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三十歳の日記(11/20-12/10)

十一月二十日
 明日の予定を分刻みでカレンダーに入れていく。
 働き、帰宅して、部屋の大掃除。随分と綺麗になった。洗濯物をIKEAのバッグに入れて玄関の前に置いて、寝る。『味方の証明』のプロットを早いところ整理したい気持ち。

十一月二十一日
 昨日組んだカレンダー通りに生活しようと思っていたが、早速起きる時間が遅れた。家を出て、コインランドリーに。洗濯機を回している間、天下一品を食う。あゆみブックスに行って、フォークナーの『野生の棕櫚』を買う。まだ

十一月二十三日
 十一月二十一日の日記は「まだ」で終わってるが、まだ何なんだろう。新宿のドン・キホーテでシャンプーの詰め替えを買った。虚しい気分だった。わざわざ、こんな、ド派手で、若者だらけの、祝日に、シャンプーだけを、買わなくてもいい。だけど買わなくちゃいけない。
 YouTubeでエロいASMR配信をしているVtuberの人たちはラインの見極めがありえないぐらい上手で、本気のエロにならないようにずっと中心からある一定の距離を取り続ける。達人の間合いだ。もうちょっとエロくなったらアカウントBANされるが、エロくしないとリスナーが離れていく。とんでもない綱渡りだ。いやそれどころか、一輪車に乗りながら、剣を飲みながら、お手玉をしながら、みたいな、とんでもない大曲芸だ。これは疲れるだろう。男の子バージョンもあって、そちらはイケボの男の子が「あくまでも耳かきのことを言っている」体を装って、エロになるべく近付ける。アンジャッシュのコントみたいだ。パチンコ屋の店員さんに「これどうすればいいんですか」と景品を見せながら尋ねると「なんとも言えないんですけど、みなさんなぜかあちらの扉から出て行かれますね」と案内されるあれにも近い。「なんとなくわかるよね? 俺の言ってること」という共通認識で結託する感じが。関西弁イケボの男の子が俺の耳元で「ここがいいんやろ?」とか言っていて笑う。もうそれはさ、もうそれはじゃん。

十一月二十四日
 それから

十一月二十五日
 昨日の日記は「それから」しか書かれていないが、それから一体なんなのか。昨日は夜中に兄とVALO。お互いゆっくり上手くなっていっている。ゲームを通して兄と毎日のように会話をする日々が始まっており、これは大変喜ばしいことだ。
 一昨日は働いたあとに『小説 VS 写真』の第十一回を書いていた。
 通りすがりの人たちが印象的なここ数日だったけど日記に書けていないのでどういう人たちがいたのかもう思い出せない。
 M-1三回戦の動画を全部見た。みんなおもろかった。キュウ、オダウエダ、ヨネダ2000、マユリカ、十九人、サブマごり押し、イチゴ、トンツカタン、ママタルト、9番街レトロ、ハイツ友の会、が特に好きだった。多すぎる。
 笹井賞の発表がそろそろのはずだけどまだ発表されなくて毎日ドギマギしており、この程度でドギマギするなんてまだまだヤワやのぅ、と思う。こんぐらいでドギマギしてる奴は通らんわい。

十一月二十九日
 兄がモニターアームとモニターライトとスピーカーを持ってきてくれて、それらを繋げる。PC周りが快適になった。高円寺を歩き回った。子どもたちが集まる駄菓子屋が早稲田通り沿いにできており、そこでブルーシールのアイスを買って食いながら歩いた。新高円寺の方に戻ってきてタロー軒でカレーを食った。

