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THE 日記(10/26〜11/16)

十月二十六日
 起きてすぐ恋人の家に。低気圧でしんどくなったようで寝ていた。洗濯機の中で濡れた衣類たちがそのままになっていたので、代わりに干す。
 恋人起きる。二人で出かける。新宿のブックファーストで色々見る。ジェットストリームの新しいやつが出ていて、試し書きしたら気持ち良かったので買う。
 帰宅。カブと鶏肉とカルダモンのスープを作る。うまい。
 書く。『味方の証明』を少し。良い感じ。

十月二十七日
 起きて、一旦家に帰り、Apex。勝てない。ダイヤは無理か、と凹みながら出勤。
 帰宅してまたすぐにApex。凄い熱中しとる。
 ぺっちゃんが「地元の友達でダイヤに行ってる奴いるから一緒にやろうよ」と誘ってくれた。「パリ」というニックネームでみんなから呼ばれていた。パリとぺっちゃんとカジュアルをやる。パリ強い。俺もそこそこ活躍できた。パリはストファイのサードをやっていたらしく、TWICEも好きで、もう無茶苦茶に趣味が合う。

十月二十八日
 なんでこんな頻繁に定期的にやっているのか全く理解に苦しむが、外壁工事の音がうるさすぎてブチギレながら壁を殴りまくって起床。みんながみんな朝に起きて夜に寝てると思うなよ。だけどそんなのは工事をしているおっちゃん達も悪くないし、俺が管理会社を営んでいたとしても、平日の昼間に工事をやるのがまぁベターだと判断するだろうから、誰に怒ればいいのかわからない。この外壁工事が本当に謎で、まさに直で俺の部屋の外壁だから、地震が来たのかと思うぐらいうるさい。何をそんなにずっとやってるんだ告知もなしに。もう四年だ。四年間ずっと定期的にやってる。新宿駅かよ。はよ終わらせろ。ムカつきがやばいので対抗して、ステレオにiPhoneを繋いでスピーカー爆音でTWICEを流す。家が揺れるぐらいの爆音。音楽とドリルの音と環七を走る車の音が混ざってもう信じられないぐらい騒がしい。最悪。そのままApexやる。負ける。

十月三十一日
 東京8区は吉田はるみさんが当選してそれは良かったものの、全体的にはやっぱり自民党が強い。全国の当確を表したマップを見ると、地方はほぼ自民党だった。投票に行かない人がほとんどで、しかも差別をOKとするたくさんの人に向かって、自分の作った小説や映画は伝わるんだろうか、ということを考える。
 椎名そらさんのAVを観てたら「なんで男の人の服着てるんですか?」と聞かれて「着たいもの着てるだけだよ」みたいに応えるシーンがあって良かった。

十一月一日
 Apexのランクを回すも、結局プラチナⅢの真ん中あたりをうろうろするだけだった。ダイヤ無理か、と諦める。今スプリットだけ一回本気でダイヤ目指そうとたくさんの時間を犠牲にしたけど、無理だった。
 小説を書く。割と順調に進む。だけどなんかもうちょっと良くなりそうだな、とも思う。

十一月二日
 起きて西上くんとぺっちゃんとApexカジュアル。いつもだったらこのまま永遠にやってたけど、もういいや、という気持ちだったので、着替えて外に出る。高円寺に。回転寿司を食う。混んでいた。北口でタバコを吸って、あゆみブックスに入る。時短営業は解除されたけどまだ二十時に閉まる店が結構あって、調べていたらアール座読書館は元に戻ったようで、久しぶりに行った。コーヒー飲みながらスーザン・ソンタグ『反解釈』を読む。読んでると自分の小説を書きたい欲が膨れ上がって読めなくなる、というのがよく起こるけど、それがやっぱり起きて、手帳とペンを取り出して少し書く。章ごとにテーマを設けて書く、としたらかなり整理されるんじゃないか? と思いついたが、そうするとエッセイぽくなる。その作者との距離の近さを上手く扱えられればいいけど。
 次は新高円寺のあゆみブックスに。『くらしのアナキズム』『水中の哲学者たち』『フーコーの文学講義』の三冊買う。
 帰宅してiMacで書く。さっき思いついた章ごとにテーマを設けるやつを試してみるものの、そうなるとやっぱり思弁的な部分が増えてブレーキを踏んでる感覚に。だけど自分の推敲はちょっといくらなんでも厳しすぎるというかただの揚げ足取りになってる感じもする。いつまでもOKが出ない。
 午前二時にApexシーズン10スプリット2終了。プラチナⅢフィニッシュ。すぐにアプデが終わって、ぺっちゃんと西上くんとランクに行く。新マップが広すぎて別のゲームをやっている感覚だった。今シーズンはあんまりやらないだろうな、と思った。とにかくシーズン10でダイヤに行っておくべきだった。虚しい。時間を大量に無駄にした感覚。

