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三十歳の日記(3/10-3/19)

三月十日
 eydenの新しいアルバムを毎日聴いていて、今日も帰りながら聴いていた。強い論理とか強固な世界観があるわけじゃないし、言ってる内容も革新的でもないのにとにかくビートへの乗り方が気持ち良すぎるというその一点に尽きる。こんなタイム感を持ってる人は本当に珍しいと思う。ジャストなのに後ろノリな感じ。聴いてるとなぜか元気が出る。

三月十二日
 起き、大雨の中すぐにコンビニに行き、請求書と納品書を印刷。帰宅。それらに捺印。本と一緒に包む。郵便局に。ゆうパックの伝票に宛先を書いていく。座ってぼーっとしているおじいちゃんがいて、郵便局のチャンネーが「雨すごいですか〜?」と話しかけていた。このおじいちゃんはバレンタインデーでどこか遠くの人からチョコレートをもらったからそのお返しで焼き菓子を送ろうとしていた。そういう話をチャンネーとおじいちゃんがずっとしていた。発送。熊本まで送るとなると飛行機を使うようで、そうなると発送料が五百円ぐらい高くなる。それで今さら「俺ってそんな遠くから来たん?」と思う。郵便局のお姉さんが「雨強いのでお気をつけて」と言い、「はーい、ありがとうございまーす」とテキトーに答えて出る。スーパーで野菜とかを買い、帰宅。すぐにそれらをバッツバツに切ってはデカ鍋にほり込んで焚き火で煮た。米を炊いて掃除機をかけてジンジャエールをコップに移す。氷をたっぷり入れる。それで椅子に座って、ふう、と一息ついてがぶがぶ飲み、鍋はぐらぐら揺れ、米はしゅーしゅー湯気を吹き、俺はぼーっとしていた。
 完成した味噌汁と米を食ってちょろっとApexをやっていたらすぐにぺっちゃんが来て、「TWICEのあれが上がってるはずだ」と言うので、それを観た。dingoというYouTubeチャンネルが上げているkilling voiceという番組名、で合ってるのかわからないが、これは韓国版ファーストテイクみたいなことだろうか。それにTWICEが出てるやつだった。三十分ある。曲はメドレー方式になっていた。それを観た。ゲーミングPCにゲーミングモニターを繋げているので4K再生させたら画質が凄まじかった。立派なコンデンサーマイクが九本並んでいる。OOH-AHHのナヨンから始まった。え、うまっ、と思った。リップシンクの感じとか音質の感じからもこれは被せなしのガチの生歌だとわかった。マスタリングはされてるっぽい。踊ることを一旦やめてレコーディングの時と同じような環境で歌うことだけに集中させたらこの人たちはこんな上手いんか、と衝撃だった。ライブはピンマイクか無線のダイナミクスマイクで、いつもあの環境で歌唱力の非難を浴びるのは可哀想だなぁ、と思っていたが、ちゃんと整った場所で普通に歌ったらここまで凄いんか、とビックリした。それで「このコンデンサーマイクも凄いな、めっちゃ綺麗に録れてるな」と思い、サウンドハウスを開いてオーストリアン・オーディオのマイクだと特定した。一本二十万円する。思ったより安い。二十万円でこんな綺麗に録れるなら俺がもし歌がうまかったら買ってるだろうな、と思う。全員マイクの使い方が上手いが、特にナヨンとモモが際立って丁寧というか、自分の得意な距離感をわかってる感じがする。息の残し方とかまで気を配られてる感じがする。それらの音も拾われることをわかってる感じがする。なんでだろう。この二人はあれなのかもしれない。とにかく全部めっちゃ丁寧にやるのかもしれない。ダンスもそうだけど、とにかく全部完璧にやろうとするのが当たり前の二人なのかもしれない。『One Spark』のサビ前のモモのパート「Bring me the,bring me the spark in my veins. Gimme the freedom, the freedom to chase」ここが特に、テレビ番組とかのピンマイクじゃ絶対に拾えないニュアンスたっぷりだった。それこそモモのダンスみたいだった。つむじからつま先まで神経が、しかも新鮮な電気で通して初めて完成しているのと同じように、音程のジャスト部分だけフォーカスされるとこれは全然伝わらない。だから「うわモモってこんな上手いんや」と衝撃だった。そしてこの二人は他の七人と違ってまずマイクとの距離が単純に近かった。その時点でかなりわかってる感じがするが、歌っている最中に距離があまり変化しないようにも注意していた気がする。ジヒョはとにかく情熱というか感情をめっちゃ大事に歌う感じで、それもそれで良い。ナヨン・ジヒョのダブルボーカルは普段の感じから見るとこのスタイルは逆じゃないのか? と思う。ナヨンがめっちゃ自分のフィーリングを大事にしてぐわっと歌って、ジヒョが丁寧にやるかと思いきや、意外とここが逆で、ナヨンが安定してどっしり歌って、ジヒョがぐわーっとやる。おもろい。ナヨンのファンカムとかを見ても、なんか安定しているダンスというか、この人は意外と高いアベレージを出すことに拘っている気がするというか、平場での無茶苦茶な感じとは裏腹に歌とダンスにはワガママな感じが一切なく、むしろ逆で、無駄が一切なくグループに馴染むストレートに良いものを放とうとしている。そこには自我が全く入ってこない。よく見るとイヤモニのデザインが一人一人違って、ダヒョンはキリスト教だからか十字架のデザインだった。ぺっちゃんと「上手いなぁ」とか「泣きそうや〜」とか言いながら最後まで観た。仕事で疲れ果てた西上くんが来て、三人で大阪王将に。食いながらM-1の話。短歌の話。「ななまがりみたいになってるわ俺。ずっと準決、みたいな」と言った。西上くんはもう眠そうで明日も早朝から仕事らしいが、ちょっとコーヒー一杯だけつきあってよ、と自宅にもう一回連れ去る。「紅白見たんですけど、ぺっちゃんと山口さんは、あのグループどうなんすか?」とミサモについて尋ねてきた。
「どうなんてどういうこと?」
「TWICEの方がよくないっすか」
「いや、まあ、そりゃそうだけど」
「なんかあんま覇気が感じられないんすよね」
「誰なん君は。やる気なさそうに見えた?」
「あれは、三人が、三人でやりたいて言い出したんすか?」
「知らんわ。会社じゃない?」
「なんであの三人でやってんすか?」
「いや、まあ、あれなんよ、俺らはジョンヨンとかチェヨンとか韓国人のメンバー好きだけど、日本ではやっぱり世間一般的にはこの三人が人気なんよ、多分、だから会社からやれって言われてるんじゃない? 知らんけど」
「あ〜、そうなんや〜」
 西上くんが謎にミサモのやる気に厳しくておもろかった。

