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マメを育てる〜その5〜

どうも香川県三豊市で写真撮影・映像制作会社を営んでおります、
藤岡優(ふじおかゆう)です。

丁度一ヶ月前から、私の長〜い自己紹介をその2その3その4と書いて来たわけですが、
そんなタイミングでなんと、「三豊ほんまもんラジオ」から私の生い立ちを聞きたいと取材いただき、恥ずかしながらその気になってnoteに書いた内容を一人でぺちゃくちゃ話していたら、気づいたら2時間半立っていました。。。
もう少し上手くまとめないとと思いながらも、どれも大事な出来事なので、noteではできるだけ細かく書いていけたらいいなと思います。

【東京生活】映像制作会社時代

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さて、「俺はBIGになる」と東京のアットホームな映像制作会社でAD(アシスタントディレクター)として働きはじめた私。
当然入社するまでは、映像業界の事は何も知らないズブズブの素人。
かっこいいオフィスにMacが与えられ映像クリエイターとして映像を制作するイメージを夢見ていました。↓こんな感じ。※イメージです。

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まぁ「そんなわけあるかい」なのですが、思いの外ADの業務は過酷と言うかその当時僕がイメージしていた映像制作とはかけ離れていました。

当たり前っちゃ当たり前なんですが、それまで私は一人の映像クリエイターがかっこいい映像を作っていると思っていましたが、ちゃんと役割分担されていて、世に出回っている映像はクライアント、広告代理店、ディレクター、プロデューサー、照明さん、カメラマンさん等々、多くの人が関わっていることを知りました。

下っ端ADの業務は主には撮影の段取り。
香盤表(撮影スケジュール)の作成、撮影許可申請、機材の準備、必要備品買い出し、諸々手配等。

映像制作に関わっているとは言え、なんの実感も持てない日々に苦戦しておりました。

一方私生活はというと、、、、
それまでも東京に行ったことはありましたが、
テレビで見る華々しい生活やイケイケの人たちにできるだけ馴染もうと頑張ってオシャレしてみたり、田舎者と思われないように高いビルは見ないようにしてみたり、キョロキョロしないで「人に興味がありません」的な目を心がけたりと、、、、

一歩外に出ると、
「俺東京でバリバリやってます感」
を出さないと行けないので、だんだんしんどくなって。。。
仕事もなかなかうまく行かず、大学時代にみなぎっていた自身もなくなっていき、東京にいる地元の友達にも会いたくなくなっていき、、、

「外出しなければ良いんだ!」


となり、五畳半の狭いアパートと職場の行き来だけとなっていきました。
そんな生活は長続きせず、映像の仕事はもういいや。。と仕事は退職。

こんな感じで超ベタに「俺はBIGなる」と勇んで東京に出た私ですが、
超ベタに「おもてたんとちがう」と東京に飲まれて1年10ヶ月。

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ふと電話で言われた母親の「帰ってきたら?」の言葉に、
即答で「うん」と。

その頃の私は、
その言葉を誰かが行ってくれるのを待っていたのかもしれません。
負けを認められず、自分で帰ると決められなかったのです。

そんなこんなで東京にフルボッコにされて、
25歳の私は母親に背中をおされ、三豊市仁尾町に帰ってくるのです。。。

続きは来週。
今週もありがとうございました。



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