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燦々

特に理由はないけど、友達が欲しい。

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もっともっと欲しいんじゃっ……

働き出して約5年、仕事上の仲間やパートナーは数多くいるが、この5年で友達と言える関係性の人はトンと増えなかった。

茲5年の土日祝日を自分と過ごしてくれた友人達。彼らはみんな高校か大学のどちらかで同じ時間を過ごした人たちだ。いつもお世話になっております。この場を借りて御礼申し上げます。

わたしにとっての確固たる友人の定義、それは「理由もなく一緒に飲みに行ける奴」だ。だが、マッチングアプリで「軽く飲みに行ける人募集!」とPRしても、見つかる人間はマルチ、宗教、良いとこ酒キチではないだろうか。
酒を飲むことが目的かと言われると、それも違う。

個人的に一番ベスト、居心地が良い関係は「友達は気づいたら友達、だから気楽に飲みにも遊びにも行く」というパターン。こいつ最高。マイメン。大事にしたい。いつもお世話になっております。(2回目)

それなのに社会人になってからというもの、「人と人の関係を構築する」行為に理屈が必要になってしまった。輪をかけてこのコロナ禍、「人と人が飲みに行く」行為にも何かしらの大義名分、若しくは共通項が求められている(気がする)。結果、友達が全くできない。

友達は「友達でいること」が何よりの付加価値なのに、現代社会では、友達になる為に「友達としての付加価値」と「友達に自分が提供し続けられる付加価値」がわたしの友達づくりを遮る。

これは完全に「飲み友達のジレンマ」だ。それかこの語り尽くされた現象と感情に既にセンスのいい人が名前をつけているのなら、だれか教えていただけないでしょうか。

カネコアヤノの「燦々」は本当に最高ですね。歌詞、メロディー、歌唱、佇まいの全てが最高で、それぞれが同じ方向に調和しているので。

ワンフレーズそれぞれがパンチラインになっている歌詞が特に好きだ。
「しっかりとした気持ちでいたい 自ら選んだ人と友達になって」という歌詞を聞くたびに泣きそうになる。本当にそうだよなあ。

あ〜小学校に戻りて〜〜〜。


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