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紙の遊戯王を始めたことだし、CSに出てみようと思うんだけど #RAM杯

2023年8月13日。僕は日曜の朝早く(でもプリキュアはちゃんと見た)から家を出て品川の隣町、大森に向かっていた。

僕はずっと東京の東側に住んでいる人間なので、この辺りに来るのは友人の家を除くと品川プリンスホテルで行われているBL2.5次元舞台を見に行く時ぐらいしかない。

だが、この日も男と男の熱いぶつかり合いという意味では近いイベントがあった。


遊戯王非公式CS(チャンピオンシップの略、らしい)イベント。

遊戯王では公式のマッチ戦(3本中2本先取で勝利するルールのこと。マスターデュエルとは全然違う戦いになる)大会よりも、有志によるCS開催が盛んで様々なイベントが設けられている。

紙の遊戯王を始めて1年になるし、個人的にも興味があったイベントだ。

(↑前回までのあらすじ)

そしてこの日もまた、東京都の大森で有志によるCS……RAM杯なるものが開かれようとしていた。

こうして僕は大森在住の友人の誘いを受け、クシャトリラ・フェンリルを失ったデッキでのこのこと朝から電車を乗り継いでいたわけだ。

ただし正直なことを言うと、この朝の時点では期待よりも不安が大きく勝っていた。

興味があるということと、恐怖がないというのは別問題だ。

知らない人と遊戯王をやるのは怖い

イヤホンから聴こえてくるビーチブレイバーがなかったら今すぐ電車を降りて品川駅でラーメン食って帰っていたと思う。


先に言っておこう。僕は社会が、怖い。

戦績

結論から言うと、もうボッコボコである

まずデッキがどうとか戦い方がどうとか以前に、緊張しすぎて上手く話せていない。

おい、遊戯王で色んな人と話していきたいと言っていた昨日のお前はどこに行った?

1マッチ40分の制限の中、僕は差し迫る時間と対戦相手に迷惑をかけているなという居心地の悪さから背中に嫌な汗をかきっぱなしだった。

思い返せば、僕はこういう時間制限の類にかなり弱い。

たまに行くリアル脱出ゲームなんかでも、時間制限が近付いてくると急に普段の思考がどこかに行って「全部ぶっ壊してここじゃないどこかへ行こうぜ!」みたいなことを言い出してしまう。心が弱いというのは、こういうことだ。

エクストラターン入ってくださーいと言われた時の心情

一応デッキの反省を書いておくと、ホルスギミックはかなり上振れ要素というか、しっかりケアされてなかなか通らないどころかハーピやドゥアムテフのような王の棺がないと何もできないモンスターを素引きして負けるということに繋がりまくっていたので絶対抜いた方が強いと思う。

プレイングの反省としては、兎にも角にも場慣れが何より必要で、尚且つサイド(マッチ戦)の勉強をもっと積むべきだと思った。

また、サイドチェンジをした後は自分だけが最強の動きをできると思ってしまいがちなのが僕の良くないところだった。実際は相手もサイドチェンジでニビルや拮抗勝負を積んできているというのに。


ちなみに冒頭で男と男のぶつかり合いと書いたが、普通に女性の参加者もいる。

こういうところをしっかりしておかないといけない気もするので、ここでは人間と人間のぶつかり合いと訂正しておこうと思う。


高校生のカスだった自分

突然の自分語りで申し訳ないが、こういう対人戦ゲームを一番熱心にやっていたのは高校生の頃だった。

ポケモン対戦に熱中して、授業中に友人と3DSで通信しながら身代わりライコウで瞑想を積んでいた覚えがある。

あの時代が楽しくなかったと言えば嘘になるが、それ以上に対人戦をやり込んでいた時の僕は心が荒んでいた。

どんなに勝っても前に進んでいる気がしなかったし、負けると自分の全てを否定されたような気がしていつまでも認められなかった。

当時家庭が諸々の事情で崩壊寸前だったことを差し引いても、相当に不安定な時代を僕はポケモン対戦と一緒に過ごしていたことになる。

当然ながら人格も褒められたものではなく、自分の成功は当然で他人の失敗が何よりも嬉しく、そのくせ誰からも認められたがるという、一言で言えばカスであった

競技性を求めて遊戯王を遊んでいる時、その高校生当時のことをたまに振り返ることがある。

同い年でありながら僕よりもポケモンが上手くて紳士的で周囲に好かれていた彼は、今何をしているのだろう。

久しぶりに対人戦ゲームに触れて大事にしたいと思うことはいくつかあるが、その中でも一番大事なことは「高校生の時の自分に戻らない」というもの。これが僕の青春コンプレックスである。


