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【不忍池ボート場遭難事件簿】

「明日天気いいから、ボート乗りたい」

はなちゃんからこんな誘いが来たのは、ちょうど朝のホットコーヒーを飲もうとしていたときだった。

はなちゃんは私をいつも外の世界へと連れ出してくれるプリンスである。
というのも、私は誰かと外で遊ぶのに想いを馳せながら、家で1人コンサート(観客5万人想定)に勤しむ、他力本願塔の上のラプンツェル、誰か!私をこの塔から連れ出して〜!だからである。
加えて、誘いがあると塔から速攻出ていく私は、尻軽塔の上のラプンツェル、誰でもいいから!私を塔から連れ出して〜!!でもある。

そんな他力本願尻軽ラプンツェルの腕を引き、草の青さやビルの隙間風の強さを教えてくれるのは、いつも決まってマイスウィートフリンakaマイベストフレンズたちだ。
そんな愛しのフリンとボートに乗るなんてサイコー!!!
私は二つ返事で、はなちゃんの誘いにびっくりマーク3つ付けて承諾した。

しかし、はなちゃんに返事をしたとき私は喉につかえる魚の骨のような存在を確実に認識していた。
私が中学生のときである。家族旅行でグアムに訪れた私と父は、カヌーで離島へ行くプランへ参加した。

私の父はとても優しい。
どれくらい優しいかというと、逆ギレし家を飛び出した5歳の私が、家のすぐ外で小さく体を畳んでいるときなにも聞かず「アイスクリーム買いに行こか」と言ってくれるぐらい、優しい。

そんなとても優しく温厚な父がパドルを握る私に「もうなーちゃんパドル触らんといてっ!」とキレた。私はあんなに優しい父をグアムの透き通った美しい海の上で半ギレさせた。即ち私のパドルの操作スキルは、目も向けられないほど酷い上に人を苛立たせる才能も兼揃えていた。

でも、あの頃の鼻水が片鼻から垂れていたような私と今の私はまず年齢が違う。
今のウチならできる。
ウチならできるで、父ちゃん。

この道を行けばどうなるものか
   迷わず行けよ、行けば分かるさ、 
ダー‼️闘魂注入‼️
根拠のない自信と猪木にその身を預け、私はそんな昔の記憶を脳の見えないところへ押し込んだ。

迎えたボートデート当日は前日雪が降ってたなんて信じられないほど、雲ひとつない青空が広がっていた。

こんな快晴の日にボートを漕げるなんて!
超チルいじゃん!
POPEYEに出てくるシティーガールの休日みたいじゃん!
これはナウいよ!
私の心はバブル時代のディスコレベルで踊り狂った。

はなちゃんと上野公園で待ち合わせたあと、私たちは近況報告なんてしながらボート乗り場へと向かった。
「ボート楽しみだね〜★」とニヤニヤしていた私たちは、この後ボートに2時間幽閉されるなんて思いもしていなかった。
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ローボート:500円
サイクルボード:700円
スワンボート:800円

ボート利用案内の看板を見た私とはなちゃんは顔を見合わせた後、スタッフさんに500円支払った。

こんな天気のいい日にはローボートっしょ★
だってローボートってフランス映画に出てくる親の目を盗んでデートするカップルみたいじゃーん♪♪
それって超クールじゃね?♪♪
ディスコクラブからフランスの舞踏会へと場所を移した私の心は優雅にバロックダンスを踊る。

私たちはスワンボートやサイクルボードに乗り込む親子やカップルをふっと鼻で笑いながら、ローボートが停泊している場所へと向かった。

しかし、私たちの目の前に現れたローボートは、フランス映画に出てくるボンジュールなボートとは程遠い海賊が人質と財宝を交換するときに使用するパイレーツなボートだった。
突然の海賊の襲来にバロックダンスを踊っていた私の心も、ピタッとその足を止める。
私は焦った。
アワアワといった感じである。
ワナワナであったとも言える。
横に目を向けると、はなちゃんの顔も若干強張っているように見えた。

スタッフさんに焦っていることがバレないよう、私はなるべく馬鹿っぽい声で
「ローボート乗るの初めてなんですけどぉ、漕ぐのって難しいですかぁ?」
と聞いた。

スタッフさんは、あぁ初めてなんだ、といった感じで私の質問を若干スルーした後、人質船に乗り込もうとした私たちにカッと目を開き
「はい!座る!あぁ!そこじゃない!」
「足は伸ばす!!」
「腕は前に!!違う!そうじゃない!!」
「はい!後ろに引いて!!」
「そうじゃないって!!」
とそれこそ人質に命令する海賊のように言い放った。

この時点で一つの考えが神の啓示のようにふっと私の頭に浮かぶ。

「スワンボートに乗りなさい」

そんな神の声を私は無視した。 
だって、だって、今のウチならできるもん。
はなちゃんもいるもん!!
猪木に誓ったんだもん!!

