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魅惑のSuper-Farron 76mm f0.87

ウルトラハイスピードレンズの一つ、Super-Farron 76mm f0.87について熱く語る記事です。この記事を読み終わるころには、きっとあなたもSuper-Farronが気になっているはず。


Super-Farronとは

「Farrand Super-Farron 76mm f0.87」
まるでPentax Super Takumarみたいな響きの良さがある。アメリカ、ニューヨークのFARRAND OPTICAL CO., INC. という会社が1956年に出したハイスピードレンズです。

アメリカを感じるSuper Farronの広告

設計者はXenonの設計者でもあるトロニエ博士(Albrecht-Wilhelm Tronnier)と言われています。(この辺の経緯はM42 Mount Spiralさんが詳しい)

Super-Farronのレンズ構成図

レンズ構成は9枚。変形ガウスタイプと言えるのでしょうか。1956年発売です。オシロスコープの画面キャプチャ等、とにかく低照度での高速撮影を目的として開発されたようです。

使用用途

加速器の検出器として

レンズが明るいことは様々な利用用途を生み出します。実際、アメリカの研究機関で多く使用されていたようで、少し調べただけでもいくつかの論文に名前が残されていることが分かりました。
マサチューセッツ工科大学が出した論文には、ブルックヘブン国立研究所にあった陽子を加速するシンクロトロン、コスモトロン(Cosmotron)で使われていた実績が記載されています。

コスモトロンでの陽子と中性子の相互作用の検出結果

Because the 3-stage RCA tube and the orthicon have curved faceplates and because fast optical coupling is necessary,
we had the Farrand Optical Company design an f/0.87 lens system to match that curvature. These lenses have proved quite satisfactory, but they do introduce vignetting.
However, because we had an order of magnitude in light-gain to spare in our system, we were able to put neutral density-filters at the output of the 3-stage tube to more or less compensate for this vignetting.
3段RCA管とオルシコンは面板が湾曲しており、高速の光学カップリングが必要なため、Farrand Optical Companyにその湾曲に合わせたf/0.87のレンズシステムを設計してもらった。これらのレンズは非常に満足のいくものでしたが、周辺減光が発生します。しかし、私たちのシステムには1桁分の利得の余裕があったので、この周辺減光を多少なりとも補正するために、3段の増幅管の出力にニュートラル・デンシティ・フィルターを付けることができた。

AN IMAGE INTENSIFIER SYSTEM / Nuclear electronics I International atomic energy agency 1962

一方、ローレンスバークリー放射線研究所の陽子加速器ベバトロン(Bevatron)での使用実績もあります。ここでは、3段のイメージインテンシファイアのカップリングとして4本のSuper-Farronが使用されていたようです。


The Luminescent Chamber System

At the Bevatron of the Lawrence Radiation Laboratory, particle tracks in activated sodium-iodide crystals were photographed using a cascade system of three-image intensifier tubes.
ローレンス放射線研究所のベバトロンでは、活性化されたヨウ化ナトリウム結晶中の粒子飛跡が、3つのイメージインテンシファイア管のカスケードシステムを使って撮影された。
The image tubes are coupled together by lenses as indicated in Fig.1. The coupling between the first two tubes employs the fastest lenses readily
available, a pair of Farrand f/0.87, 76-mm "Super-Farrons". 
撮像管は、図1に示すようにレンズによって結合されている。最初の2つの増幅管の結合には、入手しやすい最速のレンズ、Farrand f/0.87 76mm "Super-Farrons" のペアが使われている。

THE LUMINESCENT CHAMBER AND ITS USE IN HIGH-ENERGY PHYSICS EXPERIMENTS / 
Nuclear electronics I International atomic energy agency 1962


宇宙開発用として

National Aeronautics and Space Administration、つまりアメリカ航空宇宙局=NASAでも使われていました。ATS-3はアメリカの実験用静止気象通信衛星で、1967年に打ち上げられてからから2001年まで長期間運用されていました。これに搭載する自己完結型航法システム(SCNS)としてSuper-Farronが使用されていたようです。

自己完結型航法システム(SCNS)全体図

Objective Lens: An f/0.87 Super-Farron objective lens having a
30 degree field, a 76-rm focal length and a 40-rn diameter image
plane.
対物レンズ: 視野角 30度、焦点距離 76nm、結像面直径 40nm の f/0.87 Super-Farron 対物レンズ。
The lens assembly was an off-the-shelf item manufactured by the
Farrand Optical Company.
レンズアセンブリは、Farrand Optical 社製の既製品でした。

SELF-CONTAINED NAVIGATION EXPERIMENT / National Aeronautics and Space Administration 1969
SCNS光学系の概略図

Data taken during the experiment revealed a loss of sensor sensitivity to off-axis sources. Relatively bright stars having visual magnitudes around 1.5 lying five to ten degrees off the optical axis were not regularly detected. This was due principally to the severe vignetting of the Super-Farron lens. The effect is observed in Figure 1-4 which shows the light transmission characteristic of the SCNS optical system with off-axis position.
実験中に取得されたデータから、軸外光源に対するセンサーの感度が低下していることが判明した。光軸から5度から10度ずれた位置にある視等級 1.5等級前後の比較的明るい星が検出されなかった。これは主にSuper-Farronの周辺減光のためである。図1-4は、その影響によってSCNS光学系の光軸からずれた位置での光透過特性を示している。

SELF-CONTAINED NAVIGATION EXPERIMENT / National Aeronautics and Space Administration 1969

2001年に運用を終えたとはいえ、宇宙、正確には地球の静止軌道上(高度35,786km)にある衛生を回収できるわけではありません。つまり、衛星ATS-3や、それに搭載されたSuper-Farronは今でも地球の周りを回り続けているということ。現存するレンズのうち1本は宇宙にあるというのは、かなりロマンのある話だと思いませんか?

