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三十歳の日記(12/10-1/3)

十二月十日
 最初にみんなと会ったとき、俺と日下部は二十二歳で、西上くんは二十一歳で、コタローは二十歳だった。あれから八年とか九年とかが経ったけど、何か変わったところってある? と聞くと、コタローがもともと各々の中にあったものが拡大されたって感じ、と言い、そうだね、と頷く。慎ちゃんは、ポジティブな言葉を周りにかけるようになった、と言われて結構驚く。日下部が「ダルい、しんどい、ってずっと言ってるイメージだったけど逆のこと言うようになったね」みたいなことを言い、うわ確かにそうかも、と気付いた。言われるまで全く気付いてなかった部分というか、根本は変わってなくて何やるにしてもダルいなぁ、という感じだが、でもそれを言ってても本当に意味ないと心から思うようになったんだろうきっと。

十二月十二日
 ここの駅のホームの端の方には屋根がなく、あまりにもボロボロなのでここが本当にここなのか不安になる。知らん駅みたいだ。

十二月十三日
 恋人と十四時間眠り、「流石に寝過ぎたねえ」と言いながら起きる。外は真っ暗だ。新宿に行き、コタローから教えてもらったしんぱち食堂で魚を食う。安くてうまい。紀伊國屋で本を買ってタイムスで読む。

十二月十四日

 ずっと憧れていた東京にもう十年も住んでいるというのに、子どもの時に憧れていた東京の景色は思っていたよりも実際的で残酷で、だから思い描いていたあの東京は私の脳内にしかなく、物理的にはどこにも存在していなかった。その脳内の東京は主にテレビドラマから形成されたが、大人になってロケ地を調べると東京だと思っていた場所の大半が神奈川だ。つまり田舎者の想像する東京は神奈川だ。

十二月十九日

 だいぶ遅刻して「すいませんすいません」と篠原紙工さんに到着。『デリケート』表紙印刷一回目。まずは裏表紙の印刷からで、手書きの原稿の部分をどう印刷するかの具合を図る。薄く銀色を乗せるか、インクをつけずに版で凹ませるだけかを選ぶ。新島さんと岩谷さんと一緒に、見比べて、うーん、インクない方がいいっすね、となり、そうした。岩谷さんがどんどんインクなしパターンを量産している間、隣で新島さんと原稿の微調整をする。最後に話されたのは「辞める」と「やめる」の表記について。漢字で統一するか、ひらがなに開くか。ひらがなに統一しましょうか、となった。しかしこれはまた後日漢字に統一されて入稿されることになる。新島さんが熊本弁的リズムを発端としたてにをはの抜き方を指摘してくれていて、しかしこれは文法的に間違っているのは承知の上なんですが自分のソウルから出てきてる言葉なのでこのまま残します、と言って、残すことにした。『デリケート』は特にそういうのがいっぱいある。そして割とすんなり一回目は終了。大島駅の前にあるねぎラーメンみたいなのを食って、新宿に戻る。紀伊國屋へ。今まで別館だった漫画コーナーが8階にくっついていた。ブラックラグーンの一巻とジョジョ九部の二巻を買う。タイムスでゆっくり読もうと思っていたが今日もまた行列だったのでおとなしく帰る。もうタイムスには入れなくなってしまった。それで丸ノ内線に乗ると、電車の中の広告が全てジョジョになっていて、なんとタイムリーなんだ、と思いながら全ての広告を凝視する。一部から九部までの全ての主要人物たちが描かれていて、シーザーやリサリサ先生、アヴドゥルや花京院、吉良吉影、フーゴ、徐倫、ジャイロ、と見渡していくとこれまでの色んな戦いを思い出す。全てが接戦だった。ほんのちょっとした何かをミスっていたらみんな死んでいた。ジョジョの良いところは楽勝な相手がほぼいないところだな、と思いながら幸福な気持ちでこの地下鉄は走った。初めて読んだのは中学生の時だった。そこから三十歳になった今もこうして一つの物語を追いかけ続けられているのはなんと幸せなことだろうか。