十一月三十日
 フォークナーの『野生の棕櫚』を買ったはいいものの、それを読む前に『土にまみれた旗』をやっつけなくては、という思いに駆られて、そっちを読み始めた。分厚いが、最後らへんのページを見ると500と書いてあり、意外に500か、と思う。紙の厚さに騙されるな。「という話をしていたのはどこどこで」という風に一歩ずつメタに引いていくことによってどんどん時代が昔に遡る語り方をしていて、これはもはやフォークナーの中ではわかりやすいほうだな、と思う。『アブサロム、アブサロム!』を乗り越えてきた身からすると余裕だ。登場人物の名前が似ている、もしくは同じでややこしい。これは百年の孤独みたいだな、と思うが、こっちが先らしい。Wikipediaを見ると確かにだいぶ先だった。『土にまみれた旗』が1929年で、『百年の孤独』は1967年だ。フォークナーはどの本を読んでもずっと変な語り方をしていて、俺は東高円寺の駅の改札を通って階段をのぼりながら、「どうやって売れたん?」と思う。どうやってその複雑さをわかってもらったんだろう。フォークナーはきっと人が何かを理解したり飲み込む時の脳への浸透の具合を誰よりもわかっていた。だからこんなことができる。そしてそれを俺はとても信頼しているが、これは、1929年のアメリカで、伝わったんだろうか。伝わったんだろう。そう思うと勇気が出る。滝口さんのダイナミックに時系列をまたぎながら語るところがとても好きで、フォークナーを読んでいるとなぜか滝口さんの小説をよく思い出す。滝口さんはそのダイナミクスの手解きもやってくれて、その案内もおもしろいが、フォークナーはやってくれないというか、やる気がない。本の冒頭に地図や家系図が入っているが、これは2023年の日本だからできる付録で、当時は多分これもナシにみんな読んでいた。「ベイヤード」という名前の奴が三人もいるのに。しかしその読んでいるとどのベイヤードかがわからなくなって頭がガクッとなる感じもそれはそれで良い。というか、正しい。そういう書き方をしている。わかってもらうつもりがないように見えて、こう語るのがベストという選択はしているはずなので、つまりフォークナーにとってはこれが最もわかってもらうのに(というか物語を提示する形として)最適な形だった。無茶苦茶だこんな奴。とんでもない自信というか、信頼というか、ぶっとび具合というか。フォークナーは「意識の流れ系」というカテゴライズをされて語られがちだけど、そんな曖昧模糊としたものではなくかなり戦略的にというか緻密に計算した上でこれを選んでいるとしか思えない。同じカテゴライズで語られるヴァージニア・ウルフと比べても、何かもっと切実というか、「絶対伝えたるねん」みたいな意思はフォークナーの方が強く感じる。堅牢さ。文字通り固い牢屋を作ってる感じ。どんな人だったんだろう。毎日ヘトヘトで頭真っ白で殴り書きみたいに勢い重視で書いてたのならそれもそれで納得だし、めーちゃめちゃプロットとか緻密に組み込んで書いてたのならそれも納得だ。脚本も書いてたから多分後者だろう。しかし、やり切る勇気が本当に凄い。誰もやってないことへの恐怖はその場に立ってみたことのある奴にしかわからない。正解のセオリーがいくらでもあると人はついそれに頼るから。

十二月一日
 整骨院の予約をぶち飛ばす。電話で謝る。
 働き、帰宅して、ビート作り。楽しい。展開が難しい。サンプリングしたメロディーにこのドラムパターンは合うけどこのドラムパターンは合わない、みたいなのがある。BPMは合ってるので、どちらも合わないとおかしいはずなのに、そうはならない。おもしろい。
 一試合だけVALO。13-10で勝つ。もっと楽に勝てたはず。アーマー着てない時にサンセットのミッドから顔を出すのは危険。覚えた。ムキになってチェンバー相手に長い距離で挑まない。無謀だ馬鹿。

十二月三日
 風邪を引いた。薬を飲んで二十三時すぎにはもうベッドに入った。

十二月四日
 明け方に目が覚める。笹井賞の結果が発表されていた。何の連絡もなかったので当然そこにはいなかった。恋人から「私はやまぐちくんの治安悪くて優しい短歌好きだよ」と励まされ、落合からは「もう次に進もうぜ」と励まされる。
 働き、歌舞伎町へ。終電もなくなったあとの歌舞伎町に久しぶりに来たが、無茶苦茶怖い。急に知らん人からボコボコにされて荷物全部盗まれても全然おかしくない雰囲気。いかつい黒人のお兄ちゃんからグータッチを求められるが、会釈して通り過ぎる。あれにグータッチを返していたらそこから何かが始まりそうなのでナイス判断だった。

