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壊れていた、ということ【ヒーロー編】



人生の転換点の1つを残そうかと思う。

私はまぁ前回に書いたが心が死んでいた。
今の性格でいうと
「人生には驚きが必要だ」(同業者ならきっと分かる名言)が座右の銘の1つとなるような性格に育ってしまったわけだが、当時は本当に時化た人間だった。
我ながら時間の無駄な人生を過ごしたと思っている。


中学2年の話だ。

そう、黒歴史を量産できる時代である。私ももちろん量産した。
とはいえ黒歴史とは少しも思っていない。
なんせ、この時代から少し自分の性格が完成したからだ。

当時高校の姉が1つのゲームを買ってきた。
PSPの「遥かなる時の中で2」である。いわゆる乙女ゲーで姉は先輩に進められたらしい。
だが、姉はドラクエとかにハマるタイプの人間で、乙女ゲーにはまったくはまらなかった。
そんな姉を横で見て、クリアを手伝えと言われた私が物の見事にハマった。
(当時ゲーム等はほとんど触らず、親戚と集まっても歳が1番離れた末っ子の自分にはどうせ出来ないと自ら諦めていた節がある。やっても友人宅でスマブラをする程度だ。とはいえコマンドなんてほぼ知らないような状態だった。)

そのまま全ルートクリア。
当時は3も発売していたが、イメージと違ったので同じ会社の「金色のコルダ」に手を出してハマった。
特に紫の彼にドハマった。沼だった。

人付き合いが壊滅的な自分がキャラでも気に入った人間だ。
そしてそれが尊敬だったことは間違いが無い。
表は品行方正、体力は無いが才能があり、裏では気が強く、俺様。
という『二次元!バンザイ!』な性格キャラだが自分にはなんでも出来て人の感情を読んで上手く動く彼がとてつもない人間に...すばらしくカッコいい人間に見えたのだ。
いまでも尊敬しているし、彼のおかげだと思っている事は多い。

人の後ろに隠れて、自分からは話さないのが私だった。
ごまかすために、嫌われないためにひたすら笑顔を浮かべて、なにも為さずそこにあっただけの自分である。

彼のようになるために、口調も考え方も変えた。
当時「僕」だった(とはいえ意見しないのだからほぼ使わない)が、「俺」になった。
小学校からあがり、かわらず小馬鹿にしてきた奴らに(さすがに中学で喧嘩できなくなったので)睨みとはっきりと暴言でない言葉を返すようになった。負けられない、彼のようになりたいと必死だった。
強くあらねばと強く思た。
あと趣味となる、ゲームのCDやDVD、二次創作なんかにも手を出し、その内で作り手側の言葉を見るようになった。そしてここはこんな考え方だったのではないか?こういう解釈も出来るのではないか、といった話を食い入るように見た。

閉じていた世界が広がった瞬間である。

とはいえ進めたのは姉だろう?という話だが、この頃はもう人間嫌いに近いところにきていたので「ゲーム」であり「キャラ」である彼らは選択の失敗で好感度が下がるにしても、戻せるし。感情は吹き出しに書いてあるし、思ったことをもの申す。
なにより人間の言葉の裏というものが極端に無かった。
怖いと思う必要の無い相手だった。
私にはひどく安心できたのだ。

今の人格のベースは間違いなく彼である。
ただの物真似だと言われたらそうかもしれないが、まずもうこの歳に何がしたいか分からないという人格形成状態でもうにっちもさっちも行かない状態だった。
正しいかと問われれば今でも分からないが、手早い処置になったのは確かだった。

彼ならばこの程度できる。
彼ならば逃げない。

それは確かに1つの道だった。

もちろんきっかけの1つで人によったらそんなこと、だろう。
それでも彼は私の転換点だった。
彼が居なければ、私は自分がただ怖がりで何にも手を出さなかったことに気がつくことも出来なかったろう。

私は負けて気落ちされることも、
がっかりされることも、
出来ない人間とののしられることも、
何にも手を出さないことも、
すべては恐怖故だった。


彼は、いつの間にか師であり
恐怖を断ち切るヒーローになっていた。




※最近トロのパズルゲーム(アプリ)をしたが、真っ先に尊敬する人で名前を連ねたのは彼である。
彼が本誌で絶対に引っ付かないと分かりながらせめて幸せにと願っていたのはいい想い出でだ。


#日記


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