しかしこうやって論文を見ていると、みんなSuper-Farronの周辺減光に苦労しているのが面白いです。イメージサークルは40mmを称していますが、実際には周辺減光があり完璧ではなかったのでしょうね。

入手と実用化

我が家のFarron

レンズの入手

そうして様々な利用用途が開発されたレンズでも、いつしかお払い箱になる時が来て、それが巡り巡って今、自分の手元にある。いったいこのレンズは今まで何を写してきたのだろう、という事を考えるだけでワクワクするものです。

前玉径は88mm
お尻は一気に小さく落ちている

レンズはeBayで、送料含めて437ドル=68,000円という金額で入手できました。これが安いか高いかは人によるところでしょうけど、個人的には10万円は超えるイメージだったので、円安にもかかわらず安く入手できたなという感覚です。
入手してから知ったのですが、銘板は金文字で高級感があります。New-Yorkと刻印されているのも特別感を感じるところですね。
この手のハイスピードレンズのなかでは珍しく、絞りが付いています。絞り羽根の枚数は個体によって異なるのですが、私のものは5枚羽根でした。
無限遠、1/16縮小、1/4縮小にそれぞれ補正をしたものが存在するようですが、私の個体には特別なマークは無く、どのタイプなのか定かではありません。

カメラを作る

超大口径レンズのバックフォーカスは短いことが常。無限遠を出そうと思うと、後玉のすぐ近く数mmのところまでイメージセンサを近づけねばなりません。通常、イメージセンサの前にあるモノ…つまり一眼レフであればミラー、シャッターや、ダストリダクション用のピエゾ素子、レンズとの通信端子すら撤去しないと無限遠は出ないのです。先人達の多くはその時点で諦めてきたのでしょう。

しかし、ミラーレスカメラが台頭した今、電子シャッターを搭載したカメラなら勝ち目はあります。X-T10のシャッターユニットを撤去、イメージセンサへ繋がるFPCを延長しM65ヘリコイドに組み込みました。

魔改造されたX-T10

魔改造されたX-T10はフランジバックが-5mm。初代はUV/IRカットフィルタ含め純正をそのまま使っていて、他のレンズでは全く問題なかったのですが、Super-Farronは無限遠が出ませんでした。
イメージセンサとUV/IRカットフィルタまでの間には僅かな隙間があるので、それすらも削減するためフィルタの押さえを3Dプリンタで自作。
この構成でやっと、後玉までぴったりイメージセンサを密着させることが可能になり、Super-Farronでも無限遠を出すことができるようになりました。
この辺は作る経緯を含めて別の記事でもう少し詳しく解説したいと思います。

マウントアダプタも作る

X-T10にマウントしたSuper-Farron

そしてカメラはあってもマウントアダプタが無い。まぁそりゃそうでしょう、生産本数は全世界で高々数百本しかないのですし、どんなボディに付けるかなんて知ったことではありません。
こちらも自分のカメラに合わせて設計、3Dプリンタで製作しました。
最近の3Dプリンタは細目のネジでも結構綺麗に造形できるものなんですね。いい時代になりました。

いざ撮影

そうして難関Super-Farron 76mm f0.87の撮影へ。

意外と普通

最初に感じた印象は「あれ、意外と普通…」でした。解放だとハイライトに滲みはありますが、ミッドトーンからシャドウにかけては全く油断のない写りでシャープネスも十分。絞れば現代レンズと変わらないのでは?と思うほどになります。まぁこの手のレンズに絞りが付いている事そのものがイレギュラーではありますが…

ハイライトの柔らかさと解像感が同居する
アウトフォーカス部分の緩さが心地よい

「あれ、これ普通のレンズじゃない?」そう思うほど、平和な写りで安心感があります。
今回はAPS-Cカメラでの撮影なので、画角的には換算114mmと少し扱いが難しい領域になってきますが、それを感じさせないくらいの余裕。
前述のとおり、イメージサークルは40mmをカバーしているようなので、フルサイズでの写りも気になりますね。

平和だ

他のハイスピードレンズ(=X線間接撮影用)と比べれば収差の量は非常に少なく、撮影していて本当に楽でした。

まとめ、そして最後に

ということで、コレクターズアイテムのFarrand Super-Farron 76mm f0.87を実用化してみたら案外普通の写りだった、というのがまとめになります。
インターネットを少し調べた限りでは、このレンズで無限遠撮影できている人は居なさそうです。世界初ではないかもしれませんが、インターネット初は名乗ってもいいかもしれません。
我が家には実用化できていないレンズ、実用化したけど撮影できていないレンズがまだまだ沢山あるので、こつこつ進めて公開していきたいなと思います。

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