三月十三日
 働きに向かうバスの中でまたTWICEのkilling voiceを観ていた。うーん、最高だとにかく。『KNOCK KNOCK』のサビの拓ける感じ、自分の乗っている電車がずっとトンネルの中を走っていたのに急にでっかい海が現れた時みたいだ。青春の疾走感がある。『Heart Shaker』が終わったあとの『What is Love?』のイントロ、いつもの始まって二小節四拍目で九人が同時に「TWICE!」と叫ぶところでかなりグッとくる。ここをオケで処理しない判断、本当にありがとうございます。アイドルによく言われる「尊い」または派生しての「てぇてぇ」は、彼彼女らの見た目の美しさそれを発端に彼彼女らが生きてることそのものに向かって言われることが多いが、俺のここの場合の「てぇてぇ」の感覚は一個のグループ名を名乗っている異常さに対してあった。十年間一個のグループ名を名乗り、歌ったり踊ったりすることによってマネーを動かしてきた。そのことの、ともすれば滑稽さ。暴力性。しかしそれが当然のような全体の雰囲気。この世に特別じゃない仕事なんか一個もないとは思うが、TWICEのプラクティスビデオとかを見ていると「これで金稼いで生きてるのかぁ」と特にびっくりする。つまり九人が「TWICE!」と叫ぶとき、それは職場の名前を叫んでいるわけで、それはなんか、異様だ。異様だから怖くて美しい。そこに疑問とかない感じが気持ち良い。かっこいい。それは別にTWICEだけに限らない話だが、なぜかTWICEを見ている時によく思う。味の素スタジアムで生で観たのが影響しているのかもしれない。あれは本当に恐怖体験だった。しかし堕ちてもいい狂気だった。