十二月二十二日
 ちりにきと湯船さんと久しぶりにApexをやる。あまりにも楽しい。あと二人とも強くてやりやすすぎる。会話が通じる。

十二月二十三日
 短歌の賞って笹井賞以外に何があるんだっけ、と調べる。それで野口さんが若くして受賞した短歌研究新人賞に出そうかな、と思う。一月末〆切っぽいのでちょうどいい。三十首だし。タイトルの候補は日々iPhoneのメモ帳にストックされているので、まずはそれを見る。『怒り、尊び、踊って笑え』はタイトル先行で、『Emerald Fire』は途中で決まって、『龍』は候補の中のいくつかから最後まで迷って最後の最後にようやく固まった感じだった。でもいずれにせよスタートはタイトルからで、それを元に書いていって途中で変わったり、変わらなかったりする。それで今回はこれやな、というタイトルを見つけたので、それでまずiPhoneのメモ帳の新規ページを作り、一番上に太字で貼り付ける。連作と言ってもほぼ書いた順番通り並べるだけなので、というかそれによってしか出てこない空気があるので、書いた順番通りに並べるというのはサボりでもなんでもなく、それが一番良いだろと思っている節がある。日記の日付が八月一日のあとに七月八日とかが来たら混乱するのと同じで、まぁそれもそれで楽しいんだろうけど、俺はそのまま真っ直ぐ行くのが好みだ。しかし完全に順番通りかというとそうでもなくて、少しは入れ替えたりする。しかし四十首目以降のものを三首目に移したりとかそういう大胆な動きはしない。ほんの僅かな前後を入れ替えるだけだ。不思議とそういうものだ。それで一首目を書いた。ちゃんと間に合わせてほしい未来の自分。

十二月二十四日
 昨日の夜中に野口さんが『Emerald Fire』をリツイートしてくれていて、これはもし俺がラッパーだったらAwichに自分の音源をリツイートされるようなもので、もう自信を持たないと逆に失礼というかだいぶキモいので、個人的なものでの「自信を持ったら楽に生きられる」とかそういうことではなく、業務として、仕事として、自信を持たなくてはならない段階に来た。そしてようやく普通になれた。普通に書く。普通に力を込められる。
 働き終え、楽しみにしていたM-1本戦を見ながら帰る。マユリカの出番だけなぜか緊張する。せり上がりで阪本さんがいつもの、寒そうに両腕を組んだ形で出てきた時、震えた。中谷さんの始まりの声が無茶苦茶デカくて嬉しい。ウケる度に、手に取るようにわかった。この人たちの人生が今まさに変わっている最中だということが。
 ツイッターを開くと、好きな作家さんが「M-1おもんない」というツイートを連発していてドン引きする。ただの実感の発露として言うならまだなんか理解ののりしろがあるけど、賛同してくれる人たちのリプライをリツイートしまくっていて、どうしてもM-1はおもしろくないということを周りに納得させないと気が済まないようだった。普段お笑いをほぼ見てないくせに(それ系の発言をあまり見たことない)こういう時だけ言うのも浅はかで、恥ずかしい奴だな、とそっとフォローを解除した。結構明確に嫌いになった感覚があり、著作も三冊か四冊ぐらい読んでいたのでなかなかに残念な気持ちになった。普段全く本を読まない芸人さんがあなたの本を公の場でそんな執拗にこき下ろしていたら、あなたはどう思いますか? 親切さの塊みたいな本をたくさん書いてきた人が故にその悪さが際立つというか、嗚呼、悪人だったんやこいつ、という理解になってしまった。自分の本の悪口を言われても気にしない人なのかもしれない。だからきっと周りにも言えてしまう。しかしそういう問題ではない。自分はいつ死んでもいいからといって他人を殺していいわけではない。頼む、泥酔していたとかであってくれ。なるべく嫌いになりたくない。しかしもう嫌いになってしまった。好きが故に文句が出てる、という可能性、あるね確かに。俺もEAの文句を言いながらApexをずっとプレイしている。しかし当然ながら裏にとんでもなくデカいLOVEが潜んでいることも言ってきたはずだし、まず大前提として、俺はApexプレイヤーだ。あなたは漫才師ではない。ただの一消費者だ。だから「じゃあ見んなよ」とこちらは思う。周りにうじゃうじゃいるお笑い好きはみんな「おもろかった〜」「最高だった〜」としか言わない。当たり前だ。M-1が一回でも不快な大会だったことなんかない。そして今後もあるわけがない。だから、単に、あの人はお笑いがあんまり好きじゃなかったということだ。ヘイターの謎な部分は、あんまり好きじゃないものに執着して自分の時間を無駄にしているところでお馴染みだが、あの執着心は一体どういう回路というか、本当はやっぱり大好きなんだろうか? 頼む、泥酔だよな? 泥酔一択だよな? 泥酔以外無理だこんなの。変すぎるから。お笑い好きでもなくて人前で漫才もやってない作家がM-1に噛みついてるの。スシロー夏の大キショ祭り開催中! 更にきっついのが「もうこういうお笑いつまんないな、って思うのは俺がおっさんになったからカナ?😅」みたいなツイートをリツイートしていて、「いいえ」と俺は言う。おっさんとか若者とか、年齢とか関係なく、あんたらは昔っから嫌な奴なんだよ。

