2月22日(火):「集権」と「分権」

昨日は「現場起点」としたブログを記しましたが、本日はこれに関することをもう少しばかり。

そこで触れたようなお客様起点、現場起点で何かを自由に発想し、柔軟な取り組みをしていこうと思えば、その土台として現場主権の運営が要ります。

私たちのような会社組織でいえば、できるだけ権限移譲することが現場主権に近づく側面もありますね。

ただ、何もかもを現場任せでは、これは単なる放任に過ぎないし、組織全体としての方向性を失いかねません。

そこで考えるべきは「会社」と「クラブ(店舗)」における「集権」と「分権」についてです。

この点は地方自治体などでの「統治」と「行政」の関係に重ねあわせていくと自分のなかでは合点がいったところもあります。

アメリカの連邦制でいえば統治は国家としての集権であり、行政は州ごとの自治としての分権になっています。

統治が中央集権化され、同時に行政もまた中央集権化され、その両者の集権化が合体すると権力は絶大になり過ぎます。

こうなると統治される側の自由意思が損なわれ、服従的になっていくことでの支配・被支配的の関係性になりがちです。

本社の意向だけが強すぎて、現場はやらされ感しかない、というのは、まさにそうした状態でしょう。

それを避けるには統治として会社全体の法や価値観、利益等のガバナンスやパーパス、マネジメントの枠組みは集権として共通認識を持っていく必要があります。

一方で行政にあたるクラブ運営については分権で各クラブに裁量があり、現場が自由に考えたり、それを表現できるようになっていることが大切です。

主体的な発想や行動が生まれてくるのは、そこにいる個々人が「責任」と「創造性(自由)」を有していると思えるからこそです。

責任だけで縛ってしまえば、これは現場起点にはなりにくいので、セットとしての創造性が必要ですね。

そういう形で組織全体としての統制、機能を有しつつも、それと現場主権、現場起点を両立させることができれば良いんじゃないかと考えています。


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