三月十四日
『デリケート』の会話のない読書会。愛されてるんだな、と思った。なんですぐ忘れるんだろう。「出てくる人の中で誰が一番好きですか?」と聞かれて、「うーん、やっぱ美工藤さんですかねぇ」と答えた。「誰が好きでした?」と聞き返すとやはりその方も「美工藤さんです」と答えて、なんか、その時、とっても嬉しかった。みんながサインを求めてくれて、手紙をくれた方もいて、帰り道、あとどれぐらい書けるだろうか、と思う。誰かのためにやってるわけじゃないが、それでも、「この話は世の中に必要だろ」という思いで本にした。この話は誰かを助けることができると今は本当に思っている。新島さんとの打ち合わせで「多分この話でしか救えない人がいて、必要としてる人にちゃんと届いてほしいんですよね」みたいなことを話したことを思い出した。そういうつもりで書いたわけじゃなかったけど、幸運なことにたまたまそういう力を帯びた。みんなからのラブを受け取った日。これでもうちょっと生き延びられる。
 京王新線の中で、美工藤さんが生理用ナプキンで流血を抑えていたあの場面を思い出していた。

三月十五日
 昨日の読書会に参加してくれていた方が「全員が少しずつ壊れていて、同時に驚くほど精密に気を遣いあって、あえて無意味を突っ走るような姿がかっこよくてダサくてひたすらに眩しい」と感想を書いてくれていた。嬉しい。
 珍しく昼間働き、帰路、なんか新しいキーボードが欲しくて新宿に行く。ヨドバシの地下に入る。G Proのキーボードがあるかと思いきやそれはなく、逆にFILCOがいっぱいあった。それでMajestouchシリーズのキーボードを触りまくる。しかし、うーん、と思う。logicoolとRazerがない状態では決められない。もう一個上の価格帯のキーボードたちを触ったらそっちが欲しくなるだろう。ていうか、今あるやつで充分じゃね? と思いながら、とりあえず何も買わずに出る。バス乗り場に。
 バスの中で落合とLINE。養成所で活躍しているようで嬉しい。しかしあまりにも寝ていないようなので本当に寝てくれ、と注意した。不眠はマジで死にそうで怖い。

三月十六日
 起きてすぐに洗濯機を回し、その間にパスタを茹でて食う。今日は早稲田松竹で『タクシードライバー』をやっていて、ル・シネマでは『海がきこえる』をやっている。とりあえず洗濯物を干す。どっちも観たいが、めんどくさい気もする。それで西日の当たる椅子の上でくるくる回りながらいつものようにずっと家にいることにした。
 なんとなくハンターハンターを全巻寄せ集めた。僕らの別荘でハンターハンターウエハースを開封しているのを見ていたらもう一回読みたくなってきた。しかし二十一巻から二十七巻だけない。ここは連載で追いかけていたのかもしれない。オークションの前らへんから読み始めた。シルバとゼノが好き。そのままガーッと読み、パクノダが死ぬところでグリードアイランドに突入。俺はグリードアイランド編でもキメラアント編でもなく、このヨークシン・幻影旅団編が一番好きな世にも珍しい奴なので、もうだいぶ満足して本を閉じた。そして、なんだろうな、この爽やかさ、と思う。お風呂上がりみたいだ。話がエグすぎて安心する。ずっと思ってるけど、なんでこんなエグい話が週刊少年ジャンプで連載できてるんだろう。快楽に素直な悪人が多い。それが気持ち良い。何の遠慮もない。それを読んでいると、なんだか、息ができる。読んでいるこちらの肺の風通しが良くなる。暴力それ単体が好きなわけではない。範囲を逸脱する瞬間の、ふわっ、と体が地面から離れて無重力みたいになる一瞬のあの感覚が好きだ。それは例えば、停電に乗じてクロロを拉致ったクラピカが車の中で話すシーンで、クロロを殺しても幻影旅団が続いていくことを知ったクラピカが無茶苦茶焦るあのシーンも、あの残酷さも気持ち良い。そこいらに転がっている安い暴力の何千倍も残酷だ。おいしい食べ物にも肉とか野菜とか麺とか色んな種類があるように、残酷さにも方向性がある。冨樫はこれを全種類やってくる感じがある。喧嘩とか暴力だけを題材にした漫画は一方向に寄ってるものが多くて、その真っ直ぐさもそれはそれで良いけど、俺はありとあらゆる残酷さを浴びたいらしい。幼稚で安易な暴力から深く練り上げられた戦略的な裏切りまで。そして幼稚で安易な裏切りから深く練り上げられた戦略的な暴力まで。
 東ゴルドーの王様をメルエムが一瞬で殺すシーンで、「なんでこんな奴が王なの?」とピトーに聞くと、ピトーが「人間という生き物はこのように何も強くないのに権力を持って王になれる特徴を持ってます」と応える。このシーンとかもあったかいお湯に肩まで浸かってる感覚になる。しかし東ゴルドーの王もメルエムも、どちらも間違えている。では誰が正しいのか。そんなものはない。冨樫にはそういうのを言う気が全くない。爽やかさの根源はそこにあった。冨樫の無軌道さが気持ち良い。掴みきれない。誰が正しくて、こいつらが正しいからその正しさに向かってストーリーを寄せていきますね、とかが全くない。本当の意味で自由だ。またはそう見せている。誰からも縛られずに無茶苦茶、好きなように、それこそ暴力的に描いている。またはそう見せている。それを見ていると息ができる。誰かが暴れている、という安心がある。キメラアントというシリアスな敵と戦っている時に、ゴンとキルアが「お前デートとかしたことあるの?」「あるよ」「こいつ……大人だ……!」みたいなふざけすぎてて不要すぎるシーンが入ってくる。だけどこういうシーンこそ必要で、ギャル曽根が大量の肉を食ってる途中でバニラアイスを食うみたいに、こういうシーンがあることによってキメラアントのエグさが際立つ。だから無茶苦茶なようで全てに神経が通っていて、しかしそうかと思いきや意外とテキトーだったりもする。何かのインタビューで冨樫は「こうしたらストーリーが良くなるみたいなコツは掴んでいるけど実際にそのキャラクターを生かすか殺すかの最終的なジャッジは描きながら決める」みたいなことを言っていて、多分それが読み手にとっての快楽を産んでいる。描く人すらどうなるかわかってない話が一番良いに決まってる。だからカイトが死ぬ時とかも、どこかの時点で冨樫の中で「カイトはここで死ぬ」と決まったはずだけど、その決めるジャッジが普通の作家よりもだいぶ遅い。だからカイトの死に対して鮮度が高いまま描いているはずで、その鮮度の高さがこちらにも伝わってくる。ストーリー全体がフレッシュ且つ丁寧に仕上げられた燻製であることが不気味だ。とにかく読んでリラックスした。このままどんどん無茶苦茶してほしい。大暴れしてほしい。

