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晩秋の雨降りの平日を読書ですごす贅沢

冷たい雨の降る朝。ひとつ季節がすぎさっていくのだろうな。年齢を重ねていくごとに季節の移り変わりが心に刺さる感覚なんて、きっと誰しもその年齢になってから初めてわかることなのだろうね。当たり前のようなことを暖かいコーヒーを飲みながら、だれもいない平日の午前にぼんやりと公園の景色を窓からながめながら考えている。このままではリタイアした老人ようだな。

悠々自適の生活に浸るのも悪くないかと、Twitterでは決して「いいね」がつくことのない「前向きでない生き方」の世界への思考に向かってしまう。間違いなくこの世界には寂しがりやの妖精がいて、低気圧が通過する朝は、タクトをふりまわし怠惰な考え方の種をばらまいているに違いない。

富裕層むけの不動産、マンションや別荘のフライヤーのキャッチにあるような緩やかな流れる至福の時間。ちがうでしょう。年を重ねると、そんなことは絶対になく、流れるように一日が過ぎさっていく。気が付けば黄昏となりちょっぴり焦るのは、いったい何に対してなんだろうか。何をするにもあっと言う間に、ときが過ぎていくのは相対性理論のように、自己という個体の動きが緩慢となっているのではないのだろうかという疑惑を抱えても、まあいいかという想いが勝ってしまうこと自体が、青春との決別なのだろうね。

無理をしちゃだめだよ。内臓の器官たちのささやきが聞こえてくる。そういうときは休みなさいと。僕は言葉を聞く耳をもっている。傾聴。ゆるく休むのも大事なんだ。言い訳だけかもしれない。それもいいじゃないか。素敵な朝に色々なものたちと会話が出来たのだから。僕はここにいて寂しくはない。

きれいごとだけの夢ようなデジタルの世界に動悸と胸焼けにふみつぶされそうになり、喘いで、吐息をはいてしまう、そんな小さな音にたいしても誰も聞いていなければ、僕がつくりだした音は、いったい存在したのだろうか。

逆に仮にデジタルとなった音については世界を駆け巡り、たとえ拾う者がいなくても、その音自体はビットとして存在しているのにな。奇妙な違和感のなかで僕は存在している。


路面をたたく水の音はさらに強くなり、薄暗い景色にすっかり厭いてしまい僕は分厚い本を広げてしまう。過去の叡智との対話。ゆっくりと教えてくれるかい。未来の僕にむけて。















#読書の秋2021

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