十二月二十五日
 二度寝の際に人生初の明晰夢が発動したが、あくまでも「これは夢だ」ということがわかるだけで、好きな物や人を発現させる権限は付与されていなかった。だから恋人とエロいことをするために彼女を発現させようと試みたが、全く出てこない。現れるのは変な形をした生き物や図形ばかりで、物語の展開も奇怪だ。

十二月二十八日
 朝のミーティングが終わるとすぐに着替えて渋谷に。兄と合流して、ミヤシタパークへ。誰かの生活を根こそぎ奪い取っておいてそこの上にハイブランドのお店を大量に設置したのか、と思いながら、しかしもうそうなってしまったものへの抵抗の塩梅。一人だとここでは何も買わないが、母へのプレゼントを兄と買う、というシチュエーションだったら買うらしい俺は。兄が母ちゃんに電話して、色々と話してCOACHのスカーフを買った。すんごい値段。
 駅前のトップでタバコを吸いながら最近のゲーム配信について話す。
 兄の家に。上京してきたばかりの頃は俺よりも安い家賃の半地下の狭い部屋に住んでいた兄が今ではもうこんな立派な、俺がでんぐり返しを百回やっても稼げないような家賃の家に住んでいる。着なくなった洋服をたくさん貰う。
 働き終え、あくつさんから「山口くんの今年ベストの小説はなんですか?」と聞かれて「『われら闇より天を見る』です」と答える。「小説は書いてたの?」と聞かれて、「ちまちま書いてましたけど、なんか全然書けなかったですね〜」と答える。

十二月二十九日
 仕事を納めて、見知らぬ駐車場でタバコを吸う。
 赤坂に行く途中の新宿でなんとなく、新しい靴が必要なことを思い出して、ナイキに寄る。外国の人で大混雑しているなか、真っ黒のフォースワンを買う。中学の時にフォースワン派とスタンスミス派の二つがあって、ヤンキー組はフォースワンでオシャレ目覚めてる系の奴らはスタンスミスだった。私は不良軍団の一員だったので真っ白のハイカットのフォースワンをずっと履いていた。履き心地が懐かしのアレで、うわ〜やっぱこれだなぁ、と思う。もう残りの人生のほとんどをこれを買い替えながら過ごそう。
 赤坂に。兄が予約した高級中華のお店に。家族四人がとてつもなく久しぶりに揃った。十六年ぶりとかだった。コース料理の量が少なくて空腹だった俺は「これ足りるかなぁ」とか言いながら食っていたが、ちまちまちょっとずつ出されると満腹中枢がじわじわ埋められていき、あんなちょっとした量だったのに終盤になると「もう腹一杯すぎて無理」となっていた。

