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ピラニア 作戦の発端

作戦の発端

アマゾン熱帯地域での大ゲリラ部隊殲滅作戦の数ヵ月前。クロエはテキサス州のアメリカ軍基地にいた。アメリカ陸軍最大の規模を誇るフォート・フッド陸軍基地である。クロエは普段はこの基地に勤務している。ここは広大な敷地面積を有する基地で、牧場が併設されている。基地内には数千頭もの牛達が放牧されており今日も牛が上機嫌で草を食べている。その穏やかな光景は重火器を扱う屈強な兵士達との訓練風景と比較するとあまりに異彩を放っていた。戦車が走りヘリが飛び銃を射撃していても牛は草を食べながら見慣れた様子でおっとりと見ていた。この異様な状態は朝鮮戦争で増員に備えて基地拡張が必要な時に出来た。牧場主と軍との間で基地内でも放牧する契約が決まったのだ。放牧地に基地を作った形になる。元々放牧していた土地に敷地を拡大したということだ。勿論牛と兵士の間に何も問題は起きない。だがそんな気ままな牛達は過酷な任務や訓練に打ち込む兵士達の癒しの存在でもあった。兵士と牛は仲良く共生している環境が出来ているのだ。その牛が牧草を食べている横をクロエが歩いていく。牛はいつも自分を可愛がってくれる人を見て微笑んだような表情をした。クロエは牛を一度振り返り向き直った。その女は統率のとれた歩行で武骨な基地の入り口へ向かっていった。アメリカ軍軍服を着込んで輝きを放つ勲章をつけたドライデン少佐の足音には強い信念が感じられた。今日は大切なブリーフィングがあるのだ。新たな任務が下るらしい。フィリピンの作戦が終了して休んでいたと言うのに。次はどこの戦場か。

「フィリピンから帰還出来たらまた出動か。この前はアラビアだった。その次は東欧。今度はどこだ?またフィリピンではないだろうな。」

クロエは世界中の戦地で従軍してきた。どれも地獄のような戦闘だった。これまでに最も多く出向いた地はラテンアメリカだった。中南米で踏んだことの無い土は無いほど各国で戦った。中でもクロエが多く送り込まれたのはブラジルだった。中南アメリカの国々では各地にアメリカ軍のスリーパーがいる。アメリカ軍関係者が反米色の強い中南米諸国で活動しやすいように配置しているスパイである。共産圏の一部でもあった中南米国家では特に厳しいスパイ網が張り巡らされている。南米で作戦を行うならば彼らの存在は欠かせない。第二次世界大戦以前の工作でアメリカは中南米を裏庭にした。それに反抗する勢力は姿形を変え現在まで抵抗している。現地の情勢を毎回把握している助っ人は頼もしい見方だ。南アメリカ大陸には目まぐるしく変わるほど複雑な政治情勢の国が多い。アマゾン戦歴の長いクロエは現地の兵士や住民、部族と親しくなっていた。もう何度目かの顔合わせといったところだ。ゲリラの兵士や工作員はクロエのジャングルでの戦闘を良く支えてくれた。ベネズエラやニカラグア、それにキューバでの厳しい戦闘では共に銃を取って戦った戦友でもある。今回の戦地も中南米だろうとクロエには薄々わかっていた。軍上層部が一般部隊では対応出来ない強大な大物をジャングルで仕留める時は決まってクロエが中南米に赴く。不足の事態が発生して解決に当たるのもクロエ。捕虜救出の難しい作戦も彼女に依頼が来た。将軍達の迫真の声色でクロエに召集命令がかかり任務が来るのだ。これで中南米行きだとわかる。もはや見慣れた光景だった。

「たぶん中南米だろうな。そうすればまた彼らに会うな。最近は行っていないから久しぶりの顔合わせになるな…皆元気にしているかな。楽しみだ」

そのクロエも一年以上は中南米に行っていなかった。その期間は東南アジアで戦闘をしていた。主にベトナムやフィリピンでゲリラ戦を行い、マレーシアでは海上の作戦に参加した。フィリピンのジャングルは未開の地が多く、未接触の部族とも交流した。ジャングルも中南アメリカと東南アジアは全然違う。生息する生物や植生も異なる。似て非なる存在だ。ジャングルに適応したクロエにしか出来ないと潜入を命じられたのだ。フィリピンの島嶼部での戦闘は凄惨な戦いとなった。

「東南アジアよりはやりやすい。ルートも把握しているからな。今回はどこの国に行くんだ?最近ゲリラ戦で名を馳せたあの女の国か?あれもかなりアメリカ軍にマークされてきたな。名を上げすぎだ」

クロエはコロンビアでジャングルを使用した巧みなゲリラ戦を展開しアメリカ軍から恐れられている女兵士を思い出した。女の名はマヌエラ・サンタクルス。大規模ゲリラ部隊を統率し様々な傭兵ビジネスで巨万の富を得た反米ゲリラの首領でコロンビア軍の元将校カルロス・サンタクルスの一人娘。とても頭がキレて残虐な人物だと言われている。個人の戦闘力も高くナイフでの戦闘は一人で100人分とも噂されていた。捕らえたアメリカ軍捕虜に過酷な拷問を加え廃人にしてしまう残忍な手法は敵味方問わず恐れられているらしい。麻薬を使った手法を行うとの噂もあった。マヌエラは父を越える戦闘能力と戦術で様々な出自の者達を寄せ集めたちまちゲリラ部隊を近代化させた。豊富な補給源と神出鬼没の戦法、ハイテク化された兵器で占領地域を広げている。カリスマ性がありならず者達が彼女に惚れて傘下に入るらしいのだ。彼女の部隊が襲った街は略奪の嵐が巻き起こると言われている。文字通り恐ろしい連中だ。最近の戦況はアメリカ軍部隊に勝利している報告が多いと聞く。並みの兵士では名を聞くだけで震え上がるコロンビアで最も恐ろしい女だ。人々からはコロンビアの猛獣、ジャガーと呼ばれて恐れられている。アメリカ軍上層部もその対応に辟易しているところだった。何か打開策を打ち出さなければならない。そういうときに自分が呼び出された。