十一月三日
 十八時出勤だから昼間は小説書いたり本読んだりしようと思っていたが、かなりギリギリに起きる。寝すぎ。
 時短営業が終わったから、久しぶりに終電に乗った。やっぱりこのリズムが好きだ。夜中にしかない何かが確かにある。その電車の中で『味方の証明』の続きを書く。久しぶりの筆がノってる感だった。もう手応えが全然違う。二年ぶりぐらいだった。コロナの影響で生活リズムが変わったのが大きいんだろうな、と思った。俺は夜の街を出歩かないと書けないらしい。
 高円寺の駅から家までの道もずっとiPhoneのメモ帳でそのまま書き続ける。無茶苦茶書いた。家に着くなりすぐ風呂に入る。風呂から上がるともう深夜三時で、タバコとコーヒーでゆっくりしながらバナナ炎のノープランロケを久しぶりに観る。最高。そしてさっき書いた文章をiMacに移して、整えつつ、続きを書きつつ、として、朝の五時。Apexを少しやる。キルムーブに成功して一瞬でシルバーⅠからゴールドⅣに上がった。

十一月四日
 起きて、Apex。ゴールド帯にはまだダイヤの人たちがたくさんいて全然勝てない。
 家を出て、バス停で長いこと待つ。イヤホンで爆音でDaichi Yamamotoを聴いていたら、おばあちゃんが話しかけてきた。「もうすぐ来ますか?」と。「新代田行きの五時六分のやつが多分もうすぐ来ますよ」と応える。
 新代田に着いて、セブンイレブンでコーヒーとおにぎりを買う。店員さんの態度が猛烈に悪い。

十一月五日
 咳が止まらずに早朝に起きる。うがいをしたらすぐに治ったけど、もう眠れなくなっていた。
 恋人と渋谷に行き、フグレンでコーヒーを飲んで、それだけでのんびりとした気持ちになれた。

十一月九日
 大雨のせいで起きられなかった。遅刻して池袋に到着。恋人とホテルにチェックイン。すぐに出て、駅周りをうろうろ。タイ料理を食った。うまかった。その駅ビルの館内放送でアディダスとマリメッコがコラボしているのをアナウンスしていて、何それ、めっちゃ欲しいんだけど、とアディダスのところに行くと、確かにコラボした洋服があって、試着してすぐに買った。地下一階でケーキを買って、スタバでコーヒーを買って、ホテルに戻る。なんて幸福な休日。
 ホテルのベッドがテンピュールの可動式のやつで、リモコンで操作すると頭を上げたり足下を上げたりとか、好みの角度で寝れる凄いやつだった。それでなんでだか恋人の股に頭を入れて太ももにジェットコースターみたいに両手で掴まった体制のまま、気付いたら寝ていた。
 タバコを吸いにちょいちょいホテルの前に出ていたけど、西池袋のあたりはかなり怖かった。歌舞伎町とかより全然怖かった。ここが東京で一番怖い気がする。それで考えた。なんで歌舞伎町とかより怖いんだ? と。まず、街灯やネオンサインが圧倒的に少なくてクソ暗い。そして人通りもかなり少ない。それ故にここで生き残っているお店や客引きのお兄ちゃん達からは本格的な悪の匂いがする。ガチの悪。恋人の股ぐらから目が覚めてホテルから出た時、目の前に白い車が二台止まっていて、片方の車は運転手の人が一人だけで、これは恐らくデリヘルの送迎車的な、わからないけど、そういうやつだろうな、と推測できる余地があったけど、もう片方の白い車の方は明らかに不気味で、若くて骨太な男たち四人が楽しそうに車の外で喋っていた。この二台の車の怖いところは、そのあとそこに朝の五時近くまでずっと停まっていたことだ。一体何を待っていたのか。
 それで泊まっていた部屋はネットフリックスが観れたので、『はじまりのうた』を観る。公開されて割とすぐに観ていて、二回目だった。おもろい。そして感動。昔観たときよりもっと好きになった。