RAM杯の話に戻るが、この大会は参加者も80人ほどおり、マッチ戦でこれほど大きな規模の大会に出るのは言うまでもなく初めてだ。

だが、僕の心配をよそに大会は驚くほど和やかに進行していた。

僕はもっと罵詈雑言が飛び交い、対面の相手に舌打ちや台パンぐらいはされるかもしれないとビクビクしながら向かったのだが(少なくとも僕が見えている範囲では)そういったことは全くなかった。

それどころかラウンドの合間に主催であるRAM氏による遊戯王クイズなんかも開催されており、会場の空気は確実に良い方向へ導かれていたように感じた。

大会当日、予選で一番大事な最初の数戦がどれも緊張で苦しい状況のまま進んでいく中で僕は時折昔の自分のように相手を恨んだり、自分の負けを(心の中で)認めなければいいんじゃないかと思う瞬間もあった。

だが、RAM杯は競技性を求める大会でありながら和やかに進行していく努力がそこかしこに見られ、僕はそれを見るたびに己の自我を取り戻してデュエルに向き合う姿勢を取り戻すことができたように感じる。

強い人たちは、もしかしたらこの”自我”を保つのが上手い人たちなのかもしれない。そんなことも思った。


まぁ、結局僕はボロボロに負けてるんだけど。

偏見

ここまで遊戯王(というか対人戦ゲーム)への異様な恐れと偏見を撒き散らしながら進めてきた僕だが、実際こういうことがあったという話も一つしておこうと思う。

5月に幕張メッセで行われたYCSJ。その会場に僕はいた。

現地で朝からテンション上がって撮ったやつ

当日はやっぱりド緊張で心細かったし、シングル戦なので本当にミスが怖くて震えながらプレイしていた。

いや勿論、基本的には優しい対戦相手ばかりだったのだが……一人だけ負けた時に「なんであそこで妨害しなかったんですか?」と詰め寄ってきたり(本人に悪意はなかったのだろうが)僕の目の前で知り合いらしき相手と僕のプレイングについてどうこう言い始めて滅茶苦茶怖かった記憶がある。勝ったのは僕なのに……

勿論、僕のプレイングがお世辞にも上手くはないというのは全く否定する余地のない事実なのだが。

そういうわけだから、80人も集まる競技シーンでは「対戦相手に不快感を与えたで賞で死刑!」を本気で言われると思ってビクビクしていたのだが、幸運にもRAM杯では一切言われなかった。

もしかしたら、遊戯王の大会は死刑を求刑される場ではないのかもしれない。

負けた後に思うこと

ここまで遊戯王に対する散々な偏見を語ってきたわけだが、じゃあ大会は楽しくなかったのか?というと……正直、めっちゃ楽しかった

まず第一に、違う人と何戦も連続してマッチ戦を行えるというのは普段の自分の遊戯王では見られない体験できないもので、本当に刺激的だった。

一戦ごとに学びがあり、次はああしよう、あれを忘れないようにしようという発見に満ちた日だった。

でも流石に燃え竹光とかいう未知のカードで僕のメインフェイズ1がスキップされた時は「えっ!?」って叫んでしまったし、未だにどうすればいいのかよくわかっていない。誰か助けてほしい。

次に一番気を付けないといけないと思ったのは、制限時間に焦り過ぎてサイド投入のカードを逆さまにしてデッキに入れてしまう事故だった。相手の人には何も言われなかったが、この日2回もやらかしてしまった。


そうして帰ってから、この日のことを考えた。

前述の通り、以前の僕は勝っても負けても前に進めない人間で、ただのカスだった。

だが、この日の負けは確実に次に繋がる負けになったと言っていい。そう思えた。

僕は以前よりも失敗した自分を認められるようになったし、予選で負けた後はいつの間にか試合後に対戦相手と少しだけ喋れるようにもなっていた。

勿論、これはただ高校生当時と違って少し精神的に余裕ができただけに過ぎず、気を抜けばすぐにまた逆戻りしてしまう脆いものであることもわかる。

だからこそ、今少しだけ前に進んだことをこういうところに記しておこうと思った。


ルイス・B・スメデスって学者の格言に、僕の好きな言葉がある。

許すとは、囚人を自由にすることだ」「そして、その囚人が自分自身であったことに気付くことだ

僕はポケモン対戦をやっていた当時からずっと他人にキレていたし、同じゲームを遊んでいる人間をバカにもしていた。マジで最悪のカスである。

でも今、そこから離れて別の対人戦ゲームに触れることでようやくゲームにおける”負け”を許せるようになった気がする。

当然ながらそういう形で前に進むためには健全な競技の場がやはり必要であり、そうした場を(僕みたいなカスが決して一人や二人でないということは容易に想像できる中で)様々な努力の下で提供してくださる方々の手によって人間と人間のぶつかり合いは前進していく文化なのではないかと思う。

多方面への感謝と共に、次なる戦いのために磨きをかけなければと感じる一日であった。


……次はもっと勝つ。


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