日記 1

 「日記好きだったのでまた書いてほしいです」という、ハードコアすぎて病気の人たちの要望を叶えるため、日記を再開してみようと思いました。ライブドアブログとはてなブログで昔書いてまして、未だにそのページを繰り返し読んでくれている人がいるらしく、完全にWhyなんですがそれはとても嬉しいことで、ありがとうございます。

 当時はまごうことなき孤独で、完全に一人で生きていたので毎日「死ぬなこれ」と思っていました。今はそんなことまーったく思いません。友達がたくさんできたからです。もう本当に、考えなくていいこともたくさん考えていて無駄に疲れ果てておりましたが、友達ができたら大丈夫になりました。

 日記を書くにあたり、周囲の人間が登場するのを避けられないなーと思っていて、そこらへんの配慮も難しいんですが、自分でバランスを探りつつ、責任を全うしつつ、楽しく書いていきます。

 最近キリンジの『スウィートソウル』という曲をずっと聴いていて、これはジョルジュ・バタイユという哲学マンが書いた『魔法使いの弟子』という本の装丁が『スウィートソウル』のPVの写真から作られているんですね。かなり昔に買った本なんですが、当時は何が書いてあるのか訳がわからず放置していました。数年が経って読んでみたら、読めました。凄いなんかおもしろかった。この数年で何かが確実に変わったということです。あんまりそういうのを実感できる瞬間ってないです。色んなコンテストに書いた文字を送信していますが、五年間何も変わってません。毎回落ちます。でも書くしかないんですね。二十歳の時にそう決めたので。なかなかしんどいです。単純に「才能ないんだろうな」と思います。でも書きます。もうこれしかないので。ちょっとやばいぐらいダサいんですけど。きつい時に「きつい」と大きな声で言うことはやっぱりダサくてみっともないらしいです。それはそうだ。モリゾーとキッコロが「暑い!脱ぎたい!無理無理!暑い!暑い!」て言っていたら俺は「おもしろいなー」と思うけど、「こら」と思うのがマジョリティーです。YouTuberの動画を観ていると、この人たちは人生を切り売りしているんだな、と思う。要は、規模の大きな身内ノリというか、だからその身内に入れない人からすると何もおもしろくない。こういうのが流行るのは良い傾向(他人の深い部分まで見ようとしている意識があるから)なのかもなーと思っていたけど、「子供じみている」と言われたら、「そうですよね」という感じだ。なんか、あれです、何を書きたいのかよくわかっていません僕も。俺の永遠のヒーロー坂元裕二さんの特集本が出ていて、やっぱり凹みました、読んだら。

 約三年間勤めていた映画館のアルバイトを辞めました。今は有給消化のため、毎日家で文字を書いてます。一人の時間が増えるとやっぱりどうしても我にかえる瞬間も増えて落ち込みがちです。嫌だなー。もぎった半券を折る癖、喫煙所で見た雨、映写機の音、全部が俺の血液に入りました。そしてデリケートという話を書いた。何にもならなかったけど。ありがとう。

 友達が「ぐっさん家でホットミルク飲もう」と言ってくれたので、俺の家にみんな来た。友達は着いた瞬間「鍋借りていい?」と言ってティファールで牛乳を1ℓ煮込み始めた。そしたら隣の家が大火事になって、消防車が20台ぐらい来て、みんなでホットミルクを飲みながら火事を見た。窓を開けたら焚き火の匂いがして、何かのラストシーンみたいだと思った。

 ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』、少年アヤ『焦心日記』、ポール・オースター『インヴィジブル』、オカヤイズミ『ものするひと』、などが最近とてもおもしろいです。あとハンターハンターも。ハンターハンター凄い。意味わかんない凄すぎて。クラピカが凄い。クラピカ頭いいよあいつ。頭いいわー。なんか全然つまんない日記だけどこの感じで大丈夫なのか……。不安因子をまた無駄に増やしただけじゃないのか……。どうなる。

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