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キャンドルよりも大事なこと


thatgamecompany社から配信されているゲーム「Sky星を紡ぐ子どもたち」を昨年11月から遊び始めた。無料、っていうだけで。PCが壊れてSteamのゲームが遊べず、手持ちのipadで高画質で癒されるゲームをやりたい、という軽い気持ちで始めた


とりあえずこのゲームの概要は公式サイトさん、SNS等で各自で調べてもらいどんなゲームか知っていることを前提に話を進めていこうと思います


アドベンチャーパスというものがある。いわゆる課金アイテムで、ゲームの攻略には一切関係ないオシャレの為の追加コンテンツが販売されていた

自分は課金に興味がない。課金するくらいだったらゲーム一本買う、という思考の持ち主で、ここ数年でソシャゲにお金をはたいたのはFGOの福袋を1回だけとつつましいもので、あとは無料の範疇で楽しんでいた。課金すればするほど元を取ろうと依存したり執着しそうな気がして、また自分自身の精神面の弱さは熟知していたので財布の紐は固くしていた

このSkyというゲームも、箸休め的な目的で遊ぶことにしているのでもちろん課金はしなかった。する理由もなかった

自分にはおしゃれを披露する友達らしい友達がいなかった。一応サーバーに居合わせたどこのだれかも知らない人と交流する機会は得たものの、一緒に遊ぶ「友達」はゼロに等しかった。...と言えば嘘になる。ただいても、INする時間帯があわなかったり、現実の用事で長く遊べずお互いを知る間もなくお別れ、というのが常だった。まぁ、ネットゲームだから仕方ない。ましてやこのゲームは据え置き機のようにどっかり腰を据えてやる類ではない。それは自分でも自覚しているつもりだった


ともあれ、前述したアドベンチャーパスからこの話は始まる

「課金しないのになんで?」と思われるかもしれないが、そこもまた意外な話である



ホームでとあるフレさんにお会いした。Kさん(仮称)とは年の瀬にかまくらで知り合い、その日を最後に会うことはなかった日本人の方だった。アドパス購入者限定のコートを羽織るお姿はなかなかにかっこよく、感想をそのまま伝えた。...というより、それくらいしか出来ることが大してなかった。いわば「今日はいい天気ですね」と同じくらいのニュアンスで、ふれる話題がなかったのだ。おしゃれの話題が尽きればもうキャンマラに誘う以外成す術がない程、コミュ障だった

そんな自分はさておき、Kさんは色とりどりのケープを披露してくれた。その度素直にかっこいい、おしゃれだ、と心から賞賛した。自分が初期髪が好き、中性的な髪型が好き、とつぶやくとそれにあわせてかっこよく装ってくれる、優しい方だった

そんなやりとりをしばらく続けると、いわゆる「パンの時間」が来ていた。ゲーム内でのミニイベントのようなもので、キャンドル(この世界での通貨)を簡単に大量に獲得できるので時間が合えばそれに参加するようにしていた。Kさんを誘うと、おしゃれな姿そのままに一緒に同行してくれることになった

パンを食べながら他愛もないことを喋り、その流れで雨林を走ることになった。道中で「おんぶの方が楽だからそこまでスキルツリーを解放しよう」と言われ、差し出されるキャンドルをあれよあれよと受け取ってしまった


そして突然、見慣れない画面が現れた


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「アドベンチャーパスのギフトが贈られています 受け取りますか?」


アドベンチャーパスのギフト、というものの存在は知っていたが、何で!?と指が止まった。課金アイテムを自分以外の誰かに贈る機能で、その費用は購入者負担となる。しかも安くない額である。Kさんはついでにどうぞ、気まぐれに付き合ってくれい、と頑として動かず、ますます混乱した。いやいやまだ2回しか会ってないじゃないか?お酒でも飲んでるんじゃないか?翌日改めて考え直した方がいいんじゃないか?実は何か裏があるのではないかと身構えながらひたすら断るがKさんもへらへらと笑うばかりで引かなかった。ただものじゃない、とは初見の時から思っていたがまるでその意図が汲めない

10分近く膠着状態が続いていたような気がする。仕方なく自分の誕生日が来月であることを告げて、そのプレゼントという体で受け取った。晴れてその日から、アドベンチャーパス購入者特典であるペンダントを身に着けた。誇らしいような、疑念に満ちたような


