工場の日常

 工場の回転する機械に巻き込まれて夫が死んだ。

いつものことだ。

私はそこの工場長だ。

 不況が続いてもう数十年、安全に対するコストは削られ続け、もはや安全を理由にした稟議書は一枚も通らなくなった。それがおかしいと声をあげた前工場長は首になって、私が新しい工場長になった。実務経験は浅かったが、こうすれば女性管理職の割合目標を達成することができるらしい。女性管理職の目標なんて、守ってない会社のほうがほとんどなのに、目標必達に対しては変に真面目な会社だ。やはりそのあたりがそこらへんのしょぼいブラック企業と、大企業であるブラック企業の違いだと思う。まあそれはともかくとして、そんなだから私のやることなんて高い離職率を穴埋めする人さらい……もとい従業員募集と、生産ノルマの管理、足りない場合の尻叩きぐらいしかない。夫と出会ったのはそんな生活の中だった。具体的にどういう理由で付き合ったのかは覚えてない。ただ職場で上司と部下が恋愛して、結婚したというだけのよくある話だ。別に結婚したからと言って職場で夫を特別扱いはしなかった。だいたいこういうのは、ちょっと特別扱いするだけで割に合わないぐらい周りに嫌悪されて、居場所がなくなるというのが定番だ。だから職場では単に上司と部下にすぎなかった。夫のほうでもそのほうが気楽らしかった。

 夫が細切れ肉になった場所はたいして機械が混雑しているとか、安全通路がないだとかではなく、単にセンサー付き安全柵をつければ事故は起きないだろうという場所だったが、柵がないので去年も誰か死んでいた。死んだ人の顔は思い出せない。安全に対するコストがかけられないので、労災に関する対応は全て気を付ける程度のことで済まされる。もちろん書類上では各種の対策が記載されるが、実施されることはほとんどない。当然人がポロポロ死ぬが、なにせこの不況だから労働基準監督署も人手不足であり、きちんと体裁を整えた報告書と再発防止策を出せば何も言われない。世の中の大抵のブラック企業はその最低限の建前すら守らず、報告書を出さないとか、あまりにもあんまりな頻度で人が死ぬとかで、そういうのを取り締まるのに忙しいので、うちぐらいの人死に頻度なら安全だ。摘発されたら時間と金の無駄なのだから、心にもない安全対策ぐらい書けばいいのに、といつも思うし、なんならそういう再発防止策書類のコンサル(再発防止のコンサルではない)だっているぐらいなのだから、そういった人間を雇えばいいのに、馬鹿な連中だなあと思う。まあ、そういった人たちがいるおかげで、私が逮捕されなくて済んでいるのだから、馬鹿にするのではなく感謝するべきだろう。表向きのKPIにはもちろんなっていないが、私は年に二名までを心掛けている。それぐらいであれば、表向きの報告書を出せば何も言われない。もちろん法的に責任を問われることになれば、工場の総責任者の私も逮捕されることになるのだから、コストがかからない対策はある程度必死にやった。工場長として、妻として、一人の人間として、日常生活を守るために。

 もちろんサビ残だ。

 まあそんなことを続けてきた結果が、目の前でミンチになっている夫である。人生ろくなもんじゃない。ミンチになっている夫を見て、夫がハンバーグが好きなのを思い出した。ちょうど家でビールとハンバーグのタネが冷えているはずだ。なんで奮発して遺伝子不組み換え牛のハンバーグにしたんだっけ。結婚記念日だったような気もするし、夫の誕生日だったような気もするし、もしくは私の誕生日なのかもしれない。そんな大事な日が思い出せない以上、なるほど私も工場長として冷静を保っているつもりでいて、かなり動揺しているのには違いがない。それにしても流石に夫が挽肉になった後ではハンバーグを食べる気がしないだろうなと思った。せっかくいい食材を買ったのにもったいない。もちろん家で冷えているハンバーグのタネと、目の前の夫だったものに何かしらの関係があるはずがなく、よってハンバーグを食べたところで私が貞淑な妻、いやもう未亡人だが、であることに変わりはないのだから、ハンバーグが食べられない、などと言うのは「夫の死によってトラウマを受けている、かわいそうな妻」という振る舞いを社会的に求められていることと無関係ではない。一般的に配偶者の死に悲しまない人間は異常と考えられる。婚姻とは単に二者間の関係にとどまらず、ある程度社会的なものだし、仮に夫が死んだとして、今日から妻でなくなる道理もない。

 ミンチになっている夫を清掃して、社内規定に則って工場の裏庭で焼いた。夫はやせ型で、脂肪が足りなかったから、焼却炉に燃料を足さなければいけなかった。そういえばこの前焼いたデブは焼却炉に入らなかったから大変だった。何人かで体をバラバラにして、なんとか詰め込んだが、そこに火をつけると今度は物凄い勢いで燃え上がって火事になる寸前だった。それを考えると死んだ後まで妻に優しい夫だった。夫を特別扱いして、自分で持って帰って焼くわけにはいかなかった。せめて自分たちで焼かせてくれと泣きついてきた遺族を何人も追い払った以上、自分だけ特別扱いというのは耐えがたかった。それに、もう死んでいる以上夫にだって不満はないはずだ。死んだ人は不満を言えない。安全柵だって絶対につけられなくなってしまった。「夫が死んだから安全柵をつけます」なんてことを言えば、それこそこれまで死んでいった従業員たちが骨壺から飛び出して襲ってきたって文句の一つも言えないのだ。第一今生きている従業員がストライキを起こしかねない。そうなると私は終わりだ。考えてみれば当たり前のことだが、これまで死んでいった従業員たちにも、夫がいて、妻がいて、子供がいて、親がいて、友人がいたのだろう。私の夫だけが特段特別なわけでもない。これがこの工場の日常だし、私はそこの工場長だし、私が夫を特別扱いして危険な現場に近づけなければと後悔しても、おそらく、そんなことをしていたら今頃もっと後悔していたのだろう。だからこんなことを頭の中でグルグル考えてもしょうがないことなのだ。それに、急いで従業員が一名死亡した労働災害についての報告書をまとめないといけない。またサビ残か、と思ってため息をついた。これで今年二人目だからデッドラインだ。まあ、あと三か月乗り切ればいいさ。それに忌引休暇を取る必要はないわけだから、なんとかなる。ああ、それに人を雇って教育する手はずも整えないと。今夜はてっぺんかな。私がサビ残して、他人の肉を裏庭で焼いてまで守りたかった日常ってなんだったんだろう。でも今更止まるわけにはいかない。工場の歯車だって24時間回るこの時代に。

 家に帰ると靴が二人分ある。歯ブラシも、食器も、二人で何度も対戦した型落ちのゲーム機だって、二人分ある。最後に二人で対戦したのはいつだっけ? そんなに早く帰れたのは。日常のことなのだから、そう簡単に変わるはずがない。私が捨てない限り。冷えているハンバーグは二人分だが、ビールは一本。なぜなら。

 吐き気を感じて口を押える。もうつわりが来る時期か。まあ、父親の顔を知らない子供だって、この世界には山ほどいるわけで。

 ハンバーグは食べた。夫が死のうが世界は周り、工場は稼働し、お腹は空き、赤ちゃんは栄養を求める。だから、ハンバーグは食べた。ビールは全部捨てた。

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