何かに責任を押し付けて、生きたい

私は死にたいから未来は無意味と思っているのにも関わらず、ちょっと先の予定を組むような類人猿である。
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本題に入る。以下は呟きみたいなモノです。

私は猫が好きだ。いつか飼いたい。
でも私に生命の責任は負えない。そういう金銭感覚と性格だからだ。
だから余計に猫を飼うことに憧れる。

動物を飼う人はよく「動物を飼ってるから死ねない」とか言っている気がする。(個人の偏った情報収集である。)
私はこれを「何か他(た)のものに責任を押し付けて生きている」と認識している。
責任=免罪符という認識である。
生きたくないを免罪符でマヒさせてポジティブな事象でカバーしている、みたいな。
他にも「推しのライブ見るまで死ねねえ!」とか言う人もいるし、最近は「生きるために推しを見つけましょう〜」とかテレビで言っているのを聞く。

なるほど、もしかして、他に責任を押し付けて生きるというのは割と普通のことなのではないか?
家から自立していきましょうとか言うけど、結局は依存先を分散して持ちましょうとイコールだったりする。

猫に戻る。
私は動物の生命を使ってまで生きるつもりなんてない。沸かない。生命を個人的理由で消費している気がするからだ。
ここでの動物とは、猫含めた愛玩動物も、ヒトという動物も含まれる。
ライブとかの事象は動物が引き起こすことでもあまり抵抗感はないのだが、動物の生命を責任とすると抵抗感が湧く。何でだろうね。
そんなこと言ったらみんなそんなことないって〜とか思うと思う。私もみんなそう思うだろうなと思う。

とりあえず言いたいのは、無責任に何かに責任を押し付けて生きるって羨ましい〜ってことです。軽蔑とかじゃなくて。そういう考え方で生きて行きたいよ〜っていう羨望です。

だから、なんか意見あったらください。
割と私は実際に意見を聞かないと認識を改めるということができないタチなので。


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