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フラメンコ学 Vol.6 カンテ・ホンドのコンクール(1922)

1922年、グラナダで史上初のカンテ·ホンドのコンクールが開催されました。スペインのクラシック音楽の作曲家マヌエル·デ·ファリャや、詩人ガルシア·ロルカが中心となって開催されたこの一大イベントは、フラメンコの歴史において貴重な試みのひとつに数えられ、フラメンコ愛好家の皆さんの中には、このコンクールについてご存知の方も多いかと思います。私の大学院の「カンテ·フラメンコの歴史」の授業の中でも、このコンクールについて学ぶ機会があり、私自身これまで知らなかった数々のエピソードや実情を知ることができました。今回は、このコンクールが開催された背景やその結果と影響、社会的·文化的な意味に焦点をあてて深掘りしていきましょう。

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カンテ·ホンドとは


まずは、カンテ·ホンドという言葉について振り返っておくのが不可欠です。スペイン語では《Cante Jondo》と書き、直訳すると「深い歌」という意味です。さて、私たちはフラメンコの歌を「カンテ」《Cante》とよんでいます。フラメンコに慣れ親しんだ方には、至極当然の単語ですが、一度立ち止まってよく考えてみると、スペイン語では一般名称として「歌」と言うときには「カンシオン」《Canción》という単語を用いるので、フラメンコの歌がとても特別であることがわかります。同じようにフラメンコの踊りは「バイレ」《Baile》といい、一般的な踊りを指す「ダンサ」《Danza》と区別されているところにも、フラメンコの踊りの特別感が見て取れます。フラメンコギターの演奏は、トーケ《Toque》と呼ばれます。この用語は先のふたつのような専門用語ではありませんが、クラシックギターの演奏ではなくフラメンコ独特の演奏スタイルを指す言葉です。通常、クラシックギターの演奏は「インテルプレタシオン」《Interpretación》と表現されることが多いので、フラメンコではその音楽性や表現力の豊かさが「トーケ」という語で表現されます。

話をカンテ·ホンドに戻しましょう。《Jondo》と《J》が用いられていますが、「深い」を表す一般的なスペイン語はオンド《Hondo》と無音の《H》を使います。スペイン語の歴史を辿ると、かつては《H》は発音されており、それが時の流れとともに失われて無音になったことがわかります。しかし、アンダルシアではかつての発音を保持しているため、その発音を正確に記すため敢えて《J》を使って書かれるのが慣習となりました。

さて、具体的にカンテ·ホンドとは、どのような曲種をさすのでしょうか?主催者たちによると、それは下記のように分類されています。

  • セギリージャス·ヒターナス《Seguiriyas Gitanas》

  • ソレアレス《Soleares》

  • サエタス·ビエハス《Saetas Viejas》

  • マルティネーテス《Martinetes》

  • カルセレーラス《Carceleras》

  • トナス《Tonás》

  • リビアーナス《Livianas》

  • セラーナス《Serranas》

  • ポロス《Polos》

  • カーニャス《Cañas》


カンテ·ホンドのコンクールが開かれた背景と目的


カンテ·ホンドのコンクールが開催された1920年代初頭は、スペインにおいてフラメンコの急速な商業化が進んでいました。映画やレコードが徐々に普及していったことで、伝統的なフラメンコのスタイルから、大衆的なより洗練されたパフォーマンスが増えていった時期と言っても良いでしょう。フラメンコ本来の精神性を重要視する人々にとっては、この商業化の流れは何としても変えなくてはならない脅威となりました。フラメンコのもつ深い文化的なルーツと本来の芸術性を強調し、商業化したエンターテイメントとは異なる純粋なカンテ·ホンドの重要性を再確認することが何よりも重要だと考えた文化人が数多くいました。

商業化の流れを憂いていた文化人の代表格が、作曲家のマヌエル·デ·ファリャ、詩人のガルシア·ロルカ、そしてバスク地方出身の画家イグナシオ·スロアガなどでした。彼らが主導し、伝統的なカンテ·ホンドの歌唱力と表現力を競う場として設けられたのが、1922年のグラナダでのカンテ·ホンドのコンクールというわけです。

