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オッペンハイマーを劇場で4回観たので感想書きます。

3時間もある超大作とあって、何を感じたか、どう考えたか、どのシーンが記憶に焼きついたか、本当に観た人の数だけ答えがあると思う。

その中でも私の素直な感想を書きたい。
単刀直入に言って、映画としてとても良くできていて、演出・ストーリー構成・音楽・音響・撮影・役者の演技、全てが一流で見応えが半端なかった。そしてこの映画の持つ壮大なメッセージ性も私には重く伝わった。

ノーラン監督の手腕も存分に発揮され、上手く噛み合っていたと思う。「どうして時系列を入れ替えるのか」や「分かりにくくて難しい」と言った意見があるのは当然分かる。私自身も初見で全てを完璧に把握するのは難しかった。しかし何度も見返すにつれて、単に理解が深まるだけでなく、「どうしてこの順番で見せる必要があったのか?」という時系列マジックの妙が分かってきた。何度も見返したお釣りがこの時点で帰ってきたのである。

正直、ノーランの他の作品に比べても1番演出がハマっていると思う。

オッペンハイマーという人物について語りたい。
途中のセリフでもある
「慧眼にして盲目」
は彼を1番言い表せている一言ではないか。とあることについては頭ひとつ抜けた才能を発揮できても、その他のことには疎かになってしまったり、頭が回らなくなってしまう。自分の好奇心が湧き立つものにはのめり込むのに、それ以外になると全くもって興味を示さない。彼が周りから冷たいという印象を受けてしまう原因であろう。

「思い立ったらすぐ実践」「興味を持った分野を極めたい」「自分で決めたことを成し遂げたい」こういった情熱的でもあり、利己的でもある、また純真無垢な子ども心と言っても良いような本心が彼の原動力の源だったのかも知れない。

物語を見て分かるのは、確かにオッペンハイマーは優れた学者であったが、トップオブトップであったかと言われればそうではなく、どちらかといえばトップの研究者連中の中では割と劣等感を抱いていた人物であるということ。そんな彼にとって原子爆弾の開発は、一世一代の全身を投じた賭けであったのである。ましてや敵国ドイツを見据えて戦意高揚のアメリカ国内において、原爆開発を成し遂げるということは、これほど研究者冥利に尽きることはないだろうと言った感じである。時代・環境とオッペンハイマーという人物の化学反応によって、成る可くして成った原爆計画だったのかも知れない。

トリニティ実験成功で大喜びするシーン。私は涙が止まらなかった。毎回そのシーンで泣いてしまう。幾つもの困難にぶつかりながらも一致団結して何かを成し遂げるシーンに涙するのは他の映画でもよくあること。しかしこの映画の場合は“日本に落とされてしまった原爆”を作っているため、このシーンで複雑な二つの感情に挟まれてしまい、説明し難い涙が押し寄せてくるのだ。

終盤、ストローズとオッペンハイマーの小競り合いが続く。くだらない人間の争いとも取れる。ハメ合い、チクリ合い、とても些細な痴話喧嘩である。これを映画としてやる必要があったのかという話だが、私は絶対的に必要だったと思う。

国家間の戦争、そしてそれによって生まれた兵器、国民や思想の憎悪、常にこの映画で描かれるものは母数が大きい集団の争いとその狭間の不条理である。しかし終盤は一貫してストローズvsオッペンハイマーのミニマライズされた争いに執着した。これは戦争や国家間の争いそのものを、人間同士のくだらない喧嘩と本質を同じものとしている、メッセージと私は捉えた。

「インターステラー」でも人類を救うのか家族を救うのか、本質は同じである、というシーンがあった。この辺の演出もオッペンハイマーでは光り輝いていたと言える。

この映画のラストカットは他に類を見ないぐらい秀逸である。

「我々は世界を破壊した」

最初想定していた破壊と、実際に起きた破壊、世界が変わってしまった現実、この真理とオッペンハイマーの言葉の意味にはたと気付かされた瞬間、皆が皆呆気に取られ、映画館の中で衝撃に押しつぶされることであろう。

何はともあれ、この映画は傑作です。

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