もう後戻りはできない、ごくりと生唾を飲み込むとはなちゃんがオールを漕ぎ始めるのが見えた。
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一旦ボートが動き出すと、喧噪とした都会では感じづらい暖かさがじんわりと肌に染み込んでいくような、そんな雰囲気がそこには広がっていた。

小さい息子がスワンボートのペダルを一生懸命漕ぐ姿を見つめる母親のまなざし、
父親が子供たちに見せつけるように大袈裟に切るサイクルボートのハンドル、
カップルがスワンボートのペダルを一緒に漕ぎ笑う声、

そんな景色が作り出す特有の『暖かさ』としか表現できない雰囲気に、私の心も満たされていく。

最近私は、人間の根底にある善悪を問うようなニュースたちに精神的に疲弊していた。
SNS上で掲載されていたニュースのヘッドラインに【性善説限界か】と書かれているのを見たときは、骨の間から心臓がどろっと溶け出しそうになった。
心臓の形をなんとか保つように日々過ごすことに、本当に疲れていた。

それゆえに、ボートの上ではより一層目の前の景色が尊いもののように見えた。
この場所には『ボートを漕ぐ』という目的を持った人たちしかいない。
時間がとろんと流れているこの場所に、人間の善悪を問う意識が入り込む隙間など無かった。

次第に私とはなちゃんはパイレーツなボートに乗っているという現実を受け入れ、「船長、次はどっちに進みますか?」というはなちゃんの呼びかけに、「右に舵を切れー!」と私が答えるなど、私たちは茶目っ気を取り戻すことにも成功していた。

はなちゃんは高校時代からの友人だ。
私が泣き出しそうだったとき、はなちゃんは私より先に涙を流してくれた。
はなちゃんの言葉はいつも固くなった私の頭をほくじ、息を吹き込んでくれる。
そんな心から信頼している友人と、土曜日のこんな天気の良い日にローボートに乗っている。
私は目の前の景色だけをただ、そのままの鮮度で脳に焼き付けていった。

なんか平和だなぁ、
こういうのいいなぁ、
性善説、限界なんかじゃないよ、
私は人間だけが持つ力のようなものをまた信じ始めていた。

だから、私はボートがずっと私の指示する方向に進まない事実に気づきながらも目を瞑っていた。
さっきから右と言っても右に行かないボート。「右に舵を切れー!」と言ってからボートは、確実に左に進んでいた。
この時点で私たちのボートはどんどん風に流され、池のほぼ縁の辺りに漂流しかけていた。

人間の力を信じる。そう決めた瞬間浮かんだ自分の疑心に、私は見て見ない振りをしようとした。
しかも、疑っているのが私のために涙を流してくれる人なんて…っ
私は発酵中のパンの生地のように膨れ上がる疑心にめっ!と注意をする。

とは言っても、やはり様子がおかしい。
私はここで一旦はなちゃんに聞いてみる。
「今ここでゾンビ来たらやばない?」
これは一見ファンタジーのようで「あなた、ボートを自由自在に操縦できるんですか?」という至極現実的な本音を隠すことに成功している、高等テクニックを使用した質問である。

はなちゃんは、新しいおもちゃで遊ぶ赤子のように、両手に持つオールをただ水にピチャピチャしながら、
「いや、でもほんまにそんな状況なったら、こっちやばいから、イケるから!」と笑顔で答えた。
この時のはなちゃんの笑顔が、まさにニカっといった感じであったこと、「嘘つけっ」と私が0.5秒後に思ったことを、私は今もそのままの鮮度で覚えている。
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そんな会話をしている間もボートは風に流され、ついに池の縁にぶち当たろうとしていた。

また勘のいい人は気づいたかもしれないが、この池でローボートに乗っていたのは私たちだけだった。
おーまいがーである。
まだ池の縁に流れ着いた他のローボートがあれば、仲間がいる!と私の心も落ち着いていたというのに!

「だからスワンボート乗れって、、」とまた私の脳内に直接語りかけてくる神に、私は「うるさい!!」と言い返し、神との交流を強制的に遮断する。

そして私はハッとした。
ローボートに乗る前に、私たちは海賊(ボート乗り場のスタッフさん)に30分という制限時間を課せられいたことを思い出したのだ。

今何分たった?!
携帯を見ると、制限時間の半分、つまり15分が経過していた。

心を落ち着かせ、またお得意の馬鹿っぽい声で
「あとぉ、15分しかないからぁ、そろそろ戻り始めようっ★」と言う私。
はなちゃんもアイアイ、キャプテンといった感じでオールをピチャピチャし始める。

ピチャピチャ
ピチャピチャ

〜5分経過〜

ピチャピチャ
ピチャピチャ

〜7分経過〜

あぁ、神様。
私たちは7分で池の縁を50cmなぞったよ。
あのとき、あなたの声に耳を傾けていたら…!!

