春すぎて夏来にけらし白妙の
持統天皇『新古今集』より
春すぎて夏来(き)にけらし白妙(しろたへ)の 衣(ころも)ほすてふ天(あま)の香具山(かぐやま)
現代語訳
「いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようだ。夏になると真っ白な衣を干すと言うから、あの天の香具山に(あのように衣がひるがえっているのだから)」
日差しはもう夏。長い間、いつのまにか来ていた春を自宅で過ごして、外出禁止が解かれた今週。少しずつ日常を取り戻して来ています。IKEAに行ったり、バールに行ったり、ピッツァをテイクアウェイしたり。少しずつ「社会復帰」を一歩づつ踏みしめている感じです。
ミケランジェロ広場やサンミニアート・アル・モンテ教会にも行ってきました。花や木はもうすっかり春から夏に向かって生き生きとしています。私たち人間はどうでしょう。Tシャツなどの半袖になっていますがマスクは欠かせません。なんだか不思議な光景です。マスク越しに香るジャスミンや薔薇。思いっきり息を吸い込みたいところを家に帰るまでぐっと我慢です。
日常を取り戻そうとはしていますが、やはり以前とは違う。それでも出ないよりは出る方が、経済活動と精神衛生的にも良いと思うので、この相違にも順応していくようにしています。「列に並べ、順番を待て、間隔を開けて」どこに行っても必ず。このウィルスのせいで突然できたルールを守っているイタリア人達。前向きに頑張ろうとする姿勢を見て、この国に住んでいて良かったと思います。
プローテウスというギリシア神話の海神がいました。ナイル川河口の沖合に浮かぶパロス島でアザラシの世話をしていて、「海の老人」と呼ばれ、半分が馬で半分が魚という姿。古くは、魚の尾を持つ身体から、獅子や鹿、蝮が顔をのぞかせている姿で描かれていたりします。ポセイドーン以前のギリシアの海の支配者であったとも言われています。
予言の能力を持ち、その力を使う事を好まないため、プローテウスの予言を聞くためには、捕まえて無理矢理聞き出さねばなりません。しかし、他の物に変身する能力をも有するため、捕まえること自体が至難の技。オディッセイアの物語にも登場します。
プローテウスから学ぶこと、それは自然やその他の現象の変化に応じて人間も変化していかなければいけないということ。例えそれが今までしてこなかったことでも好ましくないことでも、生き残るためには臨機応変に柔軟に対応していくこと。言う分には簡単そうに見えてもこれまでの慣習や慢心はそれを邪魔します。私たちの蓄積された習慣は頑固で厄介ものだったりします。
ただ、この変化は来るべくして来ています。偶然ではなく必然だと思います。この変化にどう対応するかが今年の課題なのでしょう。
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