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「子どもは大人の父」の深い意味

昨日の記事で、キーツのことを書きましたが、その10年ほど前に書かれたウィリアム・ワーズワースの「虹を見る」。

昔読んだ時には気づかなかったもっと深いものがあるなと思ったので、書かせてください。

この詩の中でワーズワースは、幼い頃見た虹の感動を失うくらいなら「死を」とまで言っています。
そのくらい「子どもの心」に重きを置いています。

「子供は 大人の父である」という文もありますが、
これも、ただ純粋な心というような単純なものではなく、「ロマン的なアイロニー以上の意味を含んでいる」と翻訳の出口保夫さんも書かれています。

つまり、私たちは、育っていく間に、親や教師の価値観、世間の常識、習俗というものが心の中にどうしても入っていきますよね。
この「多数派の価値観」というものは、なかなかの曲者で、それがあることで、
人との比較が生まれ、
優越感が生まれ、
劣等感が生まれ
嫉妬が生まれ
罪悪感が生まれ
そして「苦」が生まれます。

そしてそれが他者を苦しめ、「自分」を苦しめます。

「経験によってゆがみ、けがされた大人」になっていく。

ワーズワースは、そういう大人の心ではなく、
けがされる前の、子どもの心で「自然への愛」を持ちたいと言っています。

「主客転倒」という詩の中でも、
「われわれの小賢しい知性は 
事物の美しい姿をゆがめる」
「自然をあなたの師となさい」と歌っています。

「冬の木々は美しい」の記事でも書いた「妹に」では、「書物を置いて」自然の中へ出かけようと、

そして、ゆっくりと怠惰な時間こそが必要で、それによって、「事物の光」にふれる特権があたえられると。
私は、事物の光とは、とてつもなく大きな宇宙のエネルギー、私たちの生命を支える偉大な力であると思います。
つまり「気」ですね。

治療中、東洋医学のお医者様が、「童心にかえる時間」の大切さを教えてくださいましたが、そのこととワーズワースが、全く同じことを言っていることに気付きました。ああ、病に感謝です。

洋の東西を問わず、この世の真理はひとつ。
ワーズワースと東洋医学もつながっていると思います。
そして、キーツと同じようにワーズワースも本質がわかっていた!

最後に、
「大人になってからのあなたを支えるのは、子ども時代のあなたです」と言った石井桃子の名訳。
「クマのプーさん」とコブタの会話をあなたに。

「プー、きみ、朝おきたときね、まず第一に、どんなこと、かんがえる?」
「けさのごはんは、なににしよう?ってことだな」とプーがいいました。
「コブタ、きみは、どんなこと?」
「ぼくはね、きょうは、どんなにすばらしいことがあるかな、ってことだよ。」
プーはかんがえぶかげにうなずきました。
「つまり、おんなじことだね。」

読んでくださってありがとうございます。

きょう、あなたにすばらしいことがありますように♡









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