後日改めてご本人様に贈った意図を尋ねました。純粋なご好意によっての行為だと判明しましたが、これは特例です。良い子はマネしないようにしましょう
行動、発言には責任が伴います。ゲーム内ガイドラインをよく読み、自分がされたら困ること、相手の嫌がることは控えましょう(自戒も込めて)



それから数日後、一番長い付き合いの日本人フレMさん(仮称)とその娘さんの3人でキャンマラに

「そのペンダントかわいいね!」

Mさんの誉め言葉に一瞬息をのんだ。いや、ポーズをくずしてまで見せびらかしている自分もアレだけれど。ぎこちなく笑いながらアドパスというものがある、ギフトで頂いた、と伝えるとMさんは笑顔でいいねー!と返してくれた。なんなんだこの後ろめたさは。まさかよくわからないフレさんからもらえたとは思うまい

その時はその場だけの話かと思い流したけれど、その翌日、Mさん親子に巡り合う機会があった

そして二人の首元には金色のペンダントが光っていた

まさかと思い尋ねてみると、Mさんがアドパスを購入したらしい。その行動力にも驚いたけれど、自分にそんな影響力があるとも思っていなかった。いやいや、ペンダントそのものが本当にきれいだったのもある。それでも言葉に出来ないなにかが込み上げてきた

それにしても3人でおそろいのペンダントを付ける日が来るとは。課金をするつもりがないと前もって話していたので自分同様購入しないだろう、と高をくくっていただけに。なんだかむずがゆい気持ちを抱え、そのまま3人で海や試練へ遊びに出かけた。大人二人が怖がって行けなかった海底まで魚のようにすいすい泳ぐ娘さんに驚かされたり、娘さんが風の試練のラストを1発でクリアしてお祝いしたり、バグでいつもより暗い火の試練も3人だとへっちゃらだったりと、それはそれは楽しい時間だった。なにより試練ではケープがないのでペンダントが良く映えて、3人並ぶ姿を見て胸がいっぱいになった

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遊び疲れて解散し、アプリを閉じてから突然涙があふれた


例えば数十年後、娘さんは今日のことを思い出してくれるだろうか。お母さんとおそろいのペンダントをもらって遊んだことを。よくわからないどこかの誰かと遊んだことを。反抗期が来たりして、ケンカして心が離れてしまっても思い出してくれるだろうか。残されたペンダントを見て何を思うだろうか。何か思うとして、そしてその一助に自分が携われたことが、どれだけ嬉しいことか


嬉しかったのか、と泣いてから気付いた。もう何年も感じたことがない感情だった


大げさなのかもしれない。自分一人が勝手に盛り上がっているだけなのかもしれない。けれども現実には心が震えている生身の人間が確かに存在していた

隣り合うキャンドルから火をもらうようなイメージが思い浮かぶ。これは自分だけの感動ではないと、泣き止んでから思った。伝えなきゃいけない。ギフトをくれたあの人に、今感じたことを伝えたい

くれた真意もよくわからないけれど、アドパス以上のとんでもないものをもらったということを伝えたい。そんな思いに駆られた



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少し昔話。

MMORPGを遊び始めたのは中学生の頃。少ないお小遣いをなんとかやりくりして月額費用を払いながら遊んでいた。夜家族が寝静まってからこっそり遊んだり、知り合った人と話しすぎて電話代が1桁増えるくらいの請求額になって怒られたのも覚えている。それでもやめられなかったのはひとえに”Play ground”ではなく”Back door”という意味合いが強かったからだと思う

またゲームそのものの価値観すら、親とは違ったと思う。ゲームしては怒られゲームしては怒られを繰り返し家族と仲良くゲームなんてのは夢のまた夢となった(ちゃんと勉強していたらこうはならなかったろうけど)。最後に記憶しているのは兄妹とマリパしたくらいか。それも多分中学生くらいの時の話だ

主観的な記憶な上、今環境にいちゃもんをつけてもどうしようもないけれど、家にも学校にもいたくなかったんだろうなぁと考えた時、やっぱりネットゲームを通じて知り合った人の存在は良くも悪くも大きかった

今自分がその人たちになろうとしている、とMさん親子と遊んだ時背筋が伸びるような思いだった

遅すぎるかもしれない。単なる「投影」でしかないのかもしれない。必ずしも子供が皆逃げ場を求めているのでもないし。そして単に昔救えなかった自分を他人を救うことで慰めようとしているだけなのでは...



と、もやもや考えたりもするけれどいい思い出が出来て嬉しいので記事にした次第。Skyに、Kさん、Mさん親子に最大限の感謝を。


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もったいないんで他の方に使ってください