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「理解ある彼くんにならなかった」経緯

こんばんは、表題通りのイツカです。
前回のつぶやきへ予想外に早く反応があり、感謝と謝罪の気持ちでいっぱいです。眠れません。


八月三十一日、PC部屋で彼女に「出て行って、別れて」と告げた。

きっかけは今思えば本当に些細なことだった。リビングのテーブルでイツカのスペースとなっている場所(長方形の短辺の方)で、彼女が食事をして、食器を片付けていなかったからだ。
自分はいつも必ずその場所には座って食事などができるように片付けていたが、彼女のスペース(長方形の長辺の方)の座面には脱いだ服やカバン、卓上には郵便物や書類などがあり、食事をすることは困難なのは理解できた。
何時かは分からなかったが起きて、お腹が空いて、座れる所で座って食べる。これもまだ理解できた。

その食器を片付けなかったことで、彼女に対する失望の限界がきてしまった。
確か食器を片付けてから別れを告げて、「自分のスペースで勝手をしたから」と理由を付け足した。

彼女は「沸点が低いんだね」と軽く話して、すんなりと薬指の指輪を自分に渡した。
まるで自分は家事をやらなくて当然、と思っているようにみえて怒りも沸いたが、それよりも残念な気持ちが先行してもう何もできなかった。

イツカが限界を感じてしまうほど、彼女は家事をやらなくなってしまった。
「あとでやる」の「あと」とは一体いつなのか、待つより自分が動くという楽な方法を選択し続けて、「あと」はもう来なくなってしまっていた。

自分が彼女を甘やかしすぎてしまったせいで、彼女の生活の一部を欠かしてしまった。
連日薬を飲んで欲しいという声かけにも反応せず、布団を引っ張る姿にも耐えがたいものがあった。

それから数日は、お互い腫れ物に触るような雰囲気があった。そう感じていたのは自分だけだったかもしれないけれど。
何日かして、彼女は出て行くまで波風を立てないつもりだな、と解釈して、引っ越しの手配の経過をみていた。

引っ越し費用をどうするか、という問題でお互いの親が顔を出すまでに揉めてしまったが、最終的にイツカの父親が自分が見たこともないような親っぷりを見せてくれて解決に至った。

その間も彼女は家事をまったくしなかった。カーテンの開け閉めから、ゴミ出し、炊飯、台所の片付け、食卓の片付けも後回しにして寝たりPC前に座ったりしていた。
気まぐれに洗濯をしてくれたが干しっぱなしで、取り込んで畳むのはイツカのほうだった。

突然泣き出す、というようなことはなかった。彼女もきっと何かを抑えていたのだと思う。そう願ってしまう。積もりに積もったものが、食器ひとつで崩れてしまったのだから。
いっそ何も考えず、ただ別れろ出て行けと言われて別れます出て行きます、と思ってくれていてもいい気もしている。

あとはつぶやきで投稿したように、来月はじめに彼女が引っ越す。イツカは介護の仕事が上手くいかず一人での生活がままならないので、親の言葉に甘えて実家に戻る。

(もちろん彼女だって一人での生活はイツカ以上にままならないのだけれど、生活保護と訪問介護と訪問看護という、イツカと同居する前の状態に戻るだけである)

引っ越し費用で揉めた際、「頼ってこないんだから」という父親の言葉にはっとした。そこでアルバイトをしながら介護(ケアマネージャー)の勉強をすることに決めた。

経緯としては以上になる。

「理解のある彼くん」に「なれなかった」のではなく「ならなかった」と表記している所は、後日理由を考えてみる。気持ちの整理はついているつもりでも、どこか言語にしづらい部分があるので、それに向き合いたい。


最後に、このnoteは残して、続けていく予定です。
形は変わってしまいますが「イツカ」という存在を消したくない気持ちがあります。しばらく改装期間があると思いますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

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