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育つ街

先日KANDYTOWNというHIPHOPクルーのラストライブを観に行きました。

僕らのYouTubeチャンネルの撮影・編集を担当してくれる学生時代の後輩くん(以下、せーしゅー)が有難いことに前々日チケットを一枚譲ってくれて行けることになりました。同行するはずだった友人が来れなくなったからだそうです。

僕は超絶にわかですが、曲はある程度知ってたので二つ返事で了承し、当日は武道館にてたっぷりとKANDYTOWNの「最後」を堪能しました。

曲、パフォーマンス、演出諸々含めて全てが本当にかっこよかったです。

クルーの一人、IOが客席の方を見て立ってるだけの静観している姿すらも何だかハンパじゃない色気が滲み出ていて、洒落にならない彼らの魅力を脳みそにノータイムでぶち込まれ続けました。

MC無しの曲の連打。多くは語らずのアンコール無しのラスト。そんなかっこよさのオンパレードで無事終演し、共に楽しんだせーしゅーと帰り道、駅まで歩きながら色々僕が知らなかったKANDYTOWNの魅力や歴史を色々教えて貰いました。

その中で語る彼の印象的な話がありました。

せーしゅーは「ゆくゆくはKANDYTOWNの地元世田谷で自分の子供を育てたいっすねえ。」と言っていて、僕は「KANDYTOWNにめちゃくちゃ憧れてんだなぁ(笑)」と軽いニュアンスで聞いてたら、続けて彼は真剣な顔で

「あの凄まじいセンスを養うためにはどうしたってこうした都会に身を置かないと無理だと思うんす。」と。

僕氏「ほう…?」

彼は学生の頃にHIPHOPのカルチャーに触れ、どっぷりとハマり(中学からNITROとか聴いてた)同じ趣味を持つ友達とHIPHOPをより深く楽しもうと見よう見まねでリリックを書いたりスケボー乗ったりして、色々挑戦してみたそうです。ところが住んでいた場所が兵庫のど田舎だったということもあり、当時はこれといった方法論も大してわからず、表現の場(ネットも今ほど発達してなかったから)も、それを共にする為の仲間も非常に乏しく、思うようにやれなかったのが残念だったと言っていました。

だからもし将来子供が生まれたら、自分の子どもがやりたいと思ったことが環境のせいで狭まらないように東京世田谷に身を置きたいと語っていました。

この話を聞いて静岡の田舎出身の僕は凄まじい共感で首ブンブン振ってちぎれそうでした。

全部が全部そうじゃないですが、幼少期からの育つ環境が栄えていればいるほど、金を持ってれば持ってるほど、自分がのめり込める何かを見つけて経験できる「速度」と「範囲」が段違いだなとこの話を聞いて思いました。

僕はこの30年振り返って長年打ち込んできたものがサッカーしか無いんですけど、そこでできた「友人」や仲良くなるためにいじられたり、全力でリアクションする「お笑いのコミュニケーションの経験」はとても大事なものだと今でも思ってます。
ただ、サッカーを「プロになりたい」だとか「好きだからやりたい」とかでなく、ここまできたら続けた方がいいかもという「意地」と長く続けてきたものを辞める「勇気」が無かったせいで惰性で終えてしまったことを今でも後悔しています。

だからかろうじて見つかった自分のやりたいと思った「お笑い」を胸張って仕事にできてるのは本当にラッキーだなと思います。(お笑いの文化は親父がダウンタウンさん好きでよくテレビ流れてたからそれで知れて良かった。)

下手したらこれも見つからないで終わる人だっているはずです。

当時僕の周りの人で「上京して成り上がってやらァ」みたいな人が本当に少なくて、今でも地元は好きですけどそういう仲間が少ないのは”寂しい”です。

あのライブを観た日から毎日KANDYTOWNを聴き、さらに興味が湧いて経歴とかメンバーを知ったりすると自分のやりたいことを共にする仲間と環境があるのは思ってたより貴重で尊いもんなんだなと痛感しました。

そんなことを思えるくらいKANDYTOWNとせーしゅーの話に俺はくらいました。

そんなおれは次の日何をしたかと言うと。






ラーメン富士丸西早稲田店



静岡という環境では決して食らうことができ得なかった「野心」を自転車かっ飛ばして食らってきました。


店員「ニンニクいれますか?」

ぼく「KANDYTOWNマシマシで。」

じゃないんですよ!!!!!!

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