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形骸化のフォーエグザンポー

 一九九三年の朝五時頃に産まれた私は列を成してとぼとぼ歩く蟻の群れを見ては、その列に従わない蟻を必死に探す子どもだった。そんな蟻は一匹たりともいなかったのに。
 やっぱり逸脱の在り方についてばかり考えていた二十代前半、私は大麻を吸ったり筋肉ムキムキの知らない男とセックスをすることで時間をはぐらかしてばかりいて、目が覚めた時には下高井戸の駅から徒歩四分、日当たりがめっちゃ悪いワンルームで青の光に包まれた。カーテンが青かったからだ。洗濯機を回したあと、いつの間にか寝てしまったらしい。ぼさのぼさの髪で青いカーテンを左右に鋭く切り裂いてベランダに出た。洗濯物を干した。二〇二〇年で、二十七歳になっていた。
 一粒飲んだ瞬間頭がぶっ飛ぶ眠剤に体をくたくたに煮込まれていた当時の私はそこ数年の記憶ががっぽりとなくて、だからといってタイムワープしてきたという感覚もなくて、じゃあそこにあるのは一体どんな空白なのか、下着のレースの隙間から通り抜ける日の光を見ながら、わからないな、と思う。

 夏だった。

 バイトに行った。四時間黙ってレジ打ちをしたあと、裏口に向かうと田辺さんが既に室外機に座ってタバコを吸っていた。長い間ずっと言葉にできなかったシンプルな思いがその瞬間急に口から溢れて、なんで今なんだ。
「頭ぶっとぶぐらい猛烈に気持ちいい思いしたいんですけど、何すればいいと思います?」
 一回も話したことない相手からの初めての質問がこれなのは怖いと思う。
 田辺さんは特に驚きもせず、「うーん」とちょっと悩んだあとに「クスリとかやればいいんじゃないですか?」と応えた。
「もうやった」
「本当にやってそうですね」
「やってたよ本当に」
「知ってます。ずっと様子変でしたもん」
「はっはっは」
「やめたんですね」
「飽きた」
「なんか変わりましたもんね飯塚さん」
「変わってはない」
「本読むのとかいいんじゃないですか?」
「え?」

 その日私は家に帰ってシャワーを浴びた。
 ドライヤーをかけていたらインターホンが鳴った。
 ドアを開けると、原付のヘルメットをかぶった田辺さんがいた。白い紙袋を渡してきて、「どうぞ」と、本が十冊ぐらい入っていた。SF小説・推理小説・児童書・実用書・ノンフィクションもの・純文学。そして、哲学書。
 その紙袋に入っていたバートランド・ラッセル『哲学入門』は確実に私の頭をあの時と同じように沸騰させた。

 サルトル、ストロース、ハイデガー、ドゥルーズ、ヴィトゲンシュタイン、フーコー、ヘーゲル、ラカン。変なこと書いてあるやつは片っ端から夢中になって読んだ。バイトに行く前に早起きして、休憩時間にも読んで、帰ってきても読む。そんなことを三年間毎日繰り返して、私は三十歳になった。
 何もなかった。読んだところで何になるでもなかった。ただおもしろかっただけだ。何かを期待していたのかもしれない。こんだけ夢中になってたらきっと何か良いことが起きるだろうって。でもそれで良かった。

 何かを諦めたり辞める時って一瞬でバンってギロチンみたいに断絶があるわけじゃなくて自分でも気付かないスピードでそうなっていくんだってことに、私は今日もバイト先の室外機の上に座ってわかる。でもそれでも諦めてないことも、諦めたくないこともある。とか格好つけて言ってみても捨ててきた気持ちの方が実際たくさんあって、私はいつまでコンビニでバイトをするんだろう。

 その日の帰り道に車に轢かれた。新宿の紀伊國屋を出て、なんとなく四谷方面まで散歩していた時だ。若い時にデリヘル詐欺の斥候兵としてたくさんの男から金を奪いまくっていたからだった。みちっという体が幹から崩れる時の音が頭の中で鳴り響いて、血飛沫をまといながら空中に浮いている時見えたのは、東京の曇り空を背景にした、トートバッグから飛び出すドゥルーズの『差異と反復』だった。
 病院で目を覚ますと田辺さんがベッドの横で何かを書いていた。紙と目の距離が近い。いたよね小学生の時こういう奴。目悪くなるよ。「何書いてんの?」と聞くと、田辺さんはハッと顔を上げて、私を見つめては「え」と言ってくれた。
 私は四年間眠っていたらしい。でもわかる。この四年間はあの時みたいに意味のわからない空白と違って、本当に一瞬だったということが。
 私はいつでもただ、大丈夫だって思いたかった。ただ、大丈夫だ、生きてて、何も気にすることない、休みだ、ぼーっとして、大丈夫だ、って、ただそれだけ。何も起きなくていいもう。有名人になりたかった。他の人とは違うことをして。でももう要らない。ただ、大丈夫だっていうそれだけあればそれでいい。それを守るためだったらもう一回大丈夫じゃなくなってもいいよ。
 田辺さんは小説家になっていた。私はもう覚えてないけど、あの室外機の上で昔私が言った、「憧れ続けた逸脱に対して『形骸化のフォーエグザンポーだな』って思う」という言葉を気に入ってくれたみたいで、それをそのままタイトルにした本を一冊出して、新宿の紀伊國屋だったら確実に置いてるよ、と言った。じゃあ今から見に行きたい。いいよ。私はパジャマのまま病院から出て、隣で田辺さんが静かに笑っている。
「なんで笑ってんの?」
「いや起きたわ、と思って」
「髪切ってくれてたの?」
「うん、俺短い方が好きだから」
 夜だった。パジャマで新宿を歩いてるとたくさんの人がこっちを見てくる。それもやっぱり嬉しかった。

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