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三十歳の日記(2/4-2/23)

二月四日
 あまりにも疲れ果てて何も覚えていないぐらい物理的にも精神的にも追い詰められ、死を感じざるを得ない七日間だった。二十九日から現れた咳が一向に止まらず、しかし発熱はしておらず、三十一日に病院に行くとやたらめったら散らかりまくった病室でこちらを一瞥もすることないクソジジイのヤブ医者が「花粉症の咳でしょそんなの」とテキトーに言い放ち、花粉症の薬を出して、「絶対違うけどな花粉症じゃ」と怒りながら帰宅。本当に、心の芯から疲れ果てているというのに、更にそこにこういう風に蔑ろに扱われると、本当に、物理的な殺意というか、ああいう奴は本当に包丁で刺すなり金槌で頭を叩きまくってあげないとみんなにとってよくない、という思考になってくる。しかしそれをやる元気もない。だから誰か代わりに殺してきてくれ。二十九日からずっと、熱はないのに咳が止まらず、ベッドから一歩も動けず、見知らぬ天井を眺め続けて、うとうとしては、目が覚めて、うとうとしては、目が覚めて、外は暗かったり、明るかったり、夕焼けだったり、鳥が飛んでいたり、車がクラクションを鳴らしていたり、小学生が下校していたり、道路工事の兄ちゃんが休憩していたり、今がいつなのかわからない。二月一日に西荻窪のお店の片付けに一人でちょろっと行き、しかしそこでも咳が止まらずすぐに帰った。熱はない。もうずーっと寝ているのに体調が一向に良くならなくて、このまま死ぬんじゃないかと思った。最後に友達に会っておこうと思って落合と日下部に電話して下北で会ったが、何も覚えていない。落合と日下部が何か喋っていた。落合から「その顔やばすぎ。疲れすぎてるよ」と言われ、そうだよな、と思う。顔はニキビだらけで髪は白髪まみれになっていた。日下部も俺の姿を見てそのあまりの死にかけっぷりに引いていた。なんで下北に三人で集まっているのかもよくわかっていないまま、俺は落合と日下部が喋っているのを一人だけ細長い水槽に閉じ込められて眺めていた。日下部から「脳が止まってるね」と言われたことは覚えている。いつもは俺が一番喋るのに全然喋らなかった。喋れなかった。声が出なかった。何も思いつかなかった。なんにも。頭の中が真っ白で、真っ白なこともわかっていなかった。生きていける気がしない。今日で死ぬのかもしれない。
 家に帰り着くなり、そこからまたずーっと寝て、二月二日の朝、なんの気なしに体温計を脇に差すと、三十八度六分。ここに来て。咳が出てきてから五日が経っている。ここに来て発熱するのか。それともずっとしていたのに気付けてなかったのか。もう俺は自分が発熱していることにも気付けなくなった。とりあえず去年か一昨年かに発熱した時お世話になった病院に電話する。行く。左の鼻の穴に綿棒を突っ込まれて、インフルエンザのB型です、と言われる。コロナと重複して罹患している可能性もあるのでちょっと待ってくれ、と言われて、看護師のおばちゃんと「重複してかかる人とかいるんですか」「いますよ〜」「嫌だなぁ、両方かかるの」とか、脳みそが止まっている会話をして、コロナは陰性だった。帰り道に母親に電話をして「インフルだった」と言ったが、本当は仕事を辞めようと思っていることや、全体的に今何もかものバランスが上手くいっておらず死にかけていることを伝えたかったが、それを言う元気すらなく、「インフルなったわ」しか言えずに家に帰り着き、すぐに渡された吸入剤を二本肺に取り込んで、そこからまたずっと眠った。
 短歌研究新人賞の〆切は一月三十一日だった。その時の彼はまだ発熱はしていなかったがぼーっとする意識と止まらない咳を抱えてふらふらになりながらどうにか三十首揃えて、もう何を書いたのかとか全く覚えてないし本当に三十揃えられたのかとかクオリティーは大丈夫なのかとか、彼は何をどうやって判断したのかわからないが、体をくの字に折り曲げながらコンビニまで歩き、印刷してホッチキスで綴じ、封筒に応募用のなんかアンケートみたいな紙と一緒に入れて宛先を書き、閉じ、郵便局まで歩いて、発送した。
「届くのもしかしたら土日明けとかになるかもしれませんがいいですか?」と聞かれて、「消印は今日になりますか?」と聞き返した。
「今日になります」
「今日って何日ですか?」
「一月三十一日です」
「じゃあいいです。着くのはいつでも」
 とわざわざ日付を尋ね返すというわけのわからない行為を経たのできっと期日通りに応募はできたが、俺は何を応募したんだろう。大丈夫なのだろうか。ずっと俺が俺じゃないみたいで、イライラする。誰なんだろうこいつは。
 B型のインフルエンザはA型に比べて高熱は出ないが期間は長い、と言われたが、八度六分も出ており、期間は確かに長い。一月二十九日からずっともう何もできてない。日記を書いている今は二月四日の二十三時過ぎだが、今もまだ治っていない。熱は下がったが基本的にずっと寝ている。俺はもう何もできないのかもしれない。

