人間曼荼羅
12年動いていたエアコンが壊れました。
そして妻と別居中です。
出産後に実家に帰っているためですが、快適すぎるためいつ帰ってくるのやら。といった感じです。
さて、本日妻の実家に赤ちゃんを見に行きました。
知らないうちに赤ちゃんが寝てたので、わたしも寝てしまいました。
iPhoneが鳴ります。
エアコンやさんが設置のために下見に来るといいます。
やることがなかったので1時間後ならOKとお伝えし自宅にかえって来ました。
家の中があまりに汚ないので20分だけ掃除しました。
散らかっている本、布団、服をとりあえずまとめると、自分の今考えていることが本棚をみて丸わかりになっていました。
(斎藤一人さんの本(ブログ関係)とPC関係と文章を書くための付け焼刃ツール)
あー、なるほど。赤ちゃんをみてちょっと落ち着くとやりたいことがあることを思い出しました。エアコンの作業があるということで帰ってきましたが作業ができるのでラッキーだなとも思っていました。
さて、業者さんの作業が終わったころ、妻からメールがありました。
「そのこわれたエアコンは私と赤ちゃんのために最後の力を振り絞って、夏は頑張ってくれたんだね。最後にお礼を言っておいてください。」
妻は、子育てが中心です(当たり前ですが)。
現在、私が子供の面倒、父親の食事などを適当に作っています。
こころの向きが違いすぎてエアコンが壊れたということから想像することもまったく違います。
一緒にいた時よりもスムースな関係なのが不思議なんですが……
曼荼羅だなー。
自分の中心に人が集まっているけど、その隣の人もその人から見れば自分が中心で考えていることも違う。
エアコンが壊れたという事実だけでも違うことを考える。
この考えを一つにするのはつらそうだ。
「普通、ひさしぶりにあった赤ちゃんの面倒もっと見るのが普通じゃない?」とか、「ほかの子供の世話と掃除とかどうするの?」
とかいうのって。
同じ考えの人が何人もいるってことは曼荼羅にはならなくて、ただ一人の場所に何人ものひとが折り重なってる状態。
考えただけでもきつそう。
同じふねにずっと乗せられているみたい(ちがうか)。
だから、ひとが「普通こうだよね?」とかいわれると
「ふつうとはなに?」と思ってしまいます。
多分私の妻の本棚をみると、出産関係から育児関係の本に代わっているんだろう。
私の本棚とは全く違う。
妻の本と私の本を合わせると結構な量になる。
この本をしまっておいて大丈夫なくらい大きい本棚をそろえるために必要なのはお互いの心の持ちようとちょっとやそっとの変化には対応できるお金だったりする。
とりあえず、エアコン代95,000円どこからかひねりださないと……
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