十二月三十一日
 昼過ぎに起きて母親に返却するiPadを充電器に繋げる。Apple IDからサインアウトしたいが、サインアウトするにもパスワードが必要だった。このApple IDは水没したiPhoneのメールアドレスなので、要はここでスタックしている。何も身動きが取れない。Apple Storeで店員さんが何か複雑な手続きを経てどうにかサインアウトしてもらった記憶がある。なのでこれはもう諦めなくてはいけないのかな、と思っていたが、App Stroeから新しいApple IDで強制的にログインすることによって前のIDが自動的に押し出されてサインアウトするらしく、それをやる。成功。そして無事にiPadを更地に戻すと、家を出る。タクシーを捕まえようとするが、年末の青梅街道を走る車はそもそも少なく、全く捕まりそうにないのですぐに諦めて電車に乗った。新宿三丁目で降りて、母親と恋人と合流。ヒールでずっと歩いていたので母はもう脚が痛くて、なので靴を買ってあげたい、と恋人が言い、それで近くのマルイに入ってようわからん靴屋で靴を買ってあげた。途中恋人に「なんかこぎゃん安かとじゃなくてちゃんとしたやつ買ってあげたいけどなぁ」と耳打ちすると、「疲れとるけんとりあえず今すぐ買ったがいいよ」と言われ、そうした。母は中敷きがもちもちしていると喜んでいた。それで東京駅に移動して、ディーンアンドデルーカに入る。熊本にディーンアンドデルーカはないらしく、これをお土産に買って行くと熊本県民は喜ぶらしい。しばらくすると父が来て、恋人を紹介する。恋人が父に向かって「ここ左に行くとヤマトがあるから、そこに法子さん連れて行って、お土産とか送ってください」とハキハキ言い、なぜかそこで母親が泣き始めた。父は恋人のハキハキした勢いに少し呑まれていて、俺は笑っていた。泣きまくる母親と握手して、別れる。
 いい感じの喫茶店に。今日は家に帰って一人で書かせてくれ、と言うと恋人が如実に不機嫌になったので、「じゃあ今書いていいの?」と許可を得て、一人で短歌を書く。三首できた。恋人は向かいで『ブラッシュアップ・ライフ』を観ていた。途中、画面をチラッと覗くとコンビニの前で三人でアイスを食っているシーンで、「ああ、安藤さん死ぬな」と思いながら見ていた。ビニールが風に吹かれて、安藤さんがそれを追いかける。横から車が猛スピードで突っ込む。恋人がビクッとなる。
 丸善に。ベルンハルト『消去』とジュール・ヴェルヌ『蒸気で動く家』を買おうかと迷うが、いや俺には今読んでいる『アックスマンのジャズ』があるから、いいや、と買わなかった。
 そのあとはスタバに入ってここでも書く。二時間ほど『味方の証明』と次に書こうとしているやつのプロットを整理して、頭が鈍ってきたのがわかったので、外に出てタバコを吸った。そして少し、虚しくなった。こんなにずっと、こんな、十二月三十一日に、家族や恋人を待たせたまま、ありもしない物語を十年近く書き続けてきて、それなのに、まだ、日の目を浴びない。何を、やっているんだろう。しかしそんな思いもすぐに脇に追いやり、セブンスターの煙はどんどん目の前の高架線を走る電車の音と混ざってどこかへと消えていった。頭の鈍りとの戦いだ。果物のジュースと同じで脳みそが新鮮なうちに書かないとクオリティーのキレが落ちる。町田さんが起床して四時間しか書かないと言っていたのをどこかで読んで、そうだよな、と思ったことを思い出した。一日のうちに書ける時間はかなり限られている。そこをいかに逃さずに暮らせるかだ。2024年はそこに注意しよう。
 恋人の家に。年末年始はこれを読もうと決めていた『アックスマンのジャズ』が途中で猛烈に退屈になり、わけがわからない。こういう読書が2023は多かった。多分自分の原稿を読んでる時の厳しい感じが抜けないまま読んでるというか、「そっち展開すんのか……」とか「その言い方で処理していいの?」とかが気になって、割とそれだけで一気に萎える。そんな読み方をしていると何も読めねえじゃねえか、と思うが、滝口さんの『ラーメンカレー』とか津村さんの『うどん陣営の受難』とか、最後までおもしろく読み切れたのもあった。物語の繊細さを昔よりも感じられるようになったと言えばそれはそうだが、忍耐を経て得られる何かみたいなのは失った。しかしそれでいい。全文字おもしろいのを書こうとしている気持ちは本当だ。がんばれ。それでこの本一冊しか持ってきていなかったので、大掃除をしている恋人に「ねえどうしよ〜、本ないんだけど〜」と言いながら電子書籍の存在を思い出す。次に読もうとしていたコーマック・マッカーシー『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』をiPhoneのブックにダウンロードすると、無料版でも70ページまで読めるらしく、無料で随分たくさん読ませてくれるんだな、と思いながら読んだ。これがあまりにもおもしろすぎた。なんで今まで読んでなかったんだろう。「俺は今年コーマック・マッカーシー全部読む!」と宣言した。コーマック・マッカーシーは感情を一切書かず、鉤括弧も使わない。これだな、と思う。パクろ。そしていつの間にか寝ていた。

