高いのか?

好きなことを成すには、好きなものを手に入れる。それは道具であったり手段であったり、それらの商品やサービスを買う。こと自転車においてもそのまま当てはまる。

そして、なるべく安く良いものを買いたいという思考は自然なことだと思うが、パーソナルメディアの影響が無視できなこの頃、安く買える!とか、セール情報とかバンバン情報出しているヤツを見ているとゲンナリする。

需要と供給のバランスは生産における大きな課題であるが、仕組みに問題を抱える事業者の施策と思惑は相反するものである。今や社会問題として広く認知されている通りだ。それを理解した上で在庫処分などしなければならない生産システムからは早く脱却すべきと思うが、その取り巻きがウザい。

安く販売するとどうなるか、そんなこと誰だってわかることだ。だから売れ残ってしまった商品は多少コストをかけてでもアウトレットで静かに出会いを待っているのだ。安売りを助長するオンラインメディアや自称インフルエンサーやSNSのレベルの低さに悲しさしかない。

これが安い!とかコスパ最強!などという発言に文化を育てようという愛はあまり感じられない。もちろん当人は良かれと思ってやっているのだろう。好きなことはより多くの人に共有して、顧客と販売者と生産者、そして地域や環境に対してメリットが分散されるようなマインドを持って欲しいと願う。

その点で、個人売買はまたちょっと違っているように思われ、独自のマーケットを構築している。保証がなくリスクはあるがリユースが成り立つサービスである。メーカーの希望小売価格と個人売買の価格相場は全く違うものとして認識され比較されても納得のいくものと考えられる。

だけど、正規販売においては値下げは大きな問題だ。安売りは生産者も販売者もやりたくてやっているわけじゃない。そんなことくらいわかるだろう。そして値下げされた商品に文句をつけるな!在庫がないとか色がないとか当たり前だろう。なくなるべきタイミングで在庫がゼロに近い方が理想的なのだよ。プレオーダーのみで展開するところも増えているのだから、いかにロスを出さないかという点は重大な問題なのだよ。今や消費者がそれを監視する時代に入っているのに、安売りだ!わーい!とかやってんじゃねーよ。

定価というのは、あらゆるステークホルダーに配慮された、およそマーケットが定めた適正価格なのだよ。定価で買ってくれるから文化が育つ。利益分配されない安売りなんて、とりあえずゴミを出さないという点においては有益だが、その他は何もいいことはない。

それよりも値崩れの原因となるわけだから、カルチャー全体としてはネガティブ要素の方が強い。そして販売価格は価格が下がっても利益を取れるように利率をさらに上げたり、大量生産でコストを下げアンフェアな取引につながっていくという負のスパイラルに落ちてゆく。

今時は透明性を担保せよなんてことは当たり前の時代なので、フェアトレードはマストだし、環境への配慮もマスト、アニマルウェルフェアもRRRも、そんなことも踏まえていくと安売りはしていては循環経済を形成できないし、消費者はなるべく定価で買うという選択を取るのが理想だ。

安物買いの感覚が身につくとどうなるか?自転車産業の不都合だけでなく、社会的な影響にも繋がっていく。そのようなマインドセットはサイクリングに出かけてもお金を使わない。いい意味では倹約家であり、悪くいうとケチ。ランチやおやつくらいはお楽しみにしている人は多いだろうけど、宿泊やお土産などといった地域に還元する経済効果は弱まってくる。

だからブランドはそのようなユーザーはターゲットにしない。都合のいい時だけパーソナライズした広告で利用する。

かつてあったラファトラベルのランドネクラスは1週間のツアーで参加費がおよそ80万強。参加者は15人。つまり予算はおよそ1200万で回すワケだが、これは儲かるビジネスだと思うだろうか?

毎日上質な宿に泊まって、パーソナライズされた地域の食を提供して、ソワニエとメカニック、マッサー、ライドリーダーを含むスタッフが何人も動いて、サポート体制は万全。ざっくり計算してみても足りているのか怪しい。

つまり金額だけみると高いと感じられるが、サービスの内容に対してラファトラベルの金額設定はかなりリーズナブルなのだ。ちょっと極端な例だが、、、

金額に見合った体験を提供するには、それ相応のコストが掛かる。ハイレベルなサービスを提供するには知識やスキル、人足も道具も必要だ。

私は仕事でサイクリングイベントを企画したりするのだが、例えば1日で簡潔する50kmくらいのサイクリングイベントを計画したとしよう。私一人で対応すると仮定すると迎えられるのはせいぜい4人か5人だ。

3万円の参加費と、1万円、5千円、500円… あるいは無料

3万円の満足度って相当レベル高いでしょうと想像するわけで、それなりに利益も取れるでしょうと思うわけだが、コンテンツの中身を考慮して良いバランスを取るには一人では無理。そもそも3万円の50kmのライドイベントに参加するサイクリストがどれだけいるのか?日本には居ないだろう。

