ月が終わってからブログを始めたんですよ。SNSで「バズる」って言葉が出始めた頃で。おもしろい記事を書くと、みんながシェアしてくれるんだなって。とにかく書いてバズれば良いんだ!みたいな。
──学生の頃から書き物をしてたわけでもなく、ですよね?
カツセ:『ミクシィ』に日記書いてただけ...
でも、その頃から、『ROCKIN'ON JAPAN』が大好きだったし、雑誌も好きだったから、それに似た書き方をするとか、友人のライブを全部書き起こすとか、やってましたね。そこに「カツセの文章おもしろいよね!」ってコメントがつくだけで満たされてた時期もあって。まぁそんな原体験もあってブログやろうかなって。
──そこが原体験だったんですね。
カツセ:そう、ブログなら1人でできるし、時間もそんなかからないし。ライターという存在も知ってたし、なんかフリーランスで働くのがかっこいいみたいな時期でもあったんですよね。個人の働き方の文脈でイケダハヤトさんが大ブームみたいな。
それで、「サラリーマンって、なんなんだろうな」って思って。総務って、特に売上を立てる部署でもないから、「俺の給料25万円は、一体誰からもらってんだろう?」って感じで。
頑張って働いてる人に向かって「お前、労働時間超過してるから帰れ!」って言うような役回りで...。これ、辞めたいなぁっていう気持ちがどんどん強くなっていって。それでブログを始めて。
──それは、ライターになろうとか、当てようとか思ってたわけではなく?
カツセ:ライターという職業になるかどうかは分からないが、なにかコンテンツとして俺を買ってくれ!っていう感じで。当時のTwitterのプロフィール、スラッシュで区切ってもういろんなの書いてましたからね(笑)このうちのどれか入れ!って思ってやってたから。
本当に何者でもなかったし、早くひとつの肩書きになりたいって思ってた時期でした。
最初は大手企業の名刺を持つことで満たされていた。けど、それは違うと思って2枚の名刺を持つようになった。そしたら、それがすごいハンパでダサいことなんじゃないかって思ってしまって。転職して、1枚の名刺に戻りたい、と。
3度目の正直で掴んだクリエイターへの道
──そもそもブログを始めた時は、何を書こうとして始めたんですか?
カツセ:えっとね...まるで初めてかのように言ってるけど、ブログはそれまでに2回挫折してて、3度目度の正直もあって、まず一個決めたのは「不定期更新」!絶対に無理しない!そうやってハードルを下げることから始めて。
あとは、自分が書きたいことじゃなくて、誰かが読みたいものを絶対書くって決めたんですよ。読者を、ターゲットを決めて書くっていうのを初めてやったんです。これがライターとしての原体験。
──その時は、誰に向けて何を書こうとしてたんですか?
カツセ:当時のフォロワーの1人が呟いている悩みとか愚痴に対するアンサー的なものがあったら良いんだろうなって。だからペルソナが実在してる人物で。何人かはこういう人いるだろう、みたいな感じで予想して投稿するっていう。
──意外と戦略的にやってますね。
カツセ:そこから急に、地道なことをやり始めて、手を変え品を変えながら...。
──挫折しなかったんですか?
カツセ:しなかった!脱出ゲームをやったあと、自分が企画してた週末のイベントがショボすぎて全部やめたんですよ。それは、プロのエンタメを見ちゃったから。
でも、何かやらないと僕には魔の月〜金があるから...もう土日を楽しくするしかなくて。それでブログ書くかってなってたので。記事が当たるまでやる!っていう楽しさがけっこうあって。
月に2本くらいしか更新しないんですけど、前回政治の話をしてた人が、次の回で『笑って、いいとも!』の速報とかやってるんですよ(笑)。
いろんな記事を書き続けていくなかで、奇しくも働き方のテーマで「フリーランスとサラリーマンの二項対立」について短い文章を書いたら、それがめっちゃバズって。
それがきっかで編集プロダクションの社長が声かけてくれて。「選考やってるから受けなよ。」って。
「もしも収入が戻らなかったら、また転職してください」
カツセ:ライターの選考は80人くらい応募がきたって言ってたから、絶対受からんわって思ってたけど受かっちゃって。受かってから妻に「ちょっと、話があるんだけど」って。
──すごい!
カツセ:「ライターになりそうなんだけど、転職して良いですか?」って言ったら、「え、ダメだけど聞かせて?」って。「まだできて6年の会社で、社員が5名しかいない、社長が36歳、下北沢の雑居ビルに入ってる会社です」って説明したら...「ダメかな」って(笑)
──それだけでいうとダメですよね(笑)
カツセ:キツいよねぇ(笑)
面接でも、「妻がいるんで稼げないと心配です...」って言ったら、「うち、基本給低いけど、頑張れば上がるから!」って言われて。怪しいじゃん!怪しさしかないじゃん!ダメなやつじゃんむしろ(笑)
...でも、なんかいけると思ったんだよね。頑張ればいけるんだって思って。
──奥さんに話した時点では、もう受かってたってことですよね?
カツセ:そう。だから「あとはカツセが奥さんをちゃんと説得しておいで」って言われて「分かりました、頑張ります!」って言って。初めて離婚の言葉が出たよね。
──マジですか!じゃあけっこう重い会議をしたわけですね。
カツセ:すごい重い会議をして。当時いろんな人いたけど全員に反対されたんですよ。お前もっと良い所行けるだろって。でも、転職サイトを開いても、自分は総務部しか斡旋されないし。
──前職のキャリアは引っ張られますもんね。
カツセ:ある意味、蜘蛛の糸が降りてくるのを待ってたんですよね。その一本を逃しちゃったら次に降りてくることはないんじゃないかって思ったら...。65歳のじいさんになって役員とかになるのも(僕としては)全然楽しくないな...って思って。無理です、って。
──そういう部分も含めて、奥さんを説得できたっていうことですよね。
カツセ:半分かな。半分無理やりで。最終的には「もしも1年やって収入が戻らなかったら、また転職してください」って言われて。
── それを条件に。
カツセ:親にもそれを伝えて、1年間ライターをやるって決まったから、もう背水の陣ですよね。
──27歳ですか。そろそろ家族設計的に子供も...みたいなタイミングですよね。すごい決断。
カツセ:あれは本当に人生で唯一、飛び込んだっていう感じですね。なんだかんだ軸足はちゃんと収入を得られる方に置いて、もう片方で遊ぶっていう生き方をずっとしてきて、それが正解だと思って生きてきたんですよ。けど、そのライターへのジャンプだけは両足で思い切り飛んだから、ものすごい覚悟が自分の中になきゃダメで。
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