一月一日
 起きて、ホームセンターまで歩く。良い塩梅の釘が欲しくて、恋人と相談しながら細い小さい釘を買う。
 バスの中で緊急地震速報が爆音で鳴り響き、なんだなんだ、とツイッターを開くと、石川の方でとんでもない大地震が起きていた。
 帰宅し、机の左前の脚にそれを二本打ち、電源タップをその釘に引っ掛けて固定した。

一月二日
 昼に目覚めたが、羽毛布団の中でなぜか伊原六花ちゃんの動画を見漁り、伊原六花ちゃんに詳しくなった。謎。
 夜になぜか母が自宅に来て、富士山に行ってきたお土産を渡される。そして溜まりに溜まった洗濯物の山を見て「今行くよ」と張り切っており、「一人でできるけんええ」と言ったものの、これは、なんか、母は少しでもここに留まりたくて、その理由なのかもしれない、と思い、それを汲むことにした。母とコインランドリーに。洗濯が終わるのを待つ間、ファミレスに入り、海鮮丼を食う。
 洗濯物を畳み、帰り、棚に戻し、母を駅まで送る。結局毎日会った。新宿行きのホームに降りる階段の前で握手をして見送る。やっと一人になれる……と思いながら家まで歩いていたが、物理的に一人の時間が取れないほど愛されてるんだな、とも思った。

一月三日
 起きてすぐに木村くんとわっぷから誘われてApex。負けまくったが、友達とやるとそれだけでおもろい。兄からもらったノースフェイスのダウンを着て家を出る。丸ノ内線の改札で、震災の火事場泥棒や性暴行を狙うハイエースに乗った集団がいくつかいる、というツイートを見る。自分の想像力の狭さを知る。極悪人を作るのも仕事の一部だが、現実に想像の上を行かれてる。凄い。思いつきもしない。震災が起きて、そのニュースを見て、「よし、ハイエースを借りてみんなで泥棒に行こう」「女の子攫いに行こう」となる発想。人間じゃなさすぎて凄い。そういう奴らを前にして暴力以外のアプローチをできる気がしない。集団を形成するのも凄いところで、「ねえ地震起きたからさ、泥棒しに行こうぜ」と言える仲間、そしてそれを言われても引かない仲間。どういう結託? わからない。わからないからこそ書くことによってアプローチしたい。理解不能なものの大抵がそいつらが何も考えてないだけだ、という説得をよくされてきたが、本当に何も考えてないだけで人ってそうなるんだろうか? 実際はグラデーションだから、その4.5人のグループで誰しもがどの時間でも自分たちが今からやろうとしている犯罪に対してメタの視点を用いないわけがないと俺は思っている。しかしそれを打ち消す何かがある。石川に向かうハイエースの中で誰か一人は一瞬は「やばくない?」とか「捕まったらどうすっかな」とか思ったはずだ。ほんの数秒でも。いや、本当に全く思わないんだろうか。少しは何かがよぎらないんだろうか。考えることのめんどくささがそれを相殺するのだろうか。わからない。わかるわけがない。しかしそういう奴らと同じ空間で生きている。
 新宿で降りて、大戸屋で唐揚げ定食を食い、紀伊國屋へ。『すべての美しい馬』を買い、タイムスに行くと当然のように行列で、ブルーボトルに。こちらも大混雑。そうだよね、と思いながら仕方なくタイムスの行列に並ぶ。割とすぐに入れた。そして今この日記をアイスコーヒーを飲みながら書いている。

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