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「アバター近藤が解説する業界史~逆タイムマシン経営論530」

皆さん こんにちは アバター近藤です。
「逆タイムマシン経営論」として、業界唯一の経営情報誌であるフィットネスビジネス誌のバックナンバーを引用しながら、それぞれの年のトピックスや記事について、示唆することは何かをアバター近藤なりに解説していきます。
「歴史に学ぶ」とは良く使われる言葉ではありますが、フィットネス業界史について、詳細に検証した文献は恐らくないと思いますので、これから良い歴史を作るために何かしらのお役立てになれば大変うれしく思います。

~Fitness Business通巻第15号(2004.11.25発行)「スイミングクラブの成長戦略」3~※名称等は当時、一部文章省略

スイミングクラブ業界の起こり

スイミングクラブ業界の起こりから黎明期の業界の動きを良く知る、元「品川とびうおスイミングクラブ」コーチ、M氏に話を聞いた。

スイミングクラブ業界の起こりは昭和39年の東京オリンピックでの惨敗がきっかけでした。
当時「水泳大国」と呼ばれていた日本水泳界は、銅メダル1個という結果にかなりのショックを受けました。
一方、米国はメダルラッシュ。
特にドン・シュランダー選手は日本人に近い体型でありながら、金メダルを4個も取りました。
関係者たちはすぐに米国の選手育成システムを研究しました。
当時、日本は学校体育を基盤に育成がなされていたので、進学するたびにコーチや環境が変わり、また、子どもたちが通年利用できる屋内プールがないに等しい状況でした。
それに対して米国では幼少時から一貫した水泳指導が受けられる環境が整っていたのです。
そこで、こうした環境を日本でも実現しようと当時のコーチや選手達が立ち上がり、この業界が作られていったのです。

東京オリンピックが終わって間もなく、いくつかのスイミングクラブがほぼ同時に発足しました。
公設公営のもの、公設民営のもの、民設民営のものと、そのスタイルは様々でした。
中でも、その後の日本のスイミング業界に大きな影響を与えたのは民間クラブとして作られた「山田スイミングクラブ」と「多摩川スイミングクラブ」です。

ともに戦略的に選手の育成に取り組みました。
「山田スイミングクラブ」はロート製薬の当時社長Y氏が私財を投じて創設・運営されたもので、設立7年後のミュンヘンオリンピックで金メダル選手を輩出し、スイミングクラブの発展に弾みをつけました。
「多摩川スイミングスクール」はH氏が、「フジヤマのとびうお」で知られる古橋廣之進氏とともに設立したクラブです。
同氏は東京オリンピックでウェイトリフティングのコーチとして見事な成績を残した小野三嗣博士に学んで生理学をいち早く水泳にも取り入れ、心理学や流体力学といった理論も積極的に採り入れました。
私はこのクラブの第1期生の1人ですが、オープン前に知識面でも指導面でも非常に多くの研修を受けたことを覚えています。

H氏は現在のスイミングスクールの原型を創った人物と言えます。
同氏は日本鋼管に勤めていたことから、工場での流れ作業にヒントを得て、スイミング指導での進級制度を作りました。
そして、その科学的な理論と進級制度による選手育成システムを著書「水泳教室」に纏めました。
これを手本にその後、全国各地に数多くの優れたクラブが作られていったのです。
さらに、現在ではどこでも見られる浮き具「ヘルパー」の開発や、ベビー・マタニティなど水泳を広く応用したのもH氏です。
これによって幅広い人々が水泳に親しみ、上達できる機会が得られることになったのです。

その後も水泳関係者たちは大いなる情熱を持って、進級制度や指導内容を進化させながら強い選手を育成するとともに、多くの人たちを魅了していきました。
これがやがてビジネスとしても注目され、チェーン展開する企業や異業種の参入も増え、この業界の成長が加速していったのです。

水泳はとても奥が深いものです。
泳ぎを始めればいくらでも探求することが見つかり、生涯楽しめる運動です。
スイミングクラブの原点は健全な青少年の育成にあり、その実現のために優秀なコーチ養成や地域に密着していくことを大切にしてきました。
現代の多様化するニーズに対応して間口を広げながらも、ポリシーを持って安全第一に、本質的なサービスを提供していくことが、息の長いビジネスにするポイントのように思います。(談)

~ここまで~

現在のフィットネス業界人の多くは、スイミングクラブ事業に対して否定的な見方をしている面があると思います。
しかしながら、上記の貴重な資料を見ることで、フィットネス業界はスイミングクラブ業界発展に寄与した多くの先達の情熱や努力を基礎として発展していったことが分かります。

先日、熱狂の中でフィナーレを迎えたサッカーW杯のようにオリンピックで好成績を収めた選手の活躍を見て、スイミングを始め、その後、運動やスポーツに親しむことが出来た国民は多くいるはずです。

その1人であるアバター近藤が現在、このフィットネス業界で25年以上、働けているのもこれら先達のお陰であると思いました。
そんな歴史にも想いをはせながら年末年始を迎えます。

2022年の投稿は本日が最後です。
お読みいただきありがとうございました。
2023年は1月4日から投稿します。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。


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