1パーセントでも信じる
「学ぶことは喜び」の記事を書いた時に、
サッカーの三浦知良選手のことを少し調べました。
その時、私が感動した言葉を書きます。
サッカーファンにとっては、もしかして有名な
ことなのかもしれませんが、
私にとっては新鮮な驚きでしたので。
三浦選手は高校生の時、ブラジルへのサッカー留学を
希望した時、監督からこう言われたそうです。
「人間100パーセントはないが、
お前は99パーセント無理だ」
その返答として、三浦選手はなんと
「可能性は1パーセントあるんですね、
じゃあ僕はその1パーセントを信じます!」
と答えたそうです。
99パーセント無理だと言われながら、
彼が見ていたのは、残りの1パーセント!
驚きです。常識的ではありません。
今既に有名な人の話を聞くと、
「ああ、あの人だから」とその人を自分とは別のものとして、
神格化してしまいがちですよね。
けれど、私は逆だと思います。
三浦選手だから「信じた」のではなくて、
1パーセントを本気で「信じた」からこそ、
三浦選手になったのだと思います。
たとえ、どんなに権威ある人、監督や医者や・・・から
言われた言葉であっても、自分の人生にとっての「真実」では
ないということはよくあります。
どっちを信じるかで先が決まるように思います。
特に、常識、当り前、当然、普通はこう・・・の前で
私たちは思考停止になりがちです。
そして「希望」を奪うことも多くあります。
自分の希望も奪い、人の希望も奪います。
常識を疑う目を持つこと、
自分の可能性を信じることは、
何より重要なことだと私は思います。
ドイツ強制収容所の体験記録「夜と霧」を書いた
フランクル博士が、
その想像を絶する状況の中で、
死ととなりあわせの中で、なぜ生き残ったのか?
それは偶然ではなく、
彼が、自らの体験を、
極限状態の人間の心を、後生に伝える「意志」を
持っていたからだと以前何かで読みました。
(ごめんなさい。本を探したけど、
みつかりませんでした)
そのつもりで、生き抜いて学生たちに講演する姿を
想像して、手記をとっていたのです。
どっちを見るか、
何を信じるかは、私たちの人生を分ける大きな分岐点。
そしてそれは「本人」の自由意志。
常識は普通99パーセントの方です。
私は変わり者と言われても、1パーセントの可能性を
信じる自分でありたい。
そして大切な人の1パーセントの可能性も
信じ、祈リ続ける自分でありたい。
「常識とは18歳までに身につけた
偏見のコレクションのことをいう」
(アインシュタイン)
最後まで読んで下さってありがとうございます。
良い一週間になりますように♡
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