二月十四日
 起きて、洗濯物を持ってコインランドリーに。やたら混んでいて不気味だった。洗濯機が一個しか空いてなかった。天下一品を食って、七つ森でコーヒーを飲みながら短歌を書き、『メインテーマは殺人』を読み、ランドリーに戻る。洗濯機から乾燥機に移す。待つ間も読む。おもろい。洗濯物を畳み、帰宅。衣類を棚に戻していく。足が臭かったのでエアフォースワンを洗いたくなった。そうする。中敷きを取ろうとしたら粘着質な感じで苦戦。力いっぱい振り絞って中敷きを剥いだ。スニーカー用のブラシと洗剤のセットで洗う。珪藻土のマットの上に置いておく。よっぽどフォースワンが好きらしい。

二月十五日
 いつの出来事かは覚えてないが、心配した両親から電話がかかってきて、初めて父親の前で泣いた。母親から「大丈夫ね?」と聞かれて「大丈夫じゃない」と応えたところで何かが決壊して、俺はもう辞める、全部、という気持ちになった。
 しかし生きるということはそう簡単に辞められない、という安い括りと、安い括りのくせにマジでそうなことに対するイラつき。

 昨日寝る前に、恋人と仲良くなり始めた最初の頃、今から五年前とか、お互いが休みの日にただ二人でたくさん寝て、夜に近所のスーパーに行って何か鍋みたいなものを作って食ったのを思い出した。それだけしかしなかった日で、確かもうそれだけしかしない日にしよう、と約束を交わしてからただメシ食って寝るだけの日にした。どうしてそれを思い出したのか。大切な日だったから覚えているのかもしれない。

 羽毛布団の中でiPhoneでグッドフェローズを観ていた。映画の途中に広告が入ってくるのが最悪だった。ヘンリーがカレンと出会って結婚するまでが良かった。街中で喚く姿で惚れるのも良いし、カレンの体に触った男を殴りまくるところも良かった。ピストルをカレンに渡して「隠してろ」と言う。「大抵の女は男からピストルを隠してろと言われたら別れるが、私は血が騒いだ」みたいなセリフも良かった。Netflixを閉じて恋人のことを思う。歩くときは大抵俺が彼女の腕にしがみついて彼女はくっつかれることをめんどくさそうにしているが、腕を組んでいる時や触れ合っている時に俺はこのまま一緒に死のうね? と思う。

二月十七日
 両親が朝から俺の家に来て、部屋の掃除をしてくれていた。来なくていいと何度も断っていたが、別にただ遊びに行くだけ、ということで押し切られて、還暦を超えた両親に部屋の掃除をさせてしまっている。父親がクリームシチューを慣れない手つきで作ってくれた。食べながら、泣くのを我慢した。元気がない、メンタルが変なことになっている、というだけで片道千二百キロを飛行機に乗ってわざわざこんな狭い部屋までやってきてクリームシチューを作ってくれる父親だったのか。知らなかった。あんま家族の事とかどうでもいいのかと思ってた。あんま俺の事とか好きじゃないんだろうなと思ってた。そんなことはなかった。
 働き、真夜中、帰宅して、クリームシチューを食う。涙がこぼれる。父ちゃんがクリームシチュー作ってくれたばい、と恋人にメールを送る。

