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肉体に私の水を捧ぐ



青天の空の下、風光明媚な丘に私は立っている。眼下に広がるみずみずしい若草色の草原では、私の愛する友人らが次々と火だるまになり、「助けてくれ!!誰か助けてくれ!」とのたうち回っている。

切迫と使命に駆られ、苦しむ友人らをなんとか介抱しようとする。手持ちの水筒の水や体液を振り絞って鎮火に努めるが、それもただの徒労。火はどんどん強まるばかりだ。丸焼きの身体に触れると途端に私の手はケロイド状になり、造形の良かった白くて長い指は骨ごと溶けて、鈍い音と共に地面に垂れ落ちてしまう。それでもなんとか美しい湖のある場所へ連れて行こうとするが、聞き取れない叫び声とともに手を振り払われてしまう。彼らは、溶けて頬に粘着した醜い眼球を頼りに、今では幻想となってしまった各々の故郷へと向かう。

悲しくも、私は1つの(もう既に気づいていたが忘れていた)結論に至る。私がどんなに身を投げ捨て尽力しても、彼らを救うことはできないのだ。なぜなら、私にとっての死は彼らにとっての生であり、私にとっての救済は彼らにとって死を意味するからだ。そして無念にも、失った故郷を前に私たちを強く繋いでいたものは様々な苦痛であり、それ以外のものではないからだ。

私たちは、誰も救うこともできなければ、救われることもできない。唯一与えられた救済は、世界に焼かれてその身を滅ぼし、魂を浄土に委ねること。そして、私はそれを黙って眺めていることしかできない。

ついに彼(彼女)らは儀礼を終えて、その短い生涯を枯らしてしまう。かつて鮮らかで白く、清らかで汚れのなかった身体は醜くも炭化し、麗らかな春に似つかないものさびしい風に揺られて、散り散りになってしまう。

私は嗚咽を漏らし、力尽きたようにその場に跪く。行き場のない己の幸せの渇望を投げ捨て、今はただ、燃えて消えてしまった彼らの魂と肉体を弔い、その復活と幸福の繁栄をただ祈るばかりだ。

長い月日が経ち、私がかつて立っていた丘の上に私の愛する友人がいる。火だるまになった私が叫声を上げながらのたうち回っているのを、ただ呆然と眺めている。その熾烈に燃え上がる火はあまりに暴虐で、そして同時に美しい。

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