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意識は何のために

意識の機能に関する論文を調べています。本日は、Pierson, Trout, "What is consciousness for?", New Ideas in Psychology, 2017.

この論文では、意識の機能とは、随意運動(自分の意思で動くこと)を可能にすることであるという仮説を提案しています。

アブストラクトは、「タイトルに対する回答は、随意性(volition)である」から始まります。
「自分」とは?「意思」とは?随意運動自体、科学ではうまく定式化されていませんし、その研究自体かなり難しい状況です。そのため、この論文でも、ほぼ科学的な証拠は提示されてはいませんでした。


決定論という立場では、物理系は、初期状態によって、その時間発展が決定されるので、自由意志は存在しないし、意識は、単なる付随現象で、物体に因果的効力は持たないと主張することが多いです。
この論文では、随意運動がどうして物理システムにおいて可能となるかについて、解答はありません。

意識理論で有名な、トノーニの統合情報理論では、意識に関して、現象学的な証拠として、5つの公理を提案していますが、その1つ目は、物理的実体に対して因果的効力を持つものだけが存在する。そして、意識は存在する(つまり、因果的効力を持つ)とされています。

しかし、意識の機能が「随意運動を可能とする」ことであるとするならば、単に物理システムに対して因果的効力を持つだけでは済まないと思います。

意識が心的現象であるとするならば、脳から発生する心は、脳に対して因果的効力を持たなければなりません。(この論文では心的な力(mental force)という言葉が使われています。)脳から発生する心の力が、脳に働くという状況は、力の発生元と、作用対象は同じ「脳」であるということを意味します。このような自己因果は、フィードバックループと捉えることができます。

脳をフィードバックがある力学システムであると捉えると、力学系(微分方程式あるいは差分方程式)として記述することができます。こうして、力学系は、過去の自分自身の状態が、未来の自分自身を決めるという意味で、自己因果の1つと見なすことができます。

そして、こうした力学系は、自己組織化といって、マクロのパターンを示す場合があります。実際の脳のネットワークにも、フィードバック結合が多く存在することが知られており、このような系を力学系とみなし、どのような条件で意識が生じるのか、が研究されています。(トノーニの理論では、しばしば、脳のネットワークを解析することで、意識量Φを定量化しようとします。)

しかし、この論文が主張する「随意運動」は、単に自己因果というだけではなく、決定論ではないことも要請しています。力学系は、確かに過去の自身の状態が未来の状態に影響を与えることができますが、基本的に、時間0の状態(初期状態)のみが、未来に影響を与える決定論のシステムです。
最初が決まれば、未来はすべて決まってしまいます。(それ以外の変化は、すべて環境からの影響であって、自己因果ではないです。)

随意運動あるいは自由意志と決定論をどう折り合いつけるかという議論は、哲学ではよくなされていますが、この論文では、随意運動は決定論では説明できないと仮定しており、決定論を自動機械とみなしています。つまり、この論文では、力学システムは単なる自動機械であって、意識は持たないと仮定されていることになります。

そうなると、決定論的で、初期値のみが将来の自身の状態に影響するような力学系は、それが、なんらかの自己因果を持っていたとしても、意識のモデルとしてはふさわしくないということになります。

では、どういうモデルが必要なのでしょうか?私は、随意運動というものは、未来に向かっていく運動(Goal-directed behavior)であるべきだと考えています。その意味で、初期状態によって将来が決まる決定論とは異なり、何等かのフィードバック制御を含む必要があると思います。

フィードバック制御とは、初期値に関わらず、状態を目標状態に近づける制御です。過去の初期状態が自身の状態を決定するのではなく、未来の目標が、自身の状態を決定するのです。(逆に初期状態の情報はこのような系では消えてしまいます。)
このとき、目標状態は、普通、外から与えられます。これだと、自己因果にはなりませんので、このままでは、随意運動とはなりませんが、目標状態を脳が自分で作り出して、それに向かって自身を変化させるブートストラッププロセスであれば、自分が自分を変え続けることができます。

ということは、意識の機能が随意運動であるということは、すなわち、自分の未来を自分で見つける、というのが意識の機能だと考えられます。

現状のロボットは、人から言われたことを行うことしかできません。自分の意思を持つ、随意性を持つということは、自分でやりたいことは自分で決めるということになります。

この、自分のことを自分で決めるための理論、それが意識の理論と関係するはずですし、こういった理論は、人間性とは何かを明らかにするうえでも重要な課題であると思います。(自分のことを自分で決める方法は、実用上も大事ですね。科学でどこまで明らかにできるか、楽しみです。)

心とは何か?意識とは何か?考えた以下のような書籍も書いています。


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