十一月十日
 起きたらチェックアウト十分前で、猛ダッシュで出る。僅か数分過ぎただけなのに延長料金を取られて、でもまぁ事前にチェックアウトの時間は伝えられていたわけだから確かにこちらが悪く、でもこういうのってこんなきっちり秒刻みで境界線を設けてる所もあるんだな、と勉強になった。
 喫茶店でトーストを食ってぶどうジュースを飲む。ジュンク堂に。『ジェイコブの部屋』『遠慮深いうたた寝』『責任と判断』『歩道橋の魔術師』の四冊を買う。小川洋子さんの『遠慮深いうたた寝』は装丁が陶器みたいになっていて凄い綺麗。『歩道橋の魔術師』は最近文庫になったやつ。
 次は駅の近くの喫茶店に行き、しかしここで眠気がピークに。しばらく目を閉じていたら、急に眠気がなくなり、ちょっと元気になった。西武の中をうろうろして、恋人の家に帰宅。昨日恋人の股の間で眠ったのがとても心地良く、あのテンピュールのベッドの名前が「ゼロ・グラヴィティ」だったので、それを文字って「マタ・グラヴィティ」と二人で名付けた。それで家に着いてすぐ「マタ・グラヴィティ」で眠り、起きたら二十四時で、そこからまだ開いてるスーパーに行って野菜や肉を買い、煮込んだ。煮込んでいる間、『歩道橋の魔術師』を読んだ。おもろい。
 風呂に入って、次は『波止場日記』を読んだ。読み終わった。巻末にホッファーの小伝が載っていて、凄まじい人生だった。
 八歳から突然目が見えなくなって、十五歳で突然視力が復活。そのせいで学校に行っていなかったから目が見えるようになってからは無茶苦茶に読書をする。十八歳で父親を亡くし、カリフォルニアに行く。お金の稼ぎ方を全く知らなかったので、持っていた本や衣服をどんどん売り、しかし物も金も尽きて、五日間何も食わずに近所のレストランに入って「皿洗うんでメシ食わせて下さい」とお願いすると、「いいよ」と言われてそうする。そして「みんなどうやってお金稼いでるんすか?」と聞いて職業斡旋所を教えてもらって、そこに行く。何か雪山かトンネルかの仕事に行く時に、暇つぶしになる本を古本屋で探し、モンテーニュの『エセー』を買う。「こういうのなら俺も書きたいな」と思う。二十八歳で自殺未遂。しかしなんで自殺に至ったのかは結局誰にも喋らなかった。軍隊に志願するも、ヘルニアがあって入れなかった。じゃあ一番過酷な仕事をやろう、と波止場で働き始める。テレビ番組での対談をきっかけに全米中にその存在が知れ渡る。八十歳ぐらいで老衰で死去。
 これは俺が記憶して書いているから正確ではないけど、こういう感じだった。凄いドラマだ。そして衝撃だったのは、日記中に出てくる「リリー」と「リトル・エリック」は、ホッファーの奥さんと子どもだと思っていたけど、リリーは友人? の妻で、リトル・エリックもその友人とリリーの子どもだった。それを知らずに俺は読んでいたから、「え、そうなん?」となった。でもホッファーはそういう風に書いていたし、そういう愛情を持っていたわけだから、別に関係の枠組みなんか割とどうでもよく、とにかく良い本だった。
 ギアさんスタヌさん杏仁ミルちゃんの三人がApexやってる動画を観ながら寝た。

