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【独白】Blue'holicの結成秘話

皆さま、お疲れ様です。今回は、僕が「ネオフジ」名義でメインに活動しているバンド「Blue'holic」を結成した頃のお話をしようと思います。メンバーも知らないであろうエピソードもお話しいたします。

割とドラマチックかつヌルッとした始まり

Blue'holicが「出現」したのは、2022年の5月。当時の僕は「Đ'EEM」というバンドに所属しており、同時に「YO;SAME」というバンドを結成して活動をスタートさせようとしていた時期でした。そんなある日、インスタグラムにDMが送られてきたのです。

「新入生なんですけど、軽音部に興味があるんです」

当時、大学2年生だった自分にとってまだ新鮮だった後輩ということもあり、僕は興味を持ちました。話を聞いてみると、彼はBOØWYやhide、JUDY AND MARYなど、僕の好きな世代の音楽とドンピシャの音楽が好きなようでした。そこで僕は彼を食事に誘いました。好きなバンドの話や高校時代の話を軽くした後、彼は切り出しました。

「一番やりたいのがブルーハーツなんですけど、そういうバンドが組めるか分からないんですよね……」

僕の答えはもう決まっていました。間髪入れず、僕は返したのです。

「じゃあ、俺がマーシーになるよ」

当時、僕はTHE BLUE HEARTSの曲をほとんど知らず。同じ世代のパンク・バンドは聴いていたのですが、THE STALINやTHE MAD CAPSULE MARKETSなど、ブルーハーツとは違う尖りまくりのものばかりでした。

その後輩の名はリョウタ。言わずと知れた(?)クレイジーなボーカリストです。

僕はその場で入部の手続きをしてもらいました。軽音部へ入部する時、Google Formであらゆる項目を埋める必要があるのですが、リョウタは「自由にコメントしてください!」という欄に「ブルーハーツをやるために入部します!」と書いたそうです。

難航したバンドの命名

ボーカルとギターが決まり、僕は残るメンバーを探すこととなりました。のちにBlue'holicでベースを務める大典は、当初の計画だとキーボードを担当し、ベーシストとして、Đ'EEMで共演していたK君に入ってもらう予定でした。ところが、大典自身が「ベースに興味がある」と言っていたことや、K君がĐ'EEMとしての活動で手一杯だったこともあり、バンドは4人編成で活動することとなるのです。

このバンド名を決めるのにとにかく苦労しました。THE BLUE HEARTSのコピーバンドということで、「Blue」という単語を入れることは決めていたのですが、そこに何を付け加えるのかが問題だったのです。

「Innocent Blue」「Rainy Blue」「Mad at Blue」

いろいろ紙に書きだしても、納得のいくものになりませんでした。悩みに悩んだ僕は、メンバーの特徴からバンド名を考案することにしたのです。

当時、リョウタの髪はペンキを頭から被ったように真っ青でした。おまけに彼はTHE BLUE HEARTSが大好きで、それは大典も同じでした。かくいう僕も、青いテレキャスターが欲しいと思っていたのです。

このように、当時確定していたメンバー3人は「青」に関わる出来事の中にいました。この事から、「この3人、青中毒やな……」と感じた僕は、「中毒」を意味する接尾辞「-holic」と組み合わせた「Blue'holic」というバンド名を生み出したのです。「'」という記号をバンド名に組み込んだのは、言うまでもなくD'ERLANGERからの影響です。

Blue'holicのロゴ(左)。CRAZEのロゴ(右)を意識しました。
下線の色はメンバー4人のイメージカラーです。

バンド名を考案し、残るはドラマー探しだけだったのですが、すぐには終わりませんでした。Đ'EEMやYO;SAMEとしての活動に追われていたこともあり、Blue'holicとしての活動をすぐに始めることが難しかったのです。リョウタには頭を下げ、待ってもらいました。

どん底から始まったBlue'holicの「侵攻」

2022年7月。ボーカルの聖和さん(現・大淀リバーズ)の留学や、自分の自信喪失により、Đ'EEMは活動休止となりました。同じ時期に初ライブを行ったYO;SAMEも、自分の不徳の致すところで解散してしまいます。

もしBlue'holicとしての活動を事前に計画していなければ、この時点で僕は軽音部を辞めていたでしょう。これからの活動に期待を抱いていたリョウタ達とは裏腹に、僕にとってはどん底からのスタートでした。

振り出しに戻った僕は、ドラマー探しを再開します。とは言っても、既に目星を付けてはいました。声をかけたのは、当時の部長から話を聞いていたドラマーの蘭。経験豊富な彼女こそバンドに必要だと思ったのです。また、蘭はリョウタと同い年なので、先輩ばかりの環境で彼を緊張させないようにという配慮の意味もある人選でした。

断られるのではないかと不安でしたが、結果は快諾。こうして、「Blue'holic」というパンク劇団の役者は揃いました。

初ライブに向け、僕らは練習を進めていきました。リョウタはヒロトのごとく全力で叫び、広いホールでの練習であってもハウリングを起こしまくります。そして僕も大典もアンプの音量を出来るだけ上げてガシガシと弾き、蘭はパワフルな8ビートを連発するのでした。

そして迎えた2022年11月。Blue'holicは初めてステージに立ちました。軽音部が主催したライブのトップバッター。まだライブ慣れしておらず、一度でもミスすれば「うわあやってもうた……もう無理や」と脳内で軽くパニックになっていました。そして2曲目の「リンダ リンダ」。頭が真っ白になり、チューニングを直すことも考えられずに僕は狂ったようにギターをかき鳴らしました。パンク・ロックとして考えれば良い演出なのでしょうが、演奏のクオリティで考えれば論外。出演後、僕は楽屋でうなだれていました。

Blue'holicの初ライブの一幕。頭が真っ白でした。

最後に

こうしてグダグダなスタートを切ったBlue'holic。実は結成当初、「一度ライブをやれば、リョウタは飽きて辞めるんだろうな」と僕は考えていました。それが今となっては、結成から2年を迎える、軽音部でも長寿のバンドの1つになったのです。

2024年もBlue'holicは活動を続ける予定です。皆さまのご声援を頂ければ幸いです。

今回もご覧くださいましてありがとうございました!

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