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座高

 学校の身体測定で座高を測ったことがあるか否かというのは、世代を分ける区切りの一つではないでしょうか。
 座高の計測を止めることになった理由が奮っています。

「意味がないから」。

何のためにやっているのかよく分からないけど、とりあえず前例踏襲。こんなところにも日本社会の悪弊がこびりついているのが何ともやるせないところです。


 そもそもどうして座高なんてものを測ることになったのか。阿部寛が我々日本人を「平たい顔族」と嘲笑したのと同様に、WHOあたりが我々を「足短い族」と罵倒するために計測するよう推奨したのかと思っていたら、豈図らんや旧大日本帝国自らが決めたことらしいです。曰く、胴の長さは内臓を収める容積に関わる云々。
 何となく分からないでもない理屈ではあるものの、頭身の高い欧米人は内臓がギチギチなので不健康という理屈になるわけもなく、何のためのデータなのか分からないまま長年続いていたというのだから、あまり外国には知られたくない話ではあります。
 さて、事ほど左様に無意味な物として扱われることになった座高ですが、我々ヅカオタをはじめとした舞台を愛する者にとっては死活問題です。

正確には、自分と言うより前の座席の人の座高が。

 前の人の座高が高くて視界が遮られたときは、テンションが音を立てて下がりますからね。私もある公演で、大劇場の前方上手端っこの席だったときに、舞台中央への視線が被る左斜め前の席にすごくガタイの良い外国人男性が座り、ちょうど舞台中央の視界1/3が男性の頭という目に遭ったことがあり、そのときは3時間スンとした状態で座っていました。


 この「前の人の座高問題」のたちの悪いところは、誰が悪いわけでもないというところです。背の高い人は観劇するな、なんて暴論は却下ですし、座高を下げるようにお尻を前にずらしてずっこけて座るにしても限度があります。私自身、ごく平均的な身長ではあるものの男性である以上他の方と比べればいささか座高が高くなるので、少しずっこけ気味に座るようにしています。ただ、それを当然だと思って欲しくはないな、と思っています。個人的に、後ろの方に「こいつ邪魔だな」と思われたくないのでそうしていますが、結構腰とお尻に負担がかかりますし、自己犠牲の精神まではないので、私自身の前の人が背の高い人だったらピンと姿勢を正して観劇します。最近は男性ファンが増えていますし、身長の高い女性も増えているので、この問題は今後増えることが予想されます。


 これを解決する策はただ一つ、座席の座面の高さを調節するしかありません。しかも、客が任意に調節できてしまうと、NBA八村塁選手並みの座高にする輩が出てくるのは火を見るより明らかなので、自分の座高を入力すると自動で予め決められた座面の高さに調節されるような仕組みが必要です。それ相応の費用やら何やらかかるでしょうが、エンターテイメント部門は阪急阪神HDの収益に十分貢献していますし、小林一三翁の精神を体現するためにも有益な投資かと思われます。


 そう遠くない将来、ヅカオタがこぞって座高を測定するようになるかもしれません。

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