二月十八日
 朝からまた両親が来る。ぶち壊れていた洗濯機の新しいやつを買い替えてくれていて、それが今から届くらしい。そして古いやつは回収してくれるらしい。コインランドリー生活も今日で終わりらしい。父親は「ストレスを一個ずつなくしていくばい」と言い、それは俺がかつて動けなくなった恋人に言っていたことと同じだった。父は張り切って動線を作り、ベランダを掃除していた。勝てないな、と思う。十八の時に出会った恋人(母)と今だに一緒にいて、十八の時に始めた仕事を定年までやり遂げて、子どもの家のベランダを朝から掃除できる人間に、俺はなれそうにない。
 それで俺は仕事の時間だったので、あとは両親に任せてバスに乗る。わけがわからなくなった脳みそで二月頭から色んな書店さんに『デリケート』を置いてくれませんか、と資料を添えて連絡を送っていたらしい俺は、無視されるか断られるかがほとんどで今のところ上手くいっていない。そうだよね、と思う。こういう連絡が書店さんには毎日死ぬほど来てて、まず目に留まらないだろうし、目に留まったとしても、まあ、置かないだろう。知らん奴が書いた知らん小説って。こういう営業にもコツみたいなのあるんだろうな、というのはわかるが、それを上手くなろうという気が全く起きない。しかしそれもやろうと思って本を作ったのに、わけがわからない。ベッドの横には完成した三百冊が積み上がっている。どうしようかね。何に困っているのかもわからない。自分で作っておきながら、タイミングが悪いなあ、と思っている。もうちょっと元気なつもりだった。まさか、完成した時にこんなに元気がないと思っていなかった。

