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三越日本橋本店のステータス

母方の祖父からの聞き語りを書いておきましょう。戦争の話は一休み。今日は戦前の話。

戦前、いわゆる「円タク」と言われるタクシー業が大正に始まった。昭和は昭和6年の満州事変以降、ガソリンなどの物資統制もあって、昭和12年には流し営業の禁止、昭和13年には法人化したタクシー会社しか営業できなくなった。祖父は個人所有のフォードを3台も持っていた(祖母の結納金を全額突っ込んで借金までしてタクシー会社を興したクルマ好きであった)。宮内庁の業務も受けていたらしいと聞いている(これはご皇室の方をお乗せするのではなく、宮内庁にお出でになる方、お帰りになる方の送迎業務であった、とか)

祖父はタクシードライバーであった理由は好きなことがクルマの運転であり、流し営業が楽しかったわけである。しかし、当局から禁止され流し営業できなければタクシーステーションでお客待ちをするわけであるが、一番の乗客がいて、儲かりそうな場所は決まっていた。その中でも一番のステータスは三越日本橋本店であった、とのこと。運転手同士でも「三越か帝国ホテルか東京會舘か」というくらいであったらしい。東京駅はそれほどでもなかったらしい。

現在、新館に面する本館南側には立派な車寄せがあり、バレットの方がきびきびと対応してくださる、あの場所でお客を待つ、ということがステータスであったのだ。

もう一つ、三越内のステータスの話をしたい。日本橋本店で一番力を持つ売り場は呉服売り場である、確信している。我が家は七五三の紋付は2代にわたって日本橋本店の呉服売り場で購入しているが、たとえ寸法直しの受け取りであっても駐車券は3時間か6時間のチケットはくれるし、洗い張りの着物を取りに行ったときに至っては、時間を指定してくれれば新館駐車場まで着物を持ってきてくれる充実ぶりである。洗い張りは京都の職人さんに出すので、3か月はかかる、目途がついたらお知らせする、という今では絶滅しそうな方法である。

店員さんも和服を着ている偉い人は風格も押し出しも全然違う。うちの息子の七五三の時の寸法合わせの時は、その偉い方が愚図る息子をあやしてくれ、「坊ちゃんは賢いし、いいおうちに生まれていらっしゃるんだから、お父様お母さまのいうことを聞いて、カッコよくお着物着て、神様にご挨拶しなければいけませんよ」という親が真っ青になるような江戸言葉をお話になるのである。親には「どちらでお祝いされるのですか。神田明神様ですか、私共も光栄です。こちらも勉強させていただきます。」なんてキラーなことをおっしゃるのだ。

三越日本橋本店には少なくとも昭和は生きていると思う。因みに行く前にあらかじめ電話をかけておかないとこのような超越したサービスは受けられないことが多いと思われる。

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