彼女の言い分

 彼女の良いところは、たいていの人やモノに対してあまり執着しないところで、彼女自身もそれが自分のいいところだと思っている。ある事情で仕事を辞めなければなくなったときは、ひと時の仮住まいだったかのように後を濁さなかった。連絡が来れば当然返事をし、突然連絡が途絶えてしまっても特になにも考えなかった。彼女はうるさいことを言わず、来るものは両手で受け入れ、離れていくものにはくるりと背を向けた。
「それならわたしは、あなたにとって貴重な存在なのね」とわたしが言うと、そうよ、誇りに思いなさいな、彼女はふざけて胸を張った。実際それはそうで、わたしと彼女は長い間の付き合いの中を適当な距離感をもって接していたし、それについて心地よいと感じているのは彼女も同じだという自信があった。
 
 彼と彼女とわたしは、同じ大学に通っていて、多くの授業を一緒に受けている。そして彼と彼女は、恋人関係にある。
 全体的に色素が薄く、陽だまりの中では透けて見える。犬のようにやわらかでさらさらとした髪の毛、小さな桜色をしたくちびる、長いまつげが強調される、大きくはない奥二重のふたつの目。やわらかな物腰に、ときどき口をとがらせてわがままを言うところ。彼は決して目立つ方ではないが、他人を惹きつけるものをもった人だった。
 
 ふんわりと淡いピンク色のワンピースに身を包んだ彼女はコーヒーカップに口づけ、それから手をひざに置いて言った。
「たとえばね、彼が髪型を変えたとき、わたしは褒めるの。素敵な髪型ねって。でも彼は、『前の髪型もよく似合っていたけれど、』と言ってほしいの。そういう人なの」
 それのどこが困ったところなの、かわいいものじゃない。わたしはいちごミルクプリンをひとさじすくう。
 たぶんだけれど、と彼女は視線を落とす。
「彼は別にわたしに恋をしているわけじゃないの、けれど、わたしには愛してほしいと思っているの、それもおかしいくらいに。確かにわたしは彼のことが好きだけれど、彼にとってはそれだけでは足りないの。自分はこれくらいの愛を与えたのだから、同じくらい、ううん、それ以上の愛をわたしから受け取る権利があるって、彼はそう思っている気がするの」
 
「それはきっと、彼があらゆるものに恵まれすぎてきた人間だからじゃないかしら」とわたしは言った。
 適度に満たされている人間は、心にゆとりがある。人やモノに対して、激しく固執したりしない。自分が受け取ることのできる許容量をきちんと理解している。自分が満たされているから、相手にも分け与えることができる。ただ、むやみやたらに与えすぎることは必ずしない。
 けれど、恵まれすぎた人間は、いつも物足りない。これだけあげたのだから、もっともらって当たり前。もっともっと、もっと頂戴。少しでも相手の分け前が多いと満足ならない。いつでも誰よりも恵まれていたい。
 それなら、恵まれていない人間は。自分を相手に重ね、相手にめいっぱいの愛情を与える。時には常軌を逸した行動をとる。しばしば相手をうんざりさせ、切り離されたとしても、それでもなお愛し続ける。何年も何年も、相手に自分の想いが伝わるまで。自分が相手に愛されるまで。
 
 両肘をついて窓の外を眺める彼女の姿は、花びらのように可憐でかわいらしかった。彼女は笑って、恵まれすぎていることは、何にも恵まれていないってことと同じよね、と言った。
「なんだか彼のことが急にかわいそうになっちゃった。悔しいけれど、これって思うつぼなのかしら」
「考えすぎよ、あなたが愛しても愛さなくても、彼を満たしてあげたいと思う人はいくらでもいるはずだわ、きっと」
 
 たとえば、わたしとか。



大学OB有志小説集より
 

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