このコンクールは、これからご紹介するように、単なる「コンクール」以上の意義を持っており、次のような側面にも期待がありました。

  • フラメンコ本来の魅力を再発見し、伝統的なカンテ·ホンドの技術を高める

  • 商業化されたフラメンコの流行を抑制

  • フラメンコの真の愛好家によるコミュニティーを形成する契機

カンテ·ホンドのコンクール開催に向けた準備と要項


コンクールに先立つ1922年2月19日、フェデリコ·ガルシア·ロルカはグラナダの芸術センターにおいて有名な演説をします。その名も「カンテ·ホンド」というタイトルを冠した、ロルカの執筆した声明の朗読という形で発表され、その原稿は後日グラナダの新聞「ノティシエロ·グラナディーノ」に7日間にわたって分割掲載されました。

新聞に掲載されたロルカの演説の原稿
ノティシエロ·グラナイーノ 1922年2月23日掲載
画像:アンダルシア·デジタル図書館


この演説でロルカは、フラメンコが単なる民衆の娯楽にとどまらず、深い芸術表現であることを強調しました。この原稿は、のちにロルカが出版する有名な詩集「カンテ·ホンドの詩」《Poema del Cante Jondo》の元にもなっています。

ファリャ、ロルカ、スロアガ達は、コンクールのプロジェクトをグラナダ市に提案し、公式な手続きを経た上で市の全面的なバックアップ(開催のための金銭的な援助を含む)を得ることができました。そして、このイベントを大々的に開催するため、より大きなイベントの一環として位置付けることが提案され、コンクールと同時に実に様々な催し物が企画されました。絵画展覧会、ワイン試飲会、馬術協議会、闘牛、自動車祭り、射撃大会、自転車レース、カルロス5世宮殿でのコンサートなどです。こうした盛りだくさんのイベントを開催することで、市民や観光客からの「歓迎ムード」の下準備をしたのでした。

そして日程は、宗教的に重要なコルプス祭《Corpus Cristi》に関連づけて開催されることとなりました。コルプス祭とは、キリスト教の祭りで、特にスペインを含めたカトリック教会において重要な祭日です。

コンクールの理念と要項は、ファリャが中心となって考案し提案しました。確認しておきたい重要なポイントは、コンクールへの出場資格は、アマチュアおよび21歳以下の若手のプロフェッショナルとされ、重鎮のプロフェッショナルの参加が制限されていたことです。この規定により、当時絶大な人気のあったアントニオ·チャコンなどはコンクールには参加せず、審査員としての参加に留まりました。

カンテの歌い方に関する評価の基準や理想も発表されました。バリトンまたはバスの声域で歌われるのが理想とされ、高音域の声は「即座に排除」されるとされました。つまり、暗黙の了解として男性的な低い声がカンテ·ホンドに最もふさわしいものと理解されていました。とはいえ、最終的には数名ではありますが女性の参加者があったことも記録されており、16歳の若い女性カンタオールの名は受賞者のリストにもあります。また、当時すでに大御所であったニーニャ·デ·ロス·ペイネスは、コンクールではなく余興として開催されたコンサートで歌声を披露していることからも、フラメンコを男性だけのものにしようという意図があったとは考えにくいのですが、当時のフラメンコ界が男性優位であったことは間違いないでしょう。

「ゴルゴリート」と呼ばれるトリル唱法も禁じられました。ゴルゴリート《gorgorito》は、スペイン語のゴルヘオ《gorjeo》とよばれる、高音域で素早く二音間を往復させる歌唱技法のことで、メロディーに華やかさや飾りを与えるために用いられます。つまり、そうした表面的な小細工や掛け値なしの、純粋性を追求していたと言えます。