二月二十日
 早起きして母親とかっぱ橋商店街を歩いた。今日じゃない。何日か前に。そうしている間に父はまた一人、俺の部屋の洗濯機と格闘していた。そもそも洗濯機置き場が外なので、雨やホコリや紫外線から守らないといけないが、ただの洗濯機カバー一枚ではこれは太刀打ちできない。洗濯機カバーならもともと着けていた。それでも壊れた。だから父が洗濯機の上から植木用のビニールハウスみたいな、骨組みがあって、全体を覆う小さな家みたいなものを作ってくれたが、それのサイズが絶妙に余裕がなくパツパツだったので、骨組みを洗濯機のサイズに合わせる何か手の込んだDIYをやってくれていた。しかしこれも父的には時間がないから簡易的なDIYらしく、本当は一週間ぐらいかけてもっとガチの小屋を作りたいらしかった。それで「母ちゃんと遊んできてくれ。本当は遊びたいだろうけん」と託されて、洗濯機ごめんね、と言って母親と鰻を食いながら父ちゃんとのことを話した。母親は「今からお父さんと仲良くなっていくんだけん」と言った。二十年以上の別居を経て、還暦を迎えて、ようやく一緒に暮らし始めた両親が、言葉を用いて時間の壁をぶち破ろうとしている。そして今から仲良くしようとしている。母ちゃんのその姿勢がテオ・アンゲロプロスの映画みてえだ。生きるって何、だる、と思う。悔しかった。なんで、人は、二十何年も、離れて暮らした二人に、自力でどうにかしろとしか渡せないんだろう。それを選んだのは俺たち家族だけど、本当にそうなんだろうか。もっと国とか政治とか社会とかが根本的に違ったら誰もこんな思いせずに済んだんじゃないの。そんなことを言ってもしょうがないこともわかっている。生きていくことのエグさもゲームの中のムズイ面ぐらいに捉えて、さあどうしよかね、とつい最近までは思えていたけど、今の俺には無理だ。みんな死ねよと思っている。憎悪を抱えながら生きている。隠しているだけで。しかしそれでもいいと言ってくれている人がいる。憎悪を抱えたままでいいから、と。でも俺は、もう本当に、
 鰻は浅草で食った。鰻屋に行く前はフグレンでちょろっとコーヒーを飲んだ。タバコを辞めたからだろう、鰻のおいしさは手足の先までびりびり痺れる感じで入ってきた。
 東京駅まで行って、母親がトップスのチョコレートケーキが買いたいと言うからそこまで連れて行った。店員が一人しかいないのに、なぜか彼女は誰かと長電話していて意味がわからない。ワンオペなのに電話に出ちゃダメじゃない? 母親と二人でその電話が終わるのを長いこと、十分ぐらい待っていたが、一向に終わらない。東京駅のこんな立派なお土産売り場でこんなことあるんだな、と思いながらぼーっとしていると、わけのわからない汚いおばさんが横入りしてきて、電話をかけているその店員に「ねえ、チョコレートケーキ」と言った。すると店員はすぐに電話を切って、そのおばさんにケーキを売っていたが、どういうこと? 俺と母ちゃんずっと待ってたよね? 大した電話ではなかったの? そして仮にそうなんだとしても、切ったあとに「こちらのお客さまが先にお待ちだったので」とか言って俺らを優先するのが普通じゃないのか? 「こんなとこのケーキ買わんでええ」と母ちゃんに言いたかったが、母からしたら別にこんなこと大したことではなかった。だけど俺は、やっぱり、どうしても、もう本当にこれだけなんだけど、こういうのを、別にこのお店でのこのことだけじゃなくて、たくさんある細かな、生きていくことの大変さの全てを、「大したことじゃない」と、思い込んだり、言い聞かせたりして、乗り越えないと生きていけないようにした全てに、母ちゃんや恋人や身の回りの大事な人たちやそして自分自身にも、負荷とその処理を丸投げされて、「はいあとは『そういう世の中』で処理してください」と押し付けられていることに、もう耐えられない。死んでくれ頼むから全員。
 落合がいつか「ぐちやまは『生きていくの大変だね』って言うけど、俺そう思わんのよな〜」と言っていたのが衝撃で、よく思い出す。タフやなぁ、と。俺は全然タフじゃない。だからタフな母親がケーキを買えて嬉しそうにしているのも、何も言わずに黙って見ていた。
 銀座のバス乗り場まで行き、父親と合流すると、父は無事に洗濯機をどうにか良い感じに工事してくれたらしく、本当にありがとう、と言った。最初にうちに来てくれた日に、あまり誰にも言わないようにしている本音をほぼ全部話して、あの手触りはきっと忘れないだろう。それもありがとうと言った。何度も言った。父の言う通り、ストレスは一個ずつやっつけるしかないのは確かだ。忘れないようにする。いま俺は日記を書きながら泣いている。俺が「しんどい」と言うと、その言い方一つでそれがどのぐらいマジなのかをすぐに判別してくれたところで、愛されてるんだな、と思った。
 両親に別れを告げて家に帰ってきてオリジン弁当を食っていた。母から電話がかかってきて、飛行機が欠航になったと。十七時の便の欠航を十六時前にメールでだけ伝えてきて、金だけ返すからあとは自分たちで勝手にしてくれ、と、ジェットスターは何を聞いてもガン無視だった。それで両親は俺の部屋に戻ってきて、流石に二人とも疲れ切っている様子だった。父に湯の沸かし方を教えた。電気ケトルとかはない。俺はやかんが好きだから直火でやってる。これはホーローのポットだから持ち手も熱くなるからこのミトンを使って、と教えた。母ちゃんがお風呂に入りたいと言うので溜めた。シャンプーはこれ、体洗うのは牛乳石鹸しかないけんこれ、と教えた。それで俺の家はシングルベッドとシングルサイズの布団しかないので、つまり二人しか寝られない。だから父ちゃんと母ちゃんに俺の家で寝てもらって、俺は恋人の家に行くことになった。ごめんね、と謝る二人に、違う、ごめんねじゃない、なんでんしてもらってありがとうでしかない、俺はもともと恋人の家に行くつもりだった、と言って、恋人の家に。
 翌日の夕方にパスタ屋さんでパスタを食べていたら、恋人が『花四段といっしょ』の話をした。何かのお礼に自動販売機でジュースを買ってあげる、というシーンがあって、花四段が二つで迷っていたら、「二つとも買ってあげるよ」とジュースを二本奢ってもらうシーンがあるらしく、俺も読んだはずなのにあまり覚えてなくて、そこを読むと山口くんのことを思い出して泣いちゃう、と恋人が言った。山口くんみたいな優しさだけん、と、関東出身の彼女に俺の熊本弁はもうだいぶ移っていた。
 同じような感じで、いや同じような感じかはわからないが、まあきっと同じような感じで前職を辞めたスリンキーが心療内科について教えてくれた、いつか、俺はスリンキーに何かあったらいつでも気軽に言うてくれと声をかけ続けてきておきながら、しかし自分は全く言えない、言わなきゃいけない状態だとも気付けてなかった。ちりニキは定期的に「生きてるか?」と連絡をくれる。落合とトーヤくんと長尾くんは夜中に部屋から連れ出してくれる。行き先はラーメン屋だったりボウリングだったりカラオケだったりする。明け方の三軒茶屋の知らんカラオケで落合と歌ったAqua Timez『千の夜をこえて』は琥珀のペンダントみたいに、どこからともなく猛スピードで飛来する鉛の弾丸から俺を守る。その時の動画を何度も見返してどうにかギリギリ正気を保っている。

二月二十三日
 十四時間眠って、起き上がり、炊飯器の中に残った米を茶碗に移して、ジャーを洗って、次のやつをまた三合炊く。サッポロ一番しおラーメンを作って食う。最近こればっかり食っている。
 何も上手くいかないのなんか昔っからそうだが、いよいよ本当にやっていけるのだろうか。急にぶっ倒れそうな気配がぷんぷん漂っている。無理な気しかしない。タバコをやめて一ヶ月が経とうとしている。夢の中で知らん誰かからもらったタバコを吸っていた。とってもおいしかった。雨ばっかりで嫌になる。

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