十一月十一日
 昼過ぎに起き、一回家帰ってApexやろうかな、と思うも、どうせまたせこせこと貧しい気持ちを抱えたまま意味のない運動を繰り返すだけにきっとなるから、自転車に乗って新宿方面に向かった。
 ピースに行こうと思っていたけど、途中の新宿中央公園があまりにも美しく、広く、目の前にスタバもあるし、出勤の時間までここで書くことにした。まずはデニーズに入ってメシを食い、トイレでうんちをして、スタバでオーツミルクラテを買って公園に入った。真ん中に噴水があって、その近くで若者たちがスケボーをしている。綺麗な夕日が都庁とその周りのビル全てに当たり、枯葉たちが優しく落ちながら黄金色や焦茶色に輝いていた。スケボーの乾いた音が響く。Bon Iver『Holocene』を聴いていた。あまりにも全てが完璧だった。家でApexやっていたらこんな豊かで落ち着いた気持ちには全くなれなかっただろう。でも、かと言って、家で黙々とApexをやるのもそれはそれで良さがある。荒んだ気持ちを抱えたまま生きるのもアリ。犬と赤子が湧いているかのようにたくさん居た。ベンチに座ってiPhoneのメモ帳で『味方の証明』の続き。無茶苦茶書けた。なぜかはわからないけど、何かが上手くいっている。題材の取り扱いや場面の検証をゆっくり丁寧にやれているんだろうきっと。
 出勤の時間になって、すっかり周りは真っ暗だった。都庁前だからか、今から何かデモが始まるようで、たくさんの人が集まっていた。
 働き終わって家に帰り、くらいくらいで撮ったネタの編集。みんなに送り、落合と台本の内容について激論。
 Apexをやる。久しぶりすぎて無茶苦茶ヘタになっていた。落合から「楽しくてやってるんじゃないの?」と聞かれて、「違う。喧嘩売られてるから買ってるだけ」と応える。本当にそうだ。もはやApexは楽しいとかじゃなくて自分の中で明確な落とし前をつけないと終われない。俺はしつこいし粘着質だ。気合いだけで簡単に自我を呑み込める。ラジオにメールを送っていた時もそうだった。読まれないことが許せないだけだった。一回自分で始めた戦いを途中で棄権するのは最大のストレスだ。

十一月十二日
 起きてすぐApex。負けまくる。イライラする。貧相でつまらない気持ちになる。早くダイヤに上がってこの戦いの螺旋から降りたい。
 自転車に乗る。歩道橋の下にスタバかタリーズかのカップが二つ捨ててあって、カップルなのか友人間なのか親子なのかわからないけど、二人揃って「よし、ここにポイ捨てしよう」という意見が揃うその恐ろしさを考えていた。どっちから言うんだろう。言った方は勇気を出したのか? そして言われた方はなんで「それダメだよ」とならない。Apexで負けまくってイライラしていたから、そういうのにもやたらとイライラしながらチャリを漕いでいた。方南町らへんで合流してきたクロスバイクのお姉さんと下北まで競走みたいになった。それにもムカついていた。はよどっか行けよ、と勝手に無茶苦茶なことを思いながら長いこと、追い抜き、追い抜かれ、と競った。
 働き、帰宅し、Apex。味方が弱すぎて腹立つ。でもどうにかポイントを盛って、ゴールドⅡに。すぐ寝る。

十一月十三日
 起きてApex。割と勝つ。
 いつもより一時間ぐらい早く家を出たのに、マックは店員さんがなんかグダグダしていて行列ができていた。一応並んでみるものの全く進まなくて立ち去る。立ち食い蕎麦屋さんも行列。仕方なく松屋に入ってさっと食う。
 働く。淡々と。
 帰宅して、クリーピーナッツがゲストの『マツコ会議』を観た。日本では表現の規制だったりが多くてこれ以上ヒップホップが広がるのは無理なんじゃないか、というようなことを松永さんが言って、それにマツコさんが応えて、松永さんが泣く、という一連だった。単純にその人がその人なりに真剣に何かを考えて涙を流す、というのは、その考えが正しい間違っているに関わらず尊いものだった。そしてまさかこの放送があんなに波及するとはこの時は思っていなかった。

