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立場が人を育てる

先日久しぶりに遠出の出張に行き、現場事業所の所長さんとこれまた久方ぶりに飲んだ。

出張がしにくくなったことで対面で話をする回数は激減したのだけど、オンラインでの打ち合わせは増えたので、所長との距離感は保てていると勝手に思っていた。

自分で書いておいて「距離感」という言葉がまとを得ていない気がするのだが、とらえていた感覚が大きく間違っていたということを言いたいのだ。
その所長とは同世代なのだが、会話の端々で所長の成長をまざまざとみせられたからだ。

成長というとおこがましいのだが、部下の育て方に悩み、組織のあり方に悩み、自分は所長としてすべきことは何かということを真摯に追求する姿勢は数年前の本人とは明らかに違っていた。
本人も言っていたのだが、所長になりたての頃はなんでも自分がしなくてはいけないと肩肘を張っていた。所長としてやるべきことは他にあると。

彼の頭には部下の成長、組織の成長が第一で、そのために自分の成長がとてつもなく大事だということしかなく、自分本意の考えは微塵も感じられなかった。

会話しながら自分のことがとても恥ずかしくなった。

彼の何をみていたのだろう。

オンラインで対話の頻度を上げて、数字などの目に見えるものだけのやり取りで、相手をわかった気になる。
目に見えるモトとなる背景や想いなどを完全に見過ごしていた。

会えなかった分、会って話をするという価値がどれほどのものかと身に染みた。

彼は現場の長なので、立場上、所員のいる昼間には話せないこともたくさんある。

所長とは孤独なのだ。

ただその孤独の立場がみるみると彼を成長させているのだと思う。

同世代として負けるわけにはいかない。

お互い持ち場立場で全力を尽くそうとエールを送りあい、帰路についた。