坂上秋生「type-moonの軌跡」

 注:TYPE-MOONがお好きな方は以下をご覧にならないでください
















 宗教かな?
 読了した感想と、読んでる最中の感想は「気持ち悪い」だった。著者のTYPE-MOON賛美が激しすぎて共感や理解よりも反発拒絶が先に来る。俺はこれまでほとんど型月(タイプめんどいので以下これで)作品にほとんど触れてこなかった。格ゲーとしてゲーセンでメルブラとFateをやっていただけだ。ストーリーはほとんど知らない。
 事実(あるいは歴史)が書かれている部分に関しては面白く読めた。知識としての型月の軌跡はなるほどと了解出来、実のあるものだったと思う。が、そこにいちいち賛美の言葉が付随するのが盲信じみている。著者の言の通りなら、そもそもの型月が奈須きのこを教主と祀る集団なのだから、自然信徒の発言もそれを崇めるものにもなろう。
 さすがにそれは意地の悪い見方ではあるが、型月信者というものがネットで幅を利かせていた(あるいは暴れていた)事も知っていればそう感じ取るのも仕方のない事だと言い訳はしておく。

 とはいえ。とはいえ、だ。
 元来それは対岸の火事ではある。火に飛び込む虫のように、ふらふらと型月という篝火に飛び込まなければ害はない。今回この本を手に取り、あまつさえレジへと持って行って通貨と引き換え(¥110なり)に入手し、ある程度の時間を消費して読んだのは俺であり、その責任は他には及ばない。それによって不快な思いをしようが嫌悪を抱こうが自業自得、そんなことはわかっている。
 さらに言えば著者や奈須きのこの周辺の人々、型月を好きな方々が型月を、奈須きのこをどれだけ敬おうが崇め奉ろうがそれは自由だ、信教の自由だ。彼らを見て狂信者と思うなら近づかなければいい。一生懸命好きになれるものがあるのは素敵だなと思うなら眺めていてもいい。正直なところ、俺自身としては後者ーー興味深く眺めていたくもある。実際型月がサブカル界隈に与えた影響の大きさは、同じ時代をそれなりのオタとして過ごしてきた身としては多少なりと肌実感として知っている。

 そういえば話は逸れるが、20代前半の頃とある書店でバイトしていた。そこで同じ年代のA君がいて、彼に同人ゲーを作らないかと誘われたことがある。当時は面白いことを言い出すやつだなーと思ったものだが、後年思い返して、彼はきっと月姫をプレイしたか知ったかして、自分も同じようなことがしたいと思ったのだろう。彼が出してきたプロットは伝奇色が強かったと記憶している。結局碌な打ち合わせをすることもなく自然消滅したのだが。

 閑話休題
 まぁそのように当時、そして現在なお型月は大きな存在であるのは間違いない。型月(というかFGO)き関わるコンテンツはあちこちに溢れ、サブカル界隈の一大勢力になっている。だからそういう存在を知ろうと思い、この本を取ったというところがある。好奇心というものだってある。
 そして冒頭の感想を抱き、そして一節を目にして俺が型月を好きにならない理由が察せられた。今電車内のため手元に本がないので引用できないが、Fate/Zeroについて触れている部分があった。そして、その本を虚淵玄に任せるに至る理由も。確か虚淵玄を信頼しているとか作風が気に入ったとか、そんなことが書いてあったと思う……
 そりゃそういうシンパシーを感じるなら俺には合わないわ。
 ずいぶん長くなっている上にさらにだらだら書き連ねたくはないので出来るだけさっぱり書きたいが、虚淵玄は数年前仮面ライダーの脚本を担当した。鎧武だ。まぁひどい内容だった。これに関していずれ気が向いたら個別記事でも作るかもしれない。人の好みはあろう、好きだという人を否定しない。ただ、当時のニチアサを評して「ニチアサに神はいらない」と言われていたことは正に我が意を得た言葉だったと思う。あの頃はトッキュウジャーだけが楽しみだった……

 そんな虚淵玄を高く評価している方々の作品をそりゃ面白いと思うわけがない。根本の嗜好が合っていないことは明白だ。そういえば型月は格ゲーくらいしかやったことないと書いたが、講談社BOXから刊行されていた「DDD」の一巻は読んだことを思い出した。だいぶ苦心しながら読んだことは覚えているが、内容はまったく記憶に残っていない。しかし今タイトルを確認しようと見たAmazonのレビューは星4.6
 つまりはそういう事なのだろう。俺にはまったく合わない。その事が確認されただけでもこの本を読んだ価値はあった。

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