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「アバター近藤が解説する業界史~逆タイムマシン経営論614」

皆さん こんにちは アバター近藤です。
「逆タイムマシン経営論」として、業界唯一の経営情報誌であるフィットネスビジネス誌のバックナンバーを引用しながら、それぞれの年のトピックスや記事について、示唆することは何かをアバター近藤なりに解説していきます。
「歴史に学ぶ」とは良く使われる言葉ではありますが、フィットネス業界史について、詳細に検証した文献は恐らくないと思いますので、これから良い歴史を作るために何かしらのお役立てになれば大変うれしく思います。

~Fitness Business通巻第19号(2005.7.25発行)「ヨガ/ピラティス」2~※名称等は当時、一部文章省略

ヨガブームの仕掛け役(ティップネス)
日本のクラブのうち、アメリカで発生したヨガブームに最も敏速に反応したのはティップネス。
2002年10月、ティップネスは全店でアメリカ的な要素を取り入れたニュースタイルのヨガを導入した。
「アメリカのトレンドは3年遅れで日本に入ってきます。アメリカでヨガがブレイクしたのは1998から1999年にかけてのこと。2002年の日本はまさにそのタイミングだったと言えます。」
株式会社ティップネス・マーケティング本部F氏はそう語る。
当時、ティップネスが取った手法は「統合マーケティング」という考え方。開発からパブリシティを含めたプロモーションに至るまで、一貫したコンセプトや戦略に沿って行うものである。
ニュースタイルのヨガの開発・導入に合わせて販促物にもヨガを積極的にフィーチャーするなど最前面で訴求していった。
この結果、消費者からの反応は期待したものよりも大きく、導入してから現在までの延べ参加者が03年で38万人、04年で51万人、05年見込みで70万人超と、投入本数、参加者数ともに右肩上がりを続けている。

現在、ティップネスは3つのヨガクラスを用意している。
全身の筋肉をバランスよく使い、脂肪燃焼を目的とする「スクイーズヨガ」、バランス運動など姿勢を整えるヨガポーズを行い、理想的なボディラインを作っていく「ハリウッドヨガ」、パワフルなヨガポーズをテンポよく行う「パワーヨガ」とあるが、それらの強度はスクイーズヨガが最も軽く、ハリウッドヨガは慣れてきた人向け、パワーヨガは本格派となっている。
「既存店では総投入本数のうち10%をニュースタイルヨガが占めており、それは3つのプログラムから構成されてます。中でも一番人気なのは、強度がそれほど強くもなく弱くもない、適度なレベルのハリウッドヨガです」(F氏)
同社が監修したヨガビデオは通常の書店のほか、AmazonやHMVなどでも好調に売り上げを伸ばし、既に1万本以上の販売実績がある。
そうしたメディアの影響もあり、「ヨガをやるならティップネス」と集まってくる会員も目立つ。

2005年、ティップネスはヨガを主力プログラムとした「TIPNESS ONE」をオープンした。
全プログラム数のうち40%をニュースタイルのヨガとし、プログラムについても非常に豊富なバリエーションを用意した。
「TIPNESS ONEがターゲットとするのは、属にF1層(20~35歳女性の顧客セグメントを指すマーケティング用語)とカテゴライズされる人たちです。その層においてはヨガに対する興味や必要性が非常に高い。そこでスタジオプログラムの中心をヨガに置き、洗練されたデザイン空間のなかで楽しんでもらおうと思ったのです」(F氏)
F1層もフィットネスクラブの履歴により大きく2分することができる。
一つは、現在フィットネスクラブに通っている、または以前通っていた「顕在化」の層、もう一つは運動経験が乏しい「潜在化」の層である。
TIPNESS ONEは、前者に対してはもう少しレベルアップしたレッスンを受けられるように、また後者にはヨガから気軽にフィットネスを始められるよに配慮した。
結果、同クラブのヨガプログラムは初心者レベルから上級者レベルまで、また健康・美容の維持を目的とするものからヨガの奥深さや精神の開放を学ぶものまで幅広い。
現在、会員の男女比は15:85。
もう少し男性顧客を開拓したいところだろうと思われるが、同クラブではヨガ・ピラティスが全プログラム数の60%を数え、それらを主力としている旨、広告等でアピールしているためにやむを得ないとも判断している。

~ここまで~

TIPNESS ONEは池袋と日比谷に2店舗展開されたものの、ともに2011年に閉鎖となり、5・6年ほどの短い運営期間となる結果でした。

洗練された施設デザインや雰囲気、圧倒的なヨガプログラム数で当時、業界で話題となったことも事実です。
ということで、アバター近藤も早速、施設体験に行きましたが、その雰囲気を心地よいと感じる層は記事にあるメインターゲットのうち更にコア層のみだろうなと思ったことを覚えています。

白を基調とした無機質な空間に、ほとんど言葉を交わさない会員様、有酸素マシンの機械音だけがシャカシャカと鳴り響く様子は良くも悪くも異空間と呼べるクラブだったと思います。

ただ、当時よりも濃密なコミュニケーションを忌避する傾向のある現代の若年層に対し、もう少しダウンサイジングした施設で同コンセプトを訴求したら、ひょっとしたら持続可能な運営ができるかもしれません。
いずれにしても当時としては斬新すぎたように思えます。

お読みいただきありがとうございました。

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