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vol.5 高学歴有名銀行勤務のオロゴンさんが東京で力尽き、不動産賃貸業で人生を再生した話

オロゴンさん サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(59:11)は購入後に視聴可能。

第五話(全六話)

この資本主義には、多くの罠が張り巡らされている。

その罠とは、カネについての罠である。



いかに他人の財布に穴を空け、その中身を抜き出すか。



ただしそれは当たり前だが合法的でなくてはならない。

また、警戒されて財布の紐を締められて穴を塞がれてしまわないようにするにはどうすれば良いか。

そういうことを日夜、真剣に、本気で考え続けている者達がいる。



大組織となって、社会貢献している風を装いながらも、その本質はいかに相手の財布に穴を空けるか。そればかりを真剣に考え続けている者達がいる。

私達は知識で武装して、その収奪に備えていく必要があるのだ。



カネについての罠ーー

それは有史以来から存在する。



これは知能というアドバンテージを持ってして、知能が劣る者から収奪するための手法であった。



人間という動物は、鋭い牙や爪、角を持っていない。

ライオンや鹿がこれらの武器をもってして縄張りやメスを争うのと同じように、人間は知能という武器で闘い、奪い合ってきた。



強い者が、弱い者から奪う。

知能が優れている者が、劣っている者から奪う。



かつてはその知能差による収奪が行き過ぎていた時代があった。

高利貸し、それに連なる奴隷労働もあり、あまりにも露骨で危険であった。

そのため近代ではこれら強力な手段は禁止カード、違法とされた。



しかしながら違法ではない範囲で、合法的に知能が劣る者から簒奪することは、今なお行われている。

大多数の人々はその存在に気付かずーーいや、知ってはいてもそれを罠とは認識ができずーー狩られている。



狩る者と狩られる者。

そこを分つのはただただ情報、知識の量の差である。



いわゆるファイナンシャルリテラシーというもので、「お金」に対する知識、知恵。

これがない者は狩られる運命から逃れられない。



代表的なものはリボ払いなどで、これらは「義務教育で教えるべき」という意見も多い。

しかしながら、そのような「教えてもらっていないから」という態度、それ自体が知能に劣る者の思考回路だということに気がつくべきなのだ。



「世間はお前たちの母親ではない」



カイジの利根川幸雄の名言である。

我々人間は、知能で争いあう動物だ。

そのことを自覚して、その牙を練磨することを怠らないこと。

またそれを自然にできることこそが「知能」の発露なのである。



故にこの素養がない者が食い物にされるのみだ。

厳しいことだが、自然の摂理として致し方のないことだ。

むしろ現代の日本は、その簒奪の程度が調整・制限されているから、一昔前のように本当に命を落とすレベルまで追い込まれることはない。



ただ生活保護レベルには落ちることは十分起こり得るし、そこまでいかなくても常にお金の心配をしてストレスを感じ続ける人生に陥ることは、割と簡単に起こる。



だからこそ知恵ある者はこうして情報に接触するのだ。



お金に困らない人生を送るためには?と考えた時にまず思いつくのは「収入を上げる」であろう。



もちろんそれは有効な手段のひとつではある。

しかしながら年収が、いわゆる高所得と呼ばれる年収1,000万円であったとしてもその支出が年間で1,000万円だったなら、貯金はできない。

そして予想外の支払いがあれば一気にマイナスとなり困窮することもあり得る。



マイナスまで行くの極端な例だとしても、収入に対する支出の残り、いわゆるキャッシュフローにおける可処分所得の多寡が、人生において豊かさを感じるひとつの指標となるであろう。



ここですぐに対処ができるのは支出を見直すことであるが、多くの人は日々、贅沢をして暮らしている自覚はない。

むしろ節約して生きているとすら思っている。



なぜそうなってしまうのかーーといえばそれは資本主義の世界において、あなたの財布に穴を空けようと一生懸命に、全力をかけている者達がいるからだ。



財布の穴。



それは多くの場合、痛みを感じにくいように空けられる。

あたかも細い注射針のように、わずかな痛みで財布に滑り込み、その中身を吸い出し始める。

そしていつしかその痛みを忘れさせ、当たり前のものと認識させて淡々と吸い続けるのである。



これは具体的には「金利」である。



お金を借りて、そのお金のレンタル料として発生するコスト。

その割合は様々だが、それでもお金のレンタル料であるから、本質的には支払う必要のないお金である。

もし現金一括で購入できるのなら、発生しないコストだからだ。

具体的には住宅ローン、自動車ローンだ。



「ローン」という言葉。



この言葉の発明には、悪意を感じざるを得ない。

「借金」や「借入」と言えばいいものを、「ローン」という単語に置き換えて、あたかも正当で致し方ないもののように錯覚させてくる。

もしこれらを



「住宅用借金」

「自動車向け借入」



と呼べばどうなるだろうか。

意味は全く同じなはずなのに、一後ろめたい雰囲気が湧いてくる。

このようなマジック、幻惑に惑わされずその本質を掴むことが真のファイナンシャルリテラシーにつながっていく。



要は、何にいくら支払うのか。

その対価、効用はどれくらいか。



資金調達コスト(金利)や維持管理費を含めた総支払額に見合う効用が得られるのかどうか。



そう考えていくと、新築の建売住宅がいかに高い買い物なのか、新車を買うことがどれだけの贅沢なのか、わかってくるはずである。



しかしながら多くの人はこのようなことを考えない。

「周りが買っているから」

「親が買えというから」

という理由で住宅や新車を借金で買ってしまう。

なぜかと言えば、お金を一気に出させずに、「月々◯万円」という謳い文句の細い注射針を見せられ、安全だと思い込まされてしまうからだ。



これは合法的な搾取なのだと気がつかなくてはならない。

しかし数字のマジックにより多くの人は受け入れてしまう。

もしくは気がついていたとしても、「致し方ない」と思うよう教育されきっているから、これに抗えない。



これが残酷な「知能」による奪い合いの正体なのである。

こうして多くの人ーー特に割と高所得な大企業勤務の者は財布に穴を空けられて、生き血を吸われて知らず知らずのうちに経済的に弱っていく。

金利という、追加的なコストを支払い続ける。

しかし、それは合意の上での支払いであり、合法的な形をしている。



こういうことをして成り立っている企業が、今日もまた一生懸命に獲物を探して、狙いをつけているのだ。



財布の穴ーーこれを塞ぐための処方がまとめられた書籍がある。



『サイフの穴をふさぐには

学校も会社も教えてくれない税とお金と社会の真実』

著オロゴン

KADOKAWA(2020)



つづく

ヤコバシ著

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