見出し画像

「アバター近藤が解説する業界史~逆タイムマシン経営論266」

みなさん こんにちは アバター近藤です。

「逆タイムマシン経営論」として、業界唯一の経営情報誌であるフィットネスビジネス誌(元々はクラブマネジメント誌としてスタート)のバックナンバーを引用しながら、それぞれの年のトピックスや記事について、示唆することは何かをアバター近藤なりに解説していきます。

「歴史に学ぶ」とは良く使われる言葉ではありますが、フィットネス業界史について、詳細に検証した文献は恐らくないと思いますので、これから良い歴史を作るために何かしらのお役立てになれば大変うれしく思います。

~クラブマネジメント通巻第36号(2001.9.25発行)「米英のフィットネスクラブ産業史」3~※名称等は当時、一部文章省略

1.米国のクラブ産業史

話題性に乗って広がりを見せた業界ではあったが、業界団体もこれに呼応し、81年にテニスクラブの協会であった国際テニス協会とラケットボールクラブの協会であった国際コートクラブ協会が合併し、現在のIHRSA(インターナショナル・ヘルスラケット&スポーツクラブ協会)が設立された。

以来このIHRSAを中心に、流行りのビジネスではない、本物のビジネスを志向しながら、業界が大きく発展していくことになる。

83年以降になると、新設されるフィットネスクラブ数も急増し始めた。

83年にバリーマニュファクチャリングカンパニーが前出のヘルス&テニスコーポレーションを買収。

同年、24アワーズフィットネスで知られるフィットネスホールディングス(以下、24アワーズ)の前身である24アワーノーチラスも設立されている。

YMCAなどの非営利団体のフィットネス施設も造られ始めた。

80年代中盤には病院や企業もフィットネスに注目し始め、病院や企業がフィットネス運営企業と提携関係を結んだり、フィットネス施設を付帯し始めるようになった。

クラブ数の増大に伴ってメンバー層もファミリーへ、中高年層へと広がりを見せ、それらの新しい顧客層を惹きつけるアイテムやプログラムの開発も進んだ。

~ここまで~

国内ではようやく1980年代に入って、スイミングクラブからいわゆるフィットネスクラブが出来始めたこととは対照的に、米国では早くもフィットネス施設の多店舗化が進んできた様子が伺えます。

しかも病院や企業が注目した時期となると、国内ではもっと遅れてやってきましたので、相当にタイムラグがあったことも分かります。

先にも触れた業界の成り立ちの違いや保険制度の違いなど背景が異なることにより、時間差が生じることはあるかと思いますが、現代では何かの潮流があれば、間髪無く輸入される状況ですので、10年以上も遅れていたという事実はとても不思議に感じます。

そこには健康という実質的ニーズに対する課題解決への意識が少なかったことが大きく影響しているのではないかとアバター近藤は推定しております。

本日もお読みいただきありがとうございます。


宜しければサポートお願い致します!