そして私はもう一つの異変に気づく。
はなちゃんの様子がおかしい。
なにかがさっきと違う。

「あと8分しかないよぉ★」と私が言うと、
はなちゃんは「もう嫌ぁ!!」と叫んだ。

私は自分の指先がスッと冷たくなったのがわかった。はなちゃん…言わないで…っっ

「さっきから全然進んでへん。っていうか、漕がれへん。あの人(海賊akaスタッフさん)に怒られる、絶対に嫌や、もう怖い、怖ぃいッッあの人怖いねん、絶対怒られる、怒られるツッ」
機銃掃射のような言葉のスピードに私の耳はついていけず、私はただうん、うんと笑顔で頷くことしかできなかった。

あと8分。
あと8分で海賊が私たちの身を捕らえに来る。
私たちは、これから起こる未来の出来事に体を震わせた。このときの震えは、恐怖からくるタイプの震えである。

しかし、こんなときだからこそ希望を持たなければ!
人間だけが持つ力、ボートに乗る前は信じられなくなっていたもの。
錆が鉄の本来の姿を忘れさすように、私の中で消えかけていたもの。
今は違う。
錆がパラパラと剥がれていき、後ろを隠れていたものがピカピカと反射して私の目に光を灯す。
人間だけが持つ力、それは人間が人間を信じるときだけに輝く力なのかもしれない。
私はそれを信じたい。
いや、今の私は信じている。

私は十八番の馬鹿っぽい声を捨て、1人の人間として目の前の震えている親友に声をかける

「はなちゃん。私たちやったら絶対いける(帰れる)」

その瞬間、揺れ動いていたはなちゃんの瞳がピタッとその動きを止めたのが見えた。
はなちゃんの瞳にも光がきらきら反射する。
真っ直ぐ前を見るはなちゃんの瞳にはもう、ボートの返却場しか映っていない。

私たちならいける、私はもう一度心の中でそう小さく呟いた。
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結果的に私たちはいけなかった。
何ということであろうか。
30分という制限時間を過ぎても、私たちの船は池の縁をプカプカと浮いているだけだった。
このとき、何もよりも怖かったのは制限時間を過ぎてもうんともすんとも言わない海賊の存在だった。

テスト中教卓の前から先生に監視されるより教室の後ろに立たれた方が怖い、あの感じ。
カンニングなんてしようとしていないのに、何故か猛烈に背中にその存在を感じ、飲み込まれそうになる、あの感じ。

『私たちはこの人から(この場所から)逃げられない』
そんな考えが世界の真理のように、私たちの脳天を貫いた。

日本という国が地球にある1つの小さな国で、その地球は銀河系に存在する無数とも言える数あるうちの1つの小さな惑星であり、その銀河系は宇宙のほんの一部などといった、とてつもなく大きい存在を目の前に提示されたとき、私は膝をついてしまいそうになる。
そしていま、池の縁からボート返却口という航路を目の前に、私の膝は地面にしっかりと埋まる形で固定されていた。

私たちが池の縁の魔物に囚われてから、もう1時間が経過しようとしていた。
この空白の30分から1時間の間も、風に流される私たちのボートは縁に止まっていた鳥を驚かし、飛び立たせ、バードウォッチングをしていた家族やお年寄りの人たちに、あぁー、とため息を吐かれたりしていた。 
野鳥バスターズの誕生だ。
誰もコールしていないのにバスターする2人組など、迷惑すぎる。捕まってほしい。 
しかし、このときは本当にもうどうにもこうにもならなかった。
あのときバードウォッチングをしていた人たち、本当にごめんなさい。

野鳥バスターズとしてその悪名を確実に馳せていたそのとき、私は稲妻に打たれたようにある一つの考えを思いつく。

めり込んだ膝を地面から抜き、足の裏で地面の感触をしっかりと確かめる。
うん、もう遠くない…!
そして私ははなちゃんに言った。

「漕ぐの変わろか?」

はなちゃんはピチャピチャとほぼ水面をかき混ぜているだけのオールを漕ぐ腕を止め、私の顔を見上げた。

私の想像ではあるが、このときはなちゃんの頭の中にはネオンライトのように
 『★救世主登場★』
の文字が光ったに違いない。

まるでこの世界には、はなちゃんと私しかいないかのよう世界は呼吸を止めていた。
うん、とはなちゃんがうなづくと私たちは座っている位置を交換した。
幸い池の縁に挟まってるしか言いようのなかった私たちのボートは、私たちが腰を上げてもほぼ揺れることなく安定したままだった。

私はオールを手にした瞬間、父にグアムで怒られた日のことを思い出した。
思い出したくないと思っていることは、いつも最悪の瞬間に思い出してしまう。
私はそんな思い出を払拭するかのようにオールを力一杯漕ぐ。

さてここで問題です!
はなちゃんがオールを漕いだときに発生する音が
ピチャピチャ
だとすると、
私が漕いだときはどんな音がしたでしょう?

