共創プロジェクトはなぜ、うまくいかないのか?
🗝key word🗝
●ハレ(非日常)とケ(日常)の設計
●ハレの舞台で何者かになれるかという報酬設計
●サイエンスではなくアート(演出家の存在)
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報酬無しで人は動くのか?
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『プロセスエコノミー』はすでに読んでいる人も多いと思います。必読です。
#今から5-6年はメインストリームになる
基礎情報は本を読んでもらうとして、実際にカタチにしていこうとする時のリアルな話をします。
共創コミュニティを作ろうとするとき
「報酬設計はどうするんですか?」という相談をよくもらいます。
結論、やりたいからやるで集まってきた人に、報酬(給料)を用意してしまうと、それが『対価』として置き換えられてしまって、かえって満足度が下がる、です。
BBQで頑張って炭に火をつけてくれた人に、御礼として【30円】です!としたらどうなるか、想像したらわかりますね。
『ありがとう』という言葉をいただいた」という事実の方が、報酬としては大きくて、30円を支払われたら、それで相殺された気になっちゃう。
「そんな安い仕事してない。。」という気になってしまう。
では、「やる気がある人=無償でいい」のか。
それはやりがい搾取ということになりかねない、
この辺りは難しい設計がかなり難しいです。
一つの方向性としては、『ハレ』の仕事は無償の方が良い、ただし『ケ』の仕事は有償の方が良いです。
『ハレ』とは「非日常」であり、『ケ』とは「日常」です。
イベントに参加する為に、お金を払ってダンススタジオを借りて、お金を払って衣装を揃えたりします。準備に費やしている時間も相当なものです。たくさんたくさん練習して、迎えた当日、観衆を沸かした後に、ギャランティーで「100円」が支払われてしまうと、途端、スタジオ代や衣装代のことを考えてしまい、「これじゃ、マイナスじゃん」という結論になるのは想像できますね。
とはいえ、生きるためには『ケ(日常)』の仕事では、報酬を受けとる必要があります。
「無償」と「有償」を、『ハレとケ』で分けて考えると、仮説ですがスッキリします。
となってくると、共創プロジェクトは『ハレ』の仕事にする必要がある。
では「ハレの仕事の条件」とは?何か?
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▼ なぜ、共創プロジェクトがうまくいかないのか?
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箱だけ用意して、色んな人集めればなんか生まれるということは絶対にないです。
トレンドワードで共創が目立つようになりましたが、なんちゃって共創も増えてきた印象です。
なんでもかんでも都合良く「ハレの仕事(ハレの舞台)」になるか? というと、そんな甘い話はなく、「ハレの仕事」にはそうなる条件があります。
それは、「少し力を出せば、何者かになれる期待醸成と事実としての変化」です。
少し頑張ればヒーローになれる(=普段の自分では集めることができない注目や信用や感謝を集めることができる)仕掛けが出来上がっています。
「日常からの変化」こそが参加者の最大の取り分で、それが用意されていないプロジェクトは、ハレの仕事にならない共創が機能しない。
何者になれるのか?という議論がスッポリと抜け落ちてしまっているのと、熱量はまるで加速しない。
何者にもなれないプロジェクトは『ケ』の仕事なので、「普通に給料を出せよ。なんでやりがい搾取してんだよ」となってしまう。
そして、「何者かになれる空間を作る」というのは、起業家の仕事じゃなくて、「演出家」の仕事だと認識する必要がある。
「この人わやどう見せて、どんな動きしてもらって、どんな舞台セットを用意すれば、この人が魅力的に映るのか?」は、サイエンスじゃなくて、アートの領域。
仕掛人の中に、アーティストが入っていないと、いつまでたっても『ハレ』の仕事は作れないし、B共創プロジェクトは上手く回らないことがみえてきた。
だけど、現状、多くの企業は、「共創プロジェクトの為にアーティストを雇う」ということをしない。
結果、サイエンティストが見よう見まねで、アート活動をやって、「同じようにやってるハズなのに、なんか上手くいかない」というところに陥ってしまう。
だけど、共創プロジェクトを推し進めるのであれば、絶対に必要な人材が演出家。
これは教訓です。
日々、学び。
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