三月十七日
 いつもより早めに家を出て、初台のくまざわ書店に。ハンターハンターの二十一、二十二、二十三巻を買った。
 働き、帰路、そのべさんからまた声をかけてもらっている短歌連作のタイトルを考えながら環七を歩く。〆切までに三十首なんとかいけそうだが、タイトル絶賛迷い中で、候補が二十個ぐらいあって熾烈な争いが起きていた。
 帰宅して、既に持っている二十巻の奥付を見ると、二〇一一年と書いてあった。つまりこれらは高校三年生の時に地元のジャスコで買ったハンターハンター達だ。小学生の時からずっとジャンプで読んでいて、高校生になって改めて単行本を揃えたんだな、と思い出す。

三月十八日
 起き、コーヒーを淹れる。椅子に座る。少し前から書き始めていた私小説的なやつが一万字ぐらいになっていたのでiMacに移す。『味方の証明』は諦めてこちらに専念しようと思っていたが、いざそうしてみると伝ちゃんの人生をなかったことにするわけ? と己が問うてくるので、それでまたちまちまとiPhoneで書いている。二つの話を同時に書くことを選んだ。なんやかんや初めてかもしれない。やり切れるだろうか。それで時間を置いて改めて『味方の証明』を新鮮に読み返す日々だが、全然おもろい、気にせずガッと書けや馬鹿が、と自分に思う。

三月十九日
 起き、ミーティングを経て、眠いが寝たらまたどんどん生活リズムが夜に寄っていくので頑張って起きようと思ってコーヒーを淹れた。フィルターの乗ったドリッパーをシンクに置こうとした時に揺れて、お湯が溢れて親指人差し指中指に思いっきりかかり、あまりの熱さに声も出ず、動けず、強烈な痛みだけがズドンと指先を駆け巡り、やっとの思いで目の前の水道水を流して冷やした。実際的には二秒間ぐらいの出来事だったが、熱すぎて動けない時間が体感では一分ぐらいあった気がして、変な感覚だった。指たちは見た感じ平気そうだがピリピリの電気だけが残った。

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