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Carpediem(カルぺディエム)  日々是好日(にちにちこれこうじつ)

イタリア語学習をしなくてもこんな言葉を知っていると毎日に「味わい」が出る?かもしれません。

今年で還暦を過ぎ二年が経ちました。

イタリアに来て、色々な仕事をし、一時帰国でアルバイトをしたりもしつつ、4年経った1992年、フリーランスとして通訳業と観光業に従事するようになりました。

時代も良かったのか、独立したと同時に大きな問題もなく生計を立てることができ、自分一人でアパートを借りられるようになったものの、一人でやっていかねばという気負いから無理をし過ぎて身体を壊すこともしばしばでした。

咽頭炎から喘息のような発作が続き、挙句、声が出なくなったり、椎間板ヘルニアと坐骨神経痛のダブルパンチで動けなくなったり、と仕事に支障をきたしたこともしばしば。

それでも多少のことは気合いでカバーなんて、ますます気負って、体調を悪くするといった悪循環の時期が暫くありました。

仕事を休むと何の保証もないフリーランスですから、流石に学習し、50代からは、無理をし過ぎない、健康管理を怠らないといった基本的なことを極力実行しています。

フリーランス故に、定年制もありません。
経済的にも働かなければなりませんし、実際、まだまだ働けそうです。
お声がかかる限りは働きたいという気持ちもあるものの、少し前から自分の仕事に何か新しい要素が欲しいと思い始めてもいました。


しかし、昨年、コロナ禍が到来。幸い通訳と翻訳の仕事はオンラインで続けられるものの、わたしのもうひとつの仕事である観光ガイド業は危機に陥りました。

そして、外出規制が厳しかったイタリアのロックダウンが終わってしばらくした2021年夏のこと、「初めまして!フィレンツェのMariです!」の自己紹介記事に書いたように、ローマの友人で同業者の竹内みどりさんから声をかけてもらい、ローマで活動している彼女のガイド仲間、そして、他の2都市のガイドたちと一緒にバーチャル観光に挑み、早くも一年が過ぎました。

しかし、まだまだ十分と言える活動ではありません。自分でも何かしたいし、しないといけない!でも何ができる?と自問自答の日々は今も続いています。

夕べはそんな悩みを高校時代からの旧友に聞いてもらい、ほど良い励ましをもらって、心が少し軽くなったので、翌日、そのお礼のメッセージを送りました。

日々是模索だけれど、日々是好日の気持ちを忘れずマイペースでやってみる〜。

実は日々是好日(ひびこれこうじつ)は、日々是模索(ひびこれもさく)という自分の心境を表した後で、そうか、こういう表現があったな、こう思って生きたいなと付け足した言葉でしたが、「こういう表現はなかなか聞かなくなったね」と褒めてもらって(と勝手に思っているわたし)は、嬉しくなりました。

友人は更に「昨今は〈捲土重来(けんどちょうらい)〉なんて言っても通じないからリベンジって言っちゃった方が早いよね」と畳みかけてきて、一瞬、読みもわからず、焦ったわたしでした。
実はこの記事をアップした後で樹木希林さん主演で遺作となった映画が「日々是好日」だったということを知ったことを付け加えておきます。

閑話休題。
「日々是好日」に話を戻し、余り使わない言葉だからこそ、よりよく理解して、使わないといけないと、幾つかの説を読んでみました。納得!と思うブログの説明があったので、貼り付けておきます。

文字通りなら、毎日が好日(良き日)ということになるけれど、ただ単に毎日が良い日という能天気な話(失礼!)ではなく、わたしたちが生きる日々の瞬間こそが尊いものであり、そのことを大切に毎日を「好日」として生きればよいという禅の教えなのねと自分なりに解釈しました。

こう理解した時、ふと、イタリア語の先祖であるラテン語にも似た表現があるじゃないかと思った次第です。

それは
Carpe diem カルぺディエム
紀元前1世紀、古代ローマ時代の詩人ホラティウスの言葉です。

言葉の意味は「この日を掴め」
カルぺは掴め
ディエムはこの日、つまり今日というこの瞬間

その日を掴め」という訳が一般的なようですが、なんとなくピンとこないので、わたしは敢えて「この日を掴め」と訳しました。「今日を掴め」の方がもっとしっくりくるかもしれません。

日常生活で、今のこの瞬間、その日その日がもたらす良いことを堪能しようではないかという意味です。

ここでも「良いこと」というのが必ずしもとてつもなく良いこととは限らないのです。日々多くの良いことがあるかもしれないし、余りないかもしれない、それでも日々のこの瞬間がもたらすものを捉えて堪能して生きようではないかという意味です。

時は否が応でも去っていきます。
無理はしなくてもいいのです。空をぼんやり見上げたり、美味しいものを食べたり、散歩をしたり、もちろん、一生懸命働いたり、勉強したりも結構。辛いことも悲しいことも、嬉しいことも楽しいことも、日々、自分にもたらされた瞬間を生き抜いていく。

大切なのは、二度と戻ってこない日々を「是、好し」として生きていくこと。
わたしの中で、ふたつの言葉が日本とイタリアを繋げた瞬間、これも「好日」としてまた過ぎていく。

この繰り返しを飽くことなく、虚しいと嘆くこともなく、淡々と生ききっていきたいと思う手助けをしてくれた友人との対話にも感謝です。

なおみ、ありがとう。


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