十一月十四日
 特になし。働いて帰宅してApexやって、といういつもと完全に同じ日。

十一月十五日
 休み。
 夕方に起きてApex。ランク。ちまちまと上げていく。合間に『くらいくらい公園のタネマシンガン』の編集を進める。
 コンビニにメシを買いに行く。
 ツイッターを見ているとなんだか松永さんに対する批判が結構目について、でも凄くその全ての論点がおかしい気がするというか、凄い反論したい気持ちが高まる。まず第一に思ったのが、松永さんは別に差別をOKだと言ってないし、差別主義者でもない。あの話のメインは「表現する時に枷になるものがどんどん増えてきている」っていう所だったはずなのに、なんでだか松永さんが差別主義者みたいになっていた。
 フリースタイルダンジョンは一回目から最終回まで全部観てるし、他のバトルの大会も結構観てるしDVDもたくさん持ってる。バトルだけじゃなくて音源も結構聴く。無茶苦茶詳しいわけではないけど。ことバトルに関しては俺は差別的なこと言ってでも相手をぶっ殺すのが見たくて、そしてそれに対してカウンター打てるのか、というその世間の常識から隔絶された場所が見れるから好きだった。色んなラッパーが松永さんに怒ってるのを見てると、いやいや、え、あの松永さんを攻撃するってことは、表現に枷がかかるのOKってこと? と俺は思ってしまう。それってかなりの利敵行為じゃない? 自分の首絞めることになるけど。と思う。
 俺は別にクリーピーナッツの大ファンじゃないし、クリーピーナッツがヒップホップの代表だとも思ってない。確かにクリーピーナッツの曲はもうJ-POPだと思う。批判じゃない。状態の素直な描写として。でも松永さんが「俺らは日本のヒップホップの代表だ」という意識を持つことを別に悪いことだとも思わない。
 だからトータルしてみんなが一体何で怒ってるのかがわからない。自民党が政権を握ってることに対しては「今は我慢して、次また投票に行きましょう!」と冷静に着実に歩む姿勢を持ってる人たちが、急にクリーピーナッツという自民党が政権を握っている(もしくは握っているつもりな)ことに目先の暴力で対抗し始めた。
 ヒップホップだけじゃなくて、映画だって小説だって同じだけど。例えば村上春樹が何か日本を代表する小説家として語っていたら、シンプルにムカつくけど納得はできるし別に俺は何も言わない。今の俺と同世代だと誰だろう。くどうれいんさんとか遠野遥さんとか。そういう同世代の人が日本の文学代表として何かを語っていたら、確かに「お前が言うな」とは思うけど、でもそういう日本代表の意識を持つことに違和感はない。てか意識持つのなんか各自の自由なんだから自分も持ちたかったら持てばいいじゃん。
 ブルータスの村上春樹特集が本屋に面出しで並んでいるのを見かける度にどうしてもほんの少しだけ嫌な感じが心に浮かぶ。これが柴崎さんや滝口さんの特集だったらどんなに良い世界かな、と思いながらそこを何度も通り過ぎた。でも、俺が柴崎さんや滝口さんに感じている好きな気持ちと同じように、村上春樹に対して好きな気持ちを持っている人がたくさんいて、その好きを邪魔するつもりは全くない。その気持ちで日々を乗り越えたりできるはずだから。俺の周りにも村上春樹を好きな人はたくさんいて、その人たちの好きな気持ちを邪魔したくはない。そしてそれだけたくさんの人に愛されるということはシンプルに凄いことだ。俺もクリーピーナッツはめっちゃ好きなわけでも嫌いなわけでもないけど、でも現にたくさんの人に愛されていて、ツイッターでちまちま文句を述べているラッパー達よりも遥かに影響力を持っているのは事実じゃん。それはもう事実じゃん。どうしようもないじゃん。それは飲み込んだ上でどうにかするしかないわけで、ツイッターで対抗するようなもんじゃないと思う。Rさんとか特に、そういうのに対してまた完膚なきまでの論理を絶対に用意して楽曲なりバトルなりで綺麗なパッケージで発表してお客さんやファンはそれでぶち上がるわけじゃん。利用されてますよ完全に。本当に打倒したいんだったら本質的に殺しに行かないと絶対に死なない。だから結構ガッカリした。呂布さんとかOMSBさんとかは良い触れ具合だなと思ったけど、他の人たちは、いやわかるけど、わかるけど、絶対我慢したがいいって、と思った。
