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流れに身を任せるか逆行するか。

外出禁止解禁後初の週末であった先週の土日は、ピクニックで友人達に会ったり、彼の両親宅でランチをしたりと、久しぶりに人に会うイベントに大忙しでした。今週はいくつか美術館が再開したこともあって、歴史地区の中心街にも出かけました。長かったロックダウンの後、日常を取り戻すのに必死になっている自分がいました。

3ヶ月ぶりに友人に会ったり、美術館に足を運ぶのは待ち遠しかった分楽しかったのですが、心の何処かで「まだ浮かれるのは早い」と言っているような気がしています。とは言いつつ、すでに気温は高くなり、バカンスムードさえ出てくる時期。さて、本来なら来週からイタリア国内は自己申告書なしでも移動ができる予定(現在は政府の正式決定待ち)ソワソワと浮足立っていたりもします。

歴史地区の中心街に行った時、これまで見たことのない光景を見ました。外出禁止解禁後、美術館が再オープンして、大聖堂や他の美術館に人が集まる中、ほとんどのレストランやお店は閉まっています。これまで観光客ターゲットだったお店は、地元民だけしかいなく客数が見込めないことをわかっていて、晴れて営業開始できるようになったのに開けていないのです。レストランやお惣菜の店のテイクアウェイなども中心街より、住宅街に近い立地にある方が好都合という状況です。

6月15日以降、ヨーロッパからの入国が解禁になるまで、この状況は続くのではないかと思っています。観光客が戻って来たら、前のように賑やかで活気のある街になるのかどうか。悲観するわけではなく、何か新しい流れに変わるのではないか、もしくはそうあって欲しいという気持ちがあります。

今年の星の流れのことを少し説明します。まだ自分でも勉強中なので、正しい解釈になるかどうかは今年の終わりにならないとわかりませんが、2月ごろから4月まで現在山羊座にいる冥王星と一緒にいた土星が、今は水瓶座の位置にいますが、また7月に逆行して山羊座に戻って来ます。土星は自然を司り、自然に反することを嫌います。何が言いたいかすでにわかる人もいると思いますが、来るべくして来た「期間」です。まるで私達人間がしていることに「喝」を入れるかの如く。

喝は、どういう意味なのか。気合を入れるのは「活を入れる」と書くそうで、よく見る「喝を入れる」という使い方は間違っているそうです。では喝とは何か。叱る、脅かすという意味ですが、臨済宗(りんざいしゅう)を開いた臨済義玄禅師(りんざいぎげんげんし)は、これら4種類の喝を使い分けていたと言われています(臨済四喝)。

本来の自分に立ち返らせる喝:金剛王宝剣(こんごうおうほうけん)のごとし
相手の思い上がりを潰す喝:踞地金毛(こんじきんもう)の獅子がごとく
相手の力量を見抜く喝:探竿影草(たんかんようぞう)のごとく
3つを包括し、真理に到達した状態:ある時の一喝は一喝の用(ゆう)を為さず

ちょっと難しいですが、本来の自分に立ち返らせる、相手の思い上がりを潰す、相手の力量を見抜くという厳しさですね。土星は優しい星ではありません。私達に厳しさを教えます。スパルタです。今年は自分に向き合う時期で、やり方や行いが間違っていると制裁が降る、ということになります。危機はそういう意味でも生き残るかどうかを試されている試練とも言えます。

そしてその試練は人によって様々な形でやってきます。私もこの試練の期間にじっくりと自分を見つめ直して、やらなければならないこと取り組みます。逃げるとかやり過ごそうとすると土星に喝を入れられるのは目に見えているから。何をしなければいけないかを理解するのもまた試練です。流れに任せるか逆行するか、いい方向なのか悪い方向なのかを判断する目が必要になってきます。


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