アントニオ·ロペス·サンチョ作
カンテ·ホンドのコンクール

上記は、有名なカンテ·ホンドのコンクールのカリカチュアです。有名人たちの似顔絵を用いています。有名な人物をピックアップしてみたので、絵の中で探してみてください。

  • ラモン·モントージャ(フラメンコギタリスト):左上でギターを抱えている人物

  • ニーニャ·デ·ロス·ペイネス(カンタオーラ):左下で椅子に座っている女性

  • アンドレス·セゴビア(クラシックギタリスト):舞台正面で太淵の丸メガネをかけた人物

  • イグナシオ·スロアガ(画家):中央で帽子を持って座っている人物

  • マヌエル·デ·ファリャ(作曲家):スロアガの後ろに座った、ストライプのズボンの男性

  • フェデリコ·ガルシア·ロルカ(詩人):ファリャの右隣に座り帽子を直している人物


カンテ·ホンドのコンクールの受賞者

あまり広く知られていないことですが、受賞者のリストからもわかるように、「カンテ·ホンド」のコンクールとはいっても、そこにはギター部門もあったことが伺えます。ただし、バイレ部門はありませんでした。

雑誌「ヌエボ·ムンド」に掲載されたコンクールの様子


このコンクールの意義と社会的影響、歴史的評価

コンクールは、大きな反響を呼んだものの、ファリャやロルカが望んだ「商業化されたフラメンコの流行を抑制」する目的を果たすことはできず、やがて「オペラ·フラメンコ」の時代がやってきます(この時代についてはまた別の記事でご紹介したいと思います)。そうした流れをうけ、かつては、このコンクールを「失敗に終わった」とするものが数多くあり、それがこのコンクールの評価とされてきました。確かに、フラメンコの商業化は止められなかったという事実は否定できません。しかし一方で、近年の研究ではこのコンクールが問いかけた意義が再評価されつつあります。

今から2年前の2022年、このカンテ·ホンドのコンクールから100周年を迎え、グラナダを中心にスペイン各地でフラメンコのシンポジウムや新しい研究成果の発表、書籍の出版などが相次ぎました。こうした新しい研究を見ると、これまでの否定的な側面よりも逆に、フラメンコの学問化やフラメンコの文化的な認識を高めるのに貢献した、といった肯定的な視点が数多くあることに気づきます。このコンクールの影響が当初考えられていた以上に深く持続的であったためと言えるでしょう。

カンテ·ホンドのコンクール100周年の記念出版物


グラン·クロニカ·デル·カンテというSP時代のレコードをCD化する試みが日本で進んでいます。これはフラメンコギタリストであり、世界有数のフラメンコSPレコードコレクターであるエンリケ坂井さんのコレクションから、今ではなかなか聴くことのできない貴重な音源を復刻するというプロジェクトです。本来の音にできるだけ近づけるため、敢えて蓄音機で再生した上で、ノイズも除去するという気の遠くなるような職人技の結晶です。

2022年のコンクール100周年に先駆け、2021年には「グラナダのカンテ·ホンドコンクール特集」が発売されました。グラン·クロニカ·デル·カンテとしては28作目の作品です。エンリケ坂井氏や故濱田滋郎氏による解説や考察、さらに濱田吾愛女史、川上茂信氏、福久龍哉氏による歌詞聞き取り、対訳、アーティスト解説など、約40ページに及ぶブックレットも必見です。グラナダのカンテ·ホンドのコンクールに関する、これほど詳しい日本語での解説は、私の知る限りこのブックレットを超えるものはありません。興味を持たれた方はぜひこの貴重な録音を聴きながら、グラナダのコンクールに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

アクースティカのホームページより購入できます。
https://acustica-shop.jp/shopdetail/000000007475/

グラナダのカンテ·ホンドのコンクール特集
CDグラン·クロニカ·デル·カンテ Vol.28


小倉真理子さんによる「スペイン語」や「スペイン文化」に関する発信は、「まりこのスペイン語」YouTube
https://www.youtube.com/@MarikoSpanish/about

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