正解は…

ヌーンーツッカッヌーンーツッカッ
とまるでボイスパーカッションをしているような音です!!

世界がまた呼吸を始める〜私のボイスパーカッションに乗せて〜

フレンチのコース料理風に言ってみたが、このとき私は骨なんてないはずの心のどこかがぽきりと折れる音が聞こえた。

私が操縦する船はボイスパーカッションをするだけで、全く前には進まない。
その間抜けな音だけが公園全体に響く。
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もう帰りたい、
何がなんでも帰りたい、
そう強く願ったとき、ポップコーンが弾けるように私たちの中で何かがポンっと音を立てて破裂した。

作戦1
-池の縁にある紐を手でつたい、帰還-
結果:失敗
原因:紐をつたりたどり着いた先がボートの返却場ではないため、スタッフさんに普通に受け入れを拒否される。

作戦2
-スワンボートを漕いでいる人に引っ張ってもらい帰還-
結果:失敗
原因:私の人見知り

作戦3
-他のローボートを漕いでいる人を発見、その人と同じ動きをし、帰還-
結果:失敗
原因:私の技量不足

全て作戦が失敗に終わった私たちは、魔の池又の名を不忍池に生気を吸い取られていた。
頭をぐったりと垂れ、動かなくなった私たちは周りの人から見ると異様な雰囲気が漂っていただろう。

そんなとき、Hiと言われた気がした。
ギロっと私たちがその目を上げると、そこには散歩で公園に来てきた外国人カップルがいた。

『★救世主登場★』
次は私の頭にネオンライトの文字が光る。

私が今まで英語勉強に切磋琢磨しながらも諦めなかったのは、大学を休学しカナダへ留学したのは、いつの日か来る池で遭難したときのためだったんだ、私はそう確信した。

外国人カップルの男性の方が言う。
「You are rowing too deep!」
「Your oars! Too deep!」

正直私は、えぇー知ってるヨォそんなこと、もっとなんか具体的な解決策教えてヨォ、ねぇ!ねぇ!と思っていた。
私がI can't do itと中学2年生でも言える英文をほぼ半泣きで言うと、カップルはBye Byeと言いその場を立ち去った。

Too deepと連呼された私の耳の鼓膜はその音の振動が忘れることができず。この後もずっと私の頭の中ではToo deepが反芻した。

全然前進まへん!(Too deep)
風強すぎる!(Too deep)
なんか私たちこの池の観光名物みたいになってない?(Too deep)
この後行こうとしてた本屋行かれへんかもな(Too deep)

‼️うっるっさっい‼️
もうToo deepって言わないで!!!
わかってるから!!! 
もう!!やめて!!
もう…やめて…

もうどうにでもなってしまえ、
ボートに1時間半幽閉されると、私とはなちゃんの心のチューンがばっちりあった。
そこからの私たちはキマッた。
ガンギマリである。
もうなんか楽しくなってきちゃった♪♪といった感じである。

はなちゃんと私は歌を口ずさみながら、同じ場所をボートでぐるぐると回っていた。

〜前奏が流れ始める〜
ヨーホーヨーホー♪♪
海賊暮らし〜(キメ顔の私たち)♪♪
誰でも震え怖がる、酒を飲み干せっ★
ヨーホーヨーホー♪♪
海賊暮らし…(少し悲しい顔の私たち)

この姿はまるで、映画パイレーツオブカリビアンで登場するゴーストシップに乗るほぼ骨と皮だけの幽霊海賊のようだったに違いない。
『ミイラ取りがミイラになる』という諺が『海賊を恐れていた人がゴーストシップの幽霊海賊になる』に置き換えられたヨーホーな瞬間である。

しかしこの間に、私のオールの操作スキルは格段に上達した。
それこそもうスイスイとボートの向きを自由自在に変更することができるようになっており、気づけばあんなに遠いと思っていた返却場に到着していた。

ボートを返却すると、私たちが恐れていた海賊(ボート乗り場のスタッフさん)は居なくなり、普通のボート乗り場のスタッフさんがいた。

チケット確認するね〜と言い私たちのチケットを見たスタッフさんは、あちゃーという顔をしていた。
スタッフさんは「時間過ぎてるから追加で500円もらいます」と言うと、
私たちは「遭難してたんです…本当にごめんなさい…」と何とか言葉を繋ぎ合わせ、追加料金を支払った。

なんか気の利いたことでも言おうと思ったけど、疲れちゃった。
めでたし、めでたし!(Too deep)

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