見出し画像

時間の経過と焦燥感と

川久保晴の一人芝居『川久保さんと小林さん』を観に行きました。彼女は大学の同期で、私が知り合った時、彼女はすでに学生演劇をしていて、彼女が出ている演劇を観始めたころから、私はだんだんと観劇をすることが増えてきました。
そんな川久保ちゃんの作出演川久保晴の渾身の一作がAPOCFESというイベントで上演されたので、観てきました。とても、最高でした。

本当は観るのが一番だと思うのだけれど、上演は終わっているので、上演を観ることに比べ、言葉足らずの文章ですが作品について書いていこうと思います。

前半は川久保家次女である晴(10)の誕生日の朝の話、後半は小林さん(48)の高校入学の話。客席の雰囲気が笑いで緩くなる瞬間と、固くなってくっとシリアスに前のめりになる瞬間があって、その寄せては返す波がつくる濃密な時間と空間だった。
やっぱり劇場に行って、舞台上の生身の人間が、観客と同じ空間を共有しながら上演をするという演劇特有の表現が、その作品のメッセージを鮮明に伝える鍵となっていて、とても素晴らしかった。

最初に、舞台上に左から、「母」「次女」「長女」と札が均等に置かれ、紐のようなもので「母」と「次女」の間、「次女」と「長女」の間が区切られる。つまり舞台上が3分割されている。
そして、母の空間では母を、次女の空間は次女を、長女の空間では長女を演じる。くるんくるんと役が入れ替わりながら川久保家の朝の様子が展開する。
途中川久保家の母が、小林さんと電話をするシーンがあるのだが(これもまた舞台上の線を跨いで行き来して行われる)、その小林さんが次は主人公になる。小林さんは、育てた子供がすでに巣立っている専業主婦で、彼女が高校入学のための面接を受けているシーンから、話は始まる。その続きについてはこの後で。

ちょっと話はそれるけれど、去年も同じように川久保ちゃん作出演の一人芝居『23歳』を同じAPOCFESで観た。
その作品は、大学を卒業して俳優となり不安を感じながらも、これから自分は前に進むのだという意気込みに満ちたものだった。観たのは1月だった。コロナによって生活の形が変わる前。

今回の作品は、その直後から深刻さを増して、あらゆることを変化させていったコロナと、共に過ごした時間を感じさせるものだった。

前半と後半の話は、前半に脇役的に出てきたコミカルな、ざ、お節介おばさんである小林さんが、後半主人公になるというだけで、一見、それ以外には同時に上演される理由がないように思われる。
しかし、前後編に深く共通してあるテーマは、あれよあれよと過ぎる時間への恐怖じみたもの(不安や焦燥感)と、期待感に反し裏切られた気分、だ。

前半の主人公、川久保家次女の晴は、誕生日なのにお姉ちゃんにもお母さんにもちやほやしてもらえず、というか、彼女にとってみれば邪険に扱われ、今日は誕生日なのに……と不満を表明する。
なんか、思ってたのと違う!!と思う次女だが、なんだかんだ母に口紅を塗ってもらったり、なんとずーっとたべたいと思っていたケーキを買ってもらえるらしい。彼女の気持ちはやっぱ誕生日最高や〜!という喜びに満ちていく。
しかし、母が注文のためケーキ屋に電話をかけると、色々な事情で結局食べたかったケーキは買うことができない、となる。結局、次女の気持ちを埋めたのはお誕生日への期待に対する失意だ。

ケーキ屋の店員との電話の中に、電話対応の面白さを教えてくれたのは川久保さんだと思ったのに、裏切られた気分です、というようなはちゃめちゃな台詞があるのだが、ヘンテコな人の単なるヘンテコな言葉として通り過ぎてしまいそうなその言葉が、小林さんへとバトンを渡す。