 というかまさに松永さんが言ったように、何の棘もない丸っこいクリーピーみたいな音楽や人間性がウケてる日本なわけじゃん。めちゃDOPEなラップもクリーピーと同じぐらいのデカい規模になれたらそれは良いよね。プレイヤーの人たちは別にそれを望んでないかもしれんけど。だから松永さんは、その松永さんにキレてる人たちと実は同じ意見なんじゃないの? よくわかんねえや。
 あと、差別がどうのこうのは、Rさんや松永さんの具体的な発言や行動で目にした時にそれ発動しなよ。少なくとも今じゃなかったと思う。全然尻尾掴めてない。「差別的な表現とかできなくて」て言うこと自体がもう差別ってこと? じゃああなた達はまさにクリーピーみたいになりたいってこと? Rさん松永さんのラップはJ-POPだという批判と、お前らは差別的だという批判は全く持って反対のことを同時に言ってるから全然成立してないよ。単純に嫌いなら嫌いってそう言えばいいのにと思ってしまう。
 俺だって嫌いな小説家や作家いっぱい居ます。そもそも村上春樹の小説なんか女性蔑視の塊じゃん。でもあの書き方やそういう内容じゃないと救えない魂は確かにあって、それを剥奪する権利なんか誰にあるの? 例えばだけど、俺は二次元での表現でなら児童ポルノはあった方がいいと思う。そういう性癖を抱え込んだ人にとっての捌け口になる場所が絶対に必要だと思う。その空想での捌け口がなくなった時に絶対現実に手を染める奴が出てくる。つまり実際の女の子に手を出す奴が出てきてもおかしくない、ってことです。仮想空間や創造された別の場所っていうのは、「仮想」や「創造」という言葉によって現実と切り離された部分というイメージが強いけど、だからこそ現実にかなりの力で影響を与えることができる。「プロパガンダ」という言葉があるように、物語っていうのは人の心をめちゃめちゃ実際的に動かす。そんなヤバい奴の魂なんか救わなくていいよ、という思いもわかるけど、でもじゃあそれで自分に具体的な被害が来ることを考えたら俺は、差別的だったり残虐な創作物も存在しといてくれた方が嬉しい。それで食い止められる何かがあるなら。他人っていうのはそれぐらいわからないものだと思う。
 とにかく結局同じフィールドに立って行動で示すしかない。これは政治や社会じゃないから。政治や社会では実際に日々声を上げることがとても大切だと思うけど、そういうのから隔絶された孤島(厳密に言うと一本の陸路だけで繋がっている島)である芸術や創作のフィールドでは、声に出して「クリーピーナッツ嫌いだ!」と言うことに何のメリットもなく、むしろ稚拙に見えるし、言及したという影響がデカすぎる。無視が最強なのに。だから俺もなぜか相応のリスクを背負って今日の日記は書いている。
 「差別はダメだ!」と言うことにはとても大賛成だけど、今回の『マツコ会議』で何か差別的なことを松永さんが言ったという判定には俺はならなかった。
 ただやっぱり椿さんの立場になって考えると辛いのはもちろんわかる。椿さん大好きだし。なんならクリーピーより全然好きだし。でもやっぱり、「物作りをする時にそこに倫理は必要か?」という問いには、「必要だけど、なるべく最小限にした方が絶対良い」というのが俺の答えだった。
 色々書いたけど、なんだかとても複雑な思考で、自分でもこれでまとまっているんだろうか、という思い。
 「ふざけんな、私は十五の時から中卒肉体労働者」のラインを思い出す。あれは最高のバトルだった。

 明け方、くらくらいで書いてるネタを整えてみんなに送る。Apexランク。プラチナに上がった。

十一月十六日
 起きてすぐApex。久しぶりにカジュアル。二回やって二回ともチャンピオン。相手の当て勘が悪いと察した時のこちらのイケイケ具合と来たら卑劣なもんだった。
 働く。

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