1万円のイベント、安いと捉える人はいないだろうけど、少人数でやるなら最低でもこれくらいは欲しいというところ。副業として考えられるラインだろう。でも高いって言われると思う。

5千円の参加費は経費をカバーする程度で、赤字スレスレのラインをいく。

500円、無料では無いから参加者の意識は高い水準に保てるだろう。だけどその500円はなんのため?保険はかろうじて掛けられるけど、イベントは慈善活動と言える。

無料のイベント。これも慈善活動であって、利他の精神でのみ成り立っていて、どんな人でも受け入れるということか。つまり経済的には確実にマイナスであって、それ以外の崇高な価値観においてバーターが成立しているということだ。

主催者側のこのような事情とは裏腹に、適正価格の感覚というのは大きな差を感じる。商品価格、体験価格、社会への影響を考慮した価格基準というのはちょうど良いところで成り立っていないと感じる。

やる側からしてはっきり申し上げると、このようなことをビジネスとしてやりたくても生活の基盤とはなり得ない。かといって参加する側からすると高いと感じられる。私の立場から言えば、これまで”ブランドの予算でやってきたからできたこと”とから、今後サイクリングカルチャーが社会に浸透していくために、”次なるレベルに上げていかなければならない”と考えているので、これは解決すべき問題である。

なぜならば、サイクリングを嗜む人々が地域のガイド役として活躍するシステムが必要だと思うからだ。旅先での案内人に対してちゃんと等価交換として成り立つ価値基準を持って旅をしてもらいたいと思うからだ。

地域の人の多くは、そんなの要らないとお断りされる。奉仕の精神でおもてなしをしてくれる。それはとてもとてもありがたいことだと思うけど、好きなことが仕事になって、旅人との関わりが新たなコミュニティを形成して、それが関係人口として地域に還元されるということが成り立つとするならば、より良い持続性につながるとは思いませんか?

今に始まったことではないけれど、この価値問題、本当に困ったもんだね。

市場価格がバランス取れてないということは、誰かが損をするような状況であるし、そんな状況では文化は成長しないし成熟もしない。

こうなるとスポンサーを探して協力してもらおうなんて話になりがち、だけど節度あるユーザーに参加してもらわないとスポンサーメリットなんてありゃしないのだから、スポンサーシップも成り立たたせるのはかなりハードルが高い。つまり手間がかかる。やりたきゃやる。

ロードレースのスポンサーは企業オーナーの趣味だと言われる。そして持続性がない。道路での観戦にはお金がかからない。しかし、レースを運営する側は莫大な予算をかけて運営している。スポンサー様様ありきのレースにおいて、スポンサーの利益を見える化することは至難の技であろう。

お金やビジネスのことをよくわかっていないやつがグダグダと書いているが、ちゃんとお金のビジネスの勉強をすれば、資金が巡る仕組みを構築できるのだろうか? 市場価格の適正化ということも実現可能なことなのだろうか。

ラファのウェアは高いって? そんなことを言われるたびに「高くねーよ!市場価格が崩壊しているんだよ。」っていつも思うし言っている。でもそれは私がコントロールできることではない。しかし、ラファであろうとなんであろうと気に入ったウェアを定価で買って乗った方が断然気持ちは晴れ晴れして濁りなき澄んだ心持ちで爽やかなライドができると思っている。

アパレルの取り扱いをちゃんとやっている販売店は年々減っているよね。アパレルもサイズやモデルを揃えないといけないし、セルフレジではなかなか動いてくれないのでちゃんと接客してユーザーのサポートをする必要がある、売り場の占有スペースの割りに利益率が低い、そこに時間も予算も費やしたく無いと考える販売店は多い。ちゃんと利益を取れて売っているお店はしっかりと担当者がいてガッツリやってる。そうでなければ、特に小さな販売店はアパレルには手をつけず、一台でも多く自転車を売った方がオペレーションもシンプルで効率も良いというわけだ。そもそも在庫を持つ店はガッツリ持つし、持たない店は本当に持たないと、両極によっている。在庫を持たない店はバイクショップではなくバイシクルスタジオと言われる。そんな時代。

リテールでもイベントでも利益はちゃんと載せたほうがいいですよ。って言ってくれるありがたいお客様もいる一方で、イベントを現実的なラインに載せるのは、非常に頭を抱える。まずは消費者のマインドを高い水準に上げていくことが必要だろう。

しかし、今回はグチったなぁ、、、支離滅裂だし、なんか罪悪感すらあるくらい、、、

しかし、これはアプローチのやり方次第ということも言える。ネガティブな要素はとりあえず置いておいて、ポジティブな要素を伸ばしていくしかない。健康に良いこと、環境にいいこと、社会にいいこと、楽しさと合わさって伸び代がたくさんある。結局ポジティブマインドが人を惹きつける。

ポジティブマインドを持つために、私はプロパーでいく。

そういふものにわたしはなりたい



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?