高校サッカーの感動とビジネスの容易さ
ビバ静学!
第98回全国高校サッカー選手権大会が本日幕を閉じた。
4,038校の頂点にたったのは静岡学園。2連覇を狙う青森山田高校をくだしての優勝だった。しかも0-2からの大逆転劇。
サッカー王国静岡復活!
私自身も静岡県出身で小さな頃からサッカーをやってきました。中学校からサッカーの為に私立中学に入り、全国優勝もしました(補欠ですが)
ただ社会人になってここ15年ほどは高校サッカーには全く興味はなく、全く見てもいませんでした。今回の98会大会も見るつもりはなかったのですが、たまたま開幕の國學院久我山の試合と、準々決勝の静岡学園の試合を見て、いつの間にかハマってしまった状況です。
そんな時に24年ぶりの静岡県勢の優勝という素晴らしい結果に興奮しています。そしてこのタイミングで高校サッカーを見たことは、自分への何かの暗示なのかと思いました。
だからこそ、その意味を紐解きたい。そう思いました。
まず静岡学園。
彼らのサッカーは本当に美しい。私の世代でも全く同様でした。テクニックがあり観客を魅了するサッカーをする、そしてそのようなサッカーをする彼ら自身の顔にもそれが出ている。その当時、確かこんな話をしていた気がします。
「顔見るだけで静学かどうかわかるよね」と。
それだけ顔にもプレーにも出ている、というよりプレースタイルと顔の特徴は一致するのかもしれない。静学はプレーも顔もおしゃれなのです。
そしてなぜ高校サッカーは感動するのだろう?
ふと思った、なぜ高校サッカーはこんなに感動するのだろうかと。
もちろん、静岡学園の優勝に震えたことはもちろんのことですが、他の試合でもとても感動した。
例えば、準決勝の青森山田VS帝京長岡の試合。
帝京長岡はテクニックで崩していくような美しい試合をする、それに対して青森山田は王者らしい戦い方をする。その中でも後半の帝京長岡の諦めない姿、倒れそうになっても前に進んでいく強さに心震え、試合終了と同時に倒れ涙を流すメンバーを、相手の青森山田の選手が慰める。「君たちのために絶対優勝する」という言っていたに違いない。
そんなシーンを見ていたら自然と涙が流れた。
高校サッカーが感動する理由
高校サッカーは一度しかないんですよね。卒業してしまえば2度と高校サッカーに出ることはできない。そりゃそうだ、歳を戻すことはできない。だからこそ、そこに賭ける思いが強く、3年間、いやそれまでのサッカー人生の全てをそこに注ぐ。その思いが全てのプレーに現れ、負けたときの感情にも繋がる。
その思い全てが、見ている人にも伝わる。
そういうものって伝わるんですよね、人には。
それこそが「高校サッカーは美しい」と言われる所以なのかもしれない。
社会人には一度きりがない
社会人になるとそういうことってないんですよね。
一度きりしかないことって。
だからこそひと時(一日、一月、一年)に賭ける思いが少ないのです。
高校サッカーのような思いで仕事ができたらどれだけ強くなれるのか、それによりどれだけ人を感動させられるのか。
そんな気持ちで仕事に向き合ったら誰にも負けるはずないのではないか。
高校のころは一年に数日しか休みはなく、朝練をして勉強して夕練をして、土日は遠征。一年中サッカーしかやってない。それが当たり前だった。
それでも4,037校は負けるのです。
勝てるのは1校のみ。
社会人になって、平日は土日の休みを待ち遠しく過ごし、日曜夕方には憂鬱になる。
そんな人が大半ということは、日本中弱小チーム(弱小会社)ばかりなのではないか。
高校サッカーのような気持ちで仕事をする
社会人になってそんな仕事の仕方してる人いないですよね。
だからこそ、そんな働き方をして素晴らしいチームを作ることができたら日本一なんて容易なんじゃないか。
高校サッカーで優勝するより断然に簡単なことなのではないか。
そんなことを思わせてくれた高校サッカーに感謝します。
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