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4 ロシア架空紀行

(戦時国ロシアを旅する動画をネットでみた。そんな動画を見ているとちょっとした創作力が湧いたので、写真集を想定したちょっとしたエッセイ文を書いてみた。実際のロシアは全く1㎜も関係ない。)

「 戦時国ロシア紀行」
―こんな時代だからこそ僕は国境を超えて旅をした―

・はじめに
 2024年の5月、僕はモスクワにいた。目の前に写るのは本当にごく平凡な風景だった。子どもは走り回り、老人はのんびりと犬を連れて散歩している。カフェのテラスでは僕と同じくらいの若いカップルが楽しそうに会話をする。そんな平和な日常に満たされた街を眺めながら歩きつづけた。すると瞳が青く透き通った少女が、僕に声をかける。
「ニーハオ」
僕は戸惑いながらも繰り返す。
「ニーハオ」
彼女は満面の笑みを浮かべながら過ぎ去っていった。どうやら中国人に間違えられたらしい。
 この国は戦争をしている。国営メディアのアナウンサーがラジオで戦場の戦局を話し、建物の壁に貼り付けられたポスターには兵士募集の文字が目に映る。少しだけ視点を変えれば一つの生々しい事実は現実なのだと思い知らされる。だけどそれ以外は、僕がよく日常的に通う新宿の街中と何も変わらない。
 3年前の3月にキエフの街が戦火に包まれてから、日本にとって近くて遠い国になった。今では北京を経由しなくてはたどり着くことはできない。だからこそかもしれない。一度自分の目で間近かにみてみたかった。普段はスマートフォンやテレビの画面でしか知ることのできないこの国の生の姿を。僕は都内に住むサラリーマン。性癖のような一定の思想を好む人間でも無ければ、戦争に対しては一日でも早い停戦を心の底から願っている一人の市民に過ぎない。ただ好奇心に導かれてこの国を旅することにした。始まりはモスクワ。そしてサンクトペテルブルク、セバストポリ、最後に国後島へ渡る。そんな旅で撮った写真と僕が綴った日記を一つの冊子に記録した。これを読んで感じる事は色々あると思う。だけど、あまり感情的にならないでほしい。ここに写る彼らは、僕らと同じようにただ日常の中を生きているだけなのだから。

 国後島編

(架空写真集の最後はこの島から移る北海道の写真で終えたいと思った)

 国後島。日本人なら一度は名前を聞いたことがある島。僕は旅の最後にこの場所を選んだ。ロシアから国境の先にある日本を見てみたい、そんな気持ちに駆られたからだ。この旅で多くのロシア人と語り合い、交流をもった。だけど彼らにしてみれば、極東から来た一人のアジア人に過ぎないかもしれない。それでもロシア人から見る日本は一体どのようなものなのか、まるで一つの自分探しのようにそんな事を知りたくなっていた。この国の事はまだわかないことが多い。一生涯かかってもそれら全ては理解できないだろう。それでも今の僕なら、海を超えた先に広がる日本を目にすれば何かがわかる、そんな気がしていた。ウラジオストクを飛び立ったオンボロ飛行機は、気づけば独特な機械音を鳴らしながら着陸態勢に入っていた。
1945年8月15日、日本はアメリカを中心とした連合国軍のポツダム宣言を受け入れた。いわゆる終戦の日。しかし北の最前線ではそうもいかなかった。それから3日後の18日、当時は日本領であった千島列島の最北部に位置する占守島はソ連の侵攻を受ける。その後、ソ連は更に南下して現在の北方領土と言われる島々まで占領した。それから80年が経とうとしている。
 降り立った空港の周辺を見渡すと日本の面影は殆ど見当たらなかった。どこまでも続く広い大地には、赤や黄色に塗られた屋根をする異質な小さな家々が並んでいる。この島の歴史を知らない者なら以前は日本人が住んでいた事などまずわからないだろう、そんな印象をもつ光景だった。時の流れが生みだした残酷な一面を僕は肌で感じる。80年という時間はあまりにも長すぎた。
(全て架空の事だ、、、妄想だけでは色々と限界)

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