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vol.4 先に勝ちを確定させて大勝負をキメる!チャケウピーさんの華麗なる不動産投資手腕 ~富山の天才大家シリーズ~

チャケウピーさん サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(55:38)は購入後に視聴可能。

第四話(最終話)
コンプレックスとの向き合い方。本作は不動産・事業系のオーディオではあるが、終盤には精神的な話題が中心となっていく。

なぜか。それは全ての行動が、精神を出発点としているからだ。早速、結論から述べてしまうと、人はコンプレックスに駆動されて行動している。コンプレックスーーもはや日本語として定着しているこの単語を聞いてイメージするのは、まず外見コンプレックスだろう。歯並びが悪い、目が小さい、鼻が低いなどからはじまり、身長が低い・高い、脚が短い等もある。外見だけでなく、例えばカラオケが下手、スポーツ音痴、字が汚いなどという技術的なコンプレックスもある。さらに広げれば彼氏彼女がいない、未婚、子なし、年収が低い、役職がない…など人間関係・社会的な面でのコンプレックスもある。

これらは要するに、劣等感と言い換えられる。周りと比較して感じる劣等感。このコンプレックス(劣等感)とどう向き合うか。それがその人の人生の大きな指針となる。

チャケウピーさんは工場労働者(三交代制)の父の下に生まれ、3人兄弟だった。極貧で、お菓子すら買う余裕がなかったという。食い扶持を減らすために海外へ留学したエピソードも語られ、当時の艱難が偲ばれる。

「貧乏はあまり苦ではなかった。山で遊んでいたし、木の実を食べていたから」

そう笑って語るチャケウピーさんであるが、特別な感情があったに違いない。そうでなければ、高校2年生が『そして私は金持ちサラリーマンになった』など手に取るはずはないのだから。

「お金」に強いコンプレックスと執念があるからこそ、勤め人ではなく自分で事業をして、不動産で収益を上げようとし、そして晴れてお金に対するコンプレックス、劣等感を成仏させることができたのだ。

コンプレックスの話題において作中では「複雑骨折して繋がる」という一節が飛び出す。コンプレックスをこじらせて、それを乗り越えるのではなく、飾って覆い隠そうとする動き。これが複雑骨折のまま固まるパターンだ。

真っ当な治療とは、根源の問題を解決したり、もしくは心の持ちようを変えて劣等感を感じなくなるようにする方法がある。前者は最善として、後者も次善の策たりえる。根治が難しい場合は自分の内側に潜む悪霊を成仏させることは有効だ。対して複雑骨折のまま固まるパターンは、周りからの視線が第一になる。そのため周囲に対し虚勢を張り、見せびらかす形になる。例えばハイブランドの服や装飾品ーー腕時計、高級車を「周りにわかりやすく」誇示する。これらの行動は、自分が真に美しいと思うから欲しい、というよりもそれを持っている自分を人に見せたい、周りから評価されたい精神の発露である。劣等感ーーすなわち痩せこけた自己評価を補うために装飾品を使う。対して根治、自分の内側の劣等感を克服した人であれば周りにアピールする欲が生じない。既に成仏させているからだ。

不動産投資を志す人は、まずお金に対するコンプレックス、劣等感を持っているはずだ。年収が低い、実家が貧しい、子供が増えて生活が苦しくなったーーこうして「真剣に」お金に対して困って悩んで、その結果「稼げない自分」に劣等感を抱いたとき。心の奥に熾火が起こる。それが己を駆動させるエネルギーになる。貯金のために節約、物件情報の巡回が始まる。劣等感に追われながら、それを成仏させようとする試み。それは周りから見れば「そこまでしなくても」と思う努力なのかもしれない。しかし当人にとっては、劣等感に身を焼かれ続けることの方がつらい。つらいから、苦しいから、そこから脱したい気持ちが心身を駆動させるのだ。

作中において、聖丁からチャケウピーさんに「勤め人をどう思いますか?」という旨の問いがなされる。おそらくこの問いは、勤め人よりも独立した方が時間やお金の自由があって人生豊かになるよ、という答えを期待していたように感じる。しかしその期待を裏切ってチャケウピーさんはこう返した。

「やりたいことが明確に決まっていない人は、組織に所属していた方がいい。勤め人をやっていた方が絶対いい。独立して生き残れるのは20人に1人くらい。それくらい厳しい」

と大真面目に言った。商売はそんなに甘くないと。様々な危機を潜り抜けてきたチャケウピーさんだからこそ言える言葉だ。

ただお金の面で苦労をしないための手段としての不動産の輝きは曇らないとも言う。そのためにはまず種銭1,000万円を何とかしてかき集めて、吉川メソッドをやりなさいと、こう言うのである。

吉川メソッドを簡単に説明しよう。要は地方にて小規模ディベロッパーになるということだ。田舎で安く売られている農地を見つける。需要を検討して企画を立て銀行から融資を受ける。そして電気ガス水道などのインフラを通し、自分が企画した内外装のイケてるデザイナーズ住宅を設計して、不動産屋に営業して入居者を入れる。決して業者に丸投げではなく、自分が主体となって作戦立案し、需要があると思える間取りと立地の物件を世の中に生成していく。マーケットインとプロダクトアウトを融合(マーケットイン成分多め)させたプロダクトを世に供給して、お客さんに喜んでもらうーー当たり前のことに聞こえるが、当たり前のことを当たり前にやれるかどうかが、商売というシビアな戦場では必要になる。

本作の終盤では、いかに良い彼女を作るか、結婚して子どもを作るか、という諸兄に見逃せない話題も展開される。その詳細は作中に譲るが少しネタバレするならば、その地域の特性によって適した手法がある、ということだ。大都会で有効な手法が、地方都市では全く機能せず逆効果になることがあるし、もちろん逆もまたある。大海でマグロを一本釣りするのか、渓流で鮎を友釣りするのかの違いだ。どんな魚を得たいかによって、戦略は変わってくる。

最後に。チャケウピーさんは不動産大家ワナビーに本質的なことを言ってくれた。1,000万の種銭といわれて諦める人が多すぎると。父を早くに亡くして実家が貧乏だったチャケウピーさんができたのに、それより条件が良い若い人達が本気でやっていないと。100万200万ならば、どこからでも引っ張ってこれるだろう、やらない理由を探しているだけーーすなわち熱量が足りないのであると。

この熱量の根源は、コンプレックスだ。つまりは劣等感が足りないということで、それはある意味では、現状に満足しているということではあるまいか。

そういう人に対してチャケウピーさんは慈愛の心をもってして「勤めていた方が良い」と言うのである。これは蔑みでも、侮りでもない。独立自営の厳しさ難しさと、それに連なる不幸を知っているチャケウピーさんだからこその思いやりーーやさしさの言葉なのだ。

野に放たれた獣は、自由だ。

しかしその自由は、死と隣り合わせの自由でもある。

をはり

著:ヤコバシ

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