小林さんは48歳でありながら学生服を着て、面接で自己紹介をしながら、得意の終わらない1人喋りを展開する。聞かれてもいないのにあれもこれも喋る姿は、前半の電話のシーンと同様にちょっとめんどくさくて面白いおばさんだ。
彼女は、商店街を歩いていたら占い師に呼び止められて、あなたの脳年齢は15歳、こんなことは驚異です、あなた今からでも、なんでもできますと言われたのだという。
それを聞いた面接官は明らかに小林さんのことをおかしなおばさんだと思っている。15歳じゃないですよね?と年齢のことを次々に聞かれた小林さんはそこで「裏切られた気分やわ」という。
また変なことを言いよる……と一瞬思うが、小林さんは至って真面目なのだ。自分のための時間を持たなかった小林さんが滔々と自分の人生を語り出だし、彼女が制服からおばさんの服装へ戻っていくと、突然『LALALAND』のAnoter Day of Sunが流れる。

舞台の上で音楽に合わせて、小林さんの時が細切れに進んでいく。寝ている子供を起こす日々、子供がいなくなった日々、たまたま呼び掛けられて手相を見てもらった日……。
そして、ドレスを着た小林さんが自転車ででぶっこけると、実はそれは小林さんがみていた走馬灯だった。
そして実はなんと、小林さんは合格した高校の入学式に向かうところだったのだ。

面接会場の場面から、衣装チェンジと音楽、照明の効果で、舞台上がぬるりと歪み、走馬灯の中で日常がすごいスピードで流れていくのを観客は目の前で見つめる。恐ろしいほどの勢いで、彼女が人のために使っていた時間が流れていく。その時の流れの果てに占い師に言われた言葉がもたらした彼女の人生への期待感が迫ってくる。

そこには、コロナで何もできなくなったがただ時は過ぎていくという焦りのようなものが背後にあっただろうと思わずにはいられなかったし、今から私は一歩を踏み出すのだという気持ちで胸を満たした時に、コロナに見舞われた失望感を思わずにはいられなかった。
でも、物語はその裏切られた気持ちの後も、過ぎた時の後も、描いている。

私が一番好きなシーンは、前半の終盤だ。
小林さんから川久保家の母に2度目の電話がかかってくる。あーやれやれさっきなんとか切ったのに、といった感じで、受け答えをしていると、小林さんがおたくの2番目の娘さんは高校を卒業してもう家にいない、とおかしなことを言い出すのだ。
まーた小林さん何いってるんだか、と思って聞いていると、どうやらそれは本当のことで、朝だったはずなのに夕方5時の放送が流れて、月日が経っていたのだということが、母と同様戸惑っていた観客にも徐々に分かってくる。
10歳の小学生だった次女が高校を卒業して家を出るまでの時間が、目の前で、暗転もせず、舞台転換もなしで、母の周囲を瞬時に流れ去っていくのだ。そこに取り残された母の姿はとても寂しくみえ、時の流れの怖さを感じさせられる。
この日が実は母の誕生日であるというのも、その年月の早さの恐怖に拍車をかける(誕生日はだんだんと歳を追うにつれて、時が己の早さを見せつけてくるイベントだから)。

しかし、期待を裏切られたと思った小林さんが、高校に入学したように、ケーキの期待を裏切られた次女の元には、おそらく母からのケーキが、家を出た今でも届けられている。しかもあの、食べられなかったお店のケーキがだ。

これをみた帰り道に、Anoter Day of Sunを聴きながら、本当に何かが始まりそうな期待感に溢れた曲だなぁと思う。一世を風靡したあの映画の、早く目指すものにならないといけないという気持ちと、それに反して思っているよりも早く過ぎてしまう時間のあり方が、この舞台に強く絡んで、とてもよかったなぁ、と思った。

比べるのもおこがましいかもしれないけれど、へなへなと会社員をしながら、なんか焦ったり、憂えたりしていたけれど、わたしも頑張らねば、と元気をもらった。
また、次に劇場で会えるのを楽しみにしているし、それまでの間わたしも地道に歩を進めようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?