「いよいよマヌエラを仕留める時が来たのか」

クロエは確信していた。コロンビアのジャガーを狩れるのはアメリカのピラニアだけだ。ここまで驚異的な戦闘能力を持つ彼女をこのまま放っておくわけにはいかない。必ずアメリカの天敵となる。何れ相対するときが来るとは思っていたが。

クロエは長い廊下を渡ると大ホールに入った。その更に奥にある歴代軍人の肖像画が飾られた部屋の前に立つ。ここは司令官の執務室。基地の最高司令官が執務を執っている。警備の兵士がクロエに敬礼しドアを開けた。肩から下げた銃が黒く光輝いている。部屋は基地創設時から現在までの司令官の絵画が飾られた豪華で広々とした空間だった。クロエが部屋に入るとドアがゆっくりと閉まった。司令官はパソコンを見たまま渋い顔をしている。どうやら作戦の内容が気になるらしい。クロエはデスクの前に進み敬礼をした。司令官はクロエが来たことを確認しスマホを開いて何かを出している。そして数枚の書類を印刷するとその紙を手渡した。してコーヒーを一杯飲むとクロエに語りかけた。

「フィリピンではご苦労だった、ドライデン少佐。休みのところを呼び出したのは君に非常に重要な任務を与えることになったからだ。この任務を遂行できるのは君だけだ。君にはいつも危険な任務ばかりを命じてすまない。だが、アメリカのためだ」

司令官は申し訳なさそうな表情をして言った。だがそこには確かな信念も感じ取れた。命を落とす危険のある任務ばかりでも軍人として国のためにやるべきことはわかっているだろうということだ。

「慣れています。それに捕まっても誰も助けに来ないのは毎度のことです。私はいてはいけないことになっていますから。フィリピンの任務でもそれは証明しました。今回の任務はやはりコロンビアですか」

クロエは渡された書類を読むとコロンビアの国名を発見した。予感的中だ。更にターゲットはあのマヌエラだ。ついにこの時が来た。アメリカ軍最大の敵をアメリカ軍の人間兵器が討つのだ。

「ドライデン少佐、君もマヌエラ・サンタクルスの話は聞いているな。あの女は我が軍に大きな損害を与えている。特にゲリラ戦でのトラップを利用した戦術は兵士を心理的も追い詰めている。更にあの拷問、そして強制労働だ。戦闘中行方不明になる兵士が最近は増える一方だ。このままでは全軍の士気にかかわる。マヌエラのゲリラ部隊はゲリラ戦に精通したジャングルの王者だ。特殊訓練を積み重ね、ベトナム軍顔負けの戦術を駆使する。あの練度の高さには通常の部隊では対処できないのだ。犠牲が増えるだけだろう。しかし、今回は全面的に対策を考え、驚異を排除する必要を迫られた。そこでアメリカ軍はゲリラ戦のエキスパートである君を使ってマヌエラ掃討作戦を実施することを決定した。彼女の戦術に対抗できるのは君の持つジャングル戦の経験だ。」

「いつか手合わせしてみたいと思っていました。彼女達の潜伏先が知りたい。マヌエラの情報はありますか?」

「そう言うと思っていたよ。マヌエラはコロンビアのジャングル地帯に数十ヶ所の基地を作り、独自の補給路を開拓した。今も勢力を拡大し続けアメリカ軍の陣地も一部奪ってしまった。これは我が軍にとって不名誉なことだ。彼女はその広大なアマゾンの密林を我が物顔で闊歩している。隠れるところはたくさんあるだろうな。現地に行ってからはマヌエラの探索から始めてくれ。詳しくは君のスマホにデータを送る。」

「わかりました。コロンビアに向かいます。アマゾンは一年ぶりです。」

「君なら必ずマヌエラを討てる。君の作戦失敗はすなわちアメリカ軍の陣地喪失をも意味する。今後の反撃のためにも失敗は許されない。頼んだぞ。また君の活躍にすべてを託すことになるな」

「マヌエラは私が倒します」

「君なら出来る。わかってはいるとは思うが失敗しても助けは来ないぞ。どうなるかは君次第だ」

「慣れています」

クロエは淡々と答えた。クロエにとって存在を消されることは日常茶飯事だ。今に始まったことではない。司令官は決意を込めた眼差しでクロエを見た。今までにも不可能を可能にしてきたこの女になら何でもできる。そう信じていた。アメリカ軍の最強人間兵器。あの猛獣マヌエラを仕留められるのは肉食魚クロエだけだ。司令官はドライデン少佐の後ろ姿を見送った。パソコンに顔を向き直しスマホでクロエに送る情報を整理する作業に入った。

クロエは基地を出るとスマホを軍服のポケットから取り出して自宅にいる婿のジャックにメールを送った。フィリピンから帰ってから休養してばかりでろくに夫婦の愛の時間を過ごせなかった。娘とも有意義に過ごしたい。ジャックとはせめてコロンビアに行く前には二人で夜を過ごしたかった。スマホで写真を撮ると軍服の自分をメールに乗せた。良く撮れている。クロエはジャックに夜の営みの約束をすると車に乗り基地を後にした。

etc.....

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