適応障害 休職中ワーママ 徒然 家庭@小学校

今日はメンタルクリニックに行った。
私の主治医の先生はおじいちゃんで、病院は予約制ではなく当日待てばお会いできるというもの。しかも時間制限がないので、待ち時間は長い。でも会えたら毎回何かの発見があって、すこし心と体のが解きほぐされて行く感覚がある。

最近ホットヨガを始めたことを報告した。
「それは今までやりたいと思っていたの? それとも調べたの?」といわれて、私は昔からやりたいとは思っていたけど、いろいろ時間の関係で諦めていたという話をした。
そのとき十月は本当にずっと落ち込みと体調不良が激しくて苦しくて、やりたいことも思いつかなかったけど、やりたいことをようやく思い出せたんだなと少し安心した。

●家庭@小学校
正直家庭内のできごとは時系列がぐちゃぐちゃなので、思い出した順に書いていく。

試しに「お母さん、お兄ちゃんと私、どっちが好き?」ときくと「お兄ちゃんかな」と返された。
今では同性の子供よりも異性の子供のほうが邪気なくかわいがれたのだろうなと思うのだが、当時は気にしないふりをしながら、ずーっと気になっていたのだろう。今でも覚えている。

小学校の図書館で土曜日に読み聞かせの会があった。
母は土日もパートにでていたので難しいだろうなあと思いつつ、母に行きたいといった。案の定ことわられた。
「読みたいなら家で読んであげるよ。ごめんね」といわれたけど、読んでもらった覚えがない。これは思い出してちょっとさみしかった。
(母のイメージでは読みたければ持ってきてほしかったのかな。でも私は誰かに選んでほしかったのかな、持っていくこともなかった)

父は単身赴任で自宅にはいなかったが、帰ってくると泥のように寝ていた。
時々起きて、本屋やゲームを見につれていってくれた。
母はおこづかい以上のものを買ってくれなかったが、父は買ってくれたので嬉しかった。ただものを買ってくれない人になったら、本当に父のことを今のように好きなのかな? と疑問に思った。
(これは後に現実問題になった。今、私と父の関係はよくもないし悪くもないが、彼から与えられた苦痛は幼少期のつらさのほとんどの根っこなので、とても許せそうにない)

夏休みはほとんどどこにも行かなかった。
行きたい場所もあったのかもしれないが、小学校時代に希望を伝えたことも行けた覚えもない。
母は車の運転が得意ではなかったし、パートの勤務スケジュール上、2日間休むのも難しかったから、行けなかったんだろうな。
九州の北にある祖母の家に行くのが唯一の旅行だった。
でもついても全然どこにも行かなかったんだよな。
ショッピングセンターにつれていってもらったことが1回か2回だけあったのかな。でも値段を見て、買ってもらえるとも思えず、ほしいともいわなかったなあ。
一着だけ黒いシャツを自分で買ったか、買ってもらったのだけど、それは宝物のように思っていた。

祖母の家に行ったとき、伯母と会ったことがある。
そのときの私はちゃれんじでもらった知育玩具を持っていっていた。磁石の力でコインが隠れたり出たりするものだったが、やっていても大人に全然見てもらえなかった。
私は「こんなにすごいと思うのに、全然誰も気づいてくれないなあ」とさみしく思っていたら、伯母が気づいてくれて「すごいね」と声をかけてくれた。うれしかったな。

これよりももっと小さい時だったと思うけど、祖母の前でお絵かきか文字を書いていた時に「あなたはたくさん知ってるね。おばあちゃんはあんまり知らないから教えてくれる?」と声をかけてくれた。
「おばあちゃんは知らないの?」とにこにこしながら、私はおばあちゃんに教えた。
(いま、私は息子に同じことをしている。祖母は本当に私がかわいくて、話したかったから、そういう風にいってくれたんだなと実感している)

祖母の家はふつうのマンションだったが、一部屋は布団を敷いたりあげたりするタイプの寝室だったので、お昼はただ広いだけだった。
そこでごろごろしたり、お外のビル群をみたりして、ぼーっとするのが私の夏と冬のお休みだった。

ちょっと祖母の話がおおくなってしまったので、自宅での話はまた今度書こう。
私にとって自宅の話はあんまり面白くないし、祖母は亡くなっていて思い出して涙することが多いので、なかなか筆が進まない。

追記
南の祖母についていくつも思い出した。
南の祖母の家にはよく行っていた。
伯母家族も住んでいたので、よく従姉妹のマンガを読ませてもらっていた。
祖母は私と兄を近所のショッピングモールにつれていってくれて、絵本やゲームなど好きなものを買ってくれることがあった。
そのほとんどを手放してしまった(年相応のものばかりだったし、役目を果たしたのだろう)

逆に北の祖母が買ってくれた本は一冊だけ残っているはず。
北の方が都会だったので、すごくおしゃれな街を歩いているなと興奮した覚えがある。
玩具屋さんが少なくなって、祖母が「一緒に見て回れる店が少なくなったね」と言っていた。
一時期祖母の家に仮住まいしてたこともあるのに、祖母と出かけたことはなかった。ずーっと少しくらい一緒に散歩したかったのに誘いもしなかった。
亡くなったこともあり、後悔している。

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