十二月五日
 結果に一喜一憂しない方が難しい。しかし意味もなく喰らってしまう。どうせやるしかないんだから気にしなくていいのに。何が起きたって書き続けるしかないんだから。
 昼過ぎに重たい体を引き摺りながらベッドから這い上がり、タバコを吸ってバスに乗る。変わらない毎日。同じことの繰り返し。このリピート再生を守るだけでも必死なのに、そこにちょっとでも何か刺激が欲しいなんて、欲張りすぎだ。しかし実際的な問題としてどうにかしないと生きていけないのも事実で、何をしに東京に来たんだっけ? うまくいかない色んなそれらに最もらしい言い訳を、言い訳だとも認めさせないような理屈を練り上げて、重ねて、打ち消して、どうにか納得させている、一番なりたくなかったつまらない大人になってしまったのかもしれない。わからない。唾奇がSHUREのイヤホンを通して「この脳に寄生するネガティブごと大きなバネに」と歌っている。それをバスの中で聴いていた。

十二月六日
 新島さんがうちに来た。背表紙の打ち合わせの時になかなかデザインが固まらず、「僕がこの作品のことや山口さんのことをあんまりちゃんと理解できてないからかもです。行き詰まる時って大体そういう感じだから」というようなことを言ってくれて、それで「山口さんの家行ってみてもいいですか?」という流れになり、招待した。十年近く書いてると手書きのノートはもう数え切れないぐらいの量あり、その中からデリケートにまつわるページをスキャンして送っていたが、新島さんはその中でも書き出しの部分を抽出してくれて、それを背表紙に入れ込んだデザイン案を見せてくれた。自分でも意外だったが、あの「ダミアン・ライスというおじさんは変わっていて」という書き出しの部分は手書きから始まっていたらしい。細かい微調整を繰り返して、ほぼ固まり、そのあとも自分がどういう人間かについて話した。個人で本の制作を持ちかけてくる人間はそもそも少ないし、持ちかけてくる人のほとんどが低予算で簡単な冊子で、みたいな小規模且つ妥協も織り交ぜながら進むのが実際的であるというのはなんとなく想像がつく。だから新島さん視点からすると、個人で持ちかけてくる奴の割にはやたら本気だし、ちょっとでも気にかかることがあったらNGを出してくる奴は珍しいといか今まで一人もいなかったのかもしれない。売れたいんですか、それともそういうのには一切興味ないんですか、と率直な疑問を投げかけてくれて、「いつも揺れてます」とこちらも率直に答えた。ぐらぐらしてます。でも売れることを諦めてるつもりは全くなくて、売れるとか売れないとか関係なく自分の中で本物を求め続ける姿勢を保つことが一番売れることに近い気がしてて、これは人それぞれに合ったスタイルがあると思うんですけど、僕の場合は売れ線とか大衆の目線みたいなのを狙って合わせに行くのよりも自我の爆発みたいなことを起こしてそっちに引っ張る方が近道且つ自分も楽な気がしてるんで、それをやってます。というようなことを言った。でもだからといって、「売れるとか売れないとかじゃないだろ」と開き直るというか変な諦め方をするつもりもなくて、あくまでも文字を書いてフレックスすることは目指してます。そのためには売れるとか売れないとか関係ないという状態に入っておく必要があるので、だから売れるための手段として「売れるとか売れないとか関係ない」という姿勢を取っているので、そう見えてるのかもしれません、というような説明も加えた。ハガキ職人をやっていた時に、番組側が求めてるメールを送って、読まれる(しかもかなりコンスタントに)、需要に合わせに行って成功するという体験をしたが、短歌では需要をガン無視して「己」で突き抜けて成功するという体験をして、この正反対の二つの体験のうち自分はいま後者の方を信じてます。それらの説明を聞いて新島さんは前よりも何かがわかったようで、それはとてもハッピーな交流だった。そして自分のこの複雑さは本来あまり良いものでもないと思ってる。人間なんて複雑で当然だが、複雑であればあるほどわかってもらうのに時間がかかる。端的なキャラクターに当て嵌めれば理解されやすくてわかってもらうのに時間がかからない(早く売れる)が、その分ずっと演技をし続けなければならないし、複雑さを持ったまま進むとわかってもらう(売れる)のに時間がかかるが、わかってもらえさえすれば演技をするしんどさからは逃れられる。どちらを取るか。演技とかじゃなく自然に端的な人もいるだろう。それが一番楽ではある。でも自分はそうじゃなかった。だからもうこの二択で選ぶしかない。私は後者を取りました。それで次は新島さんの話を聞きたくて、「どんな学生だったんですか?」と聞いた。そんな風にして理解のための交流が行われた。
 新島さんが帰ると次はぺっちゃんが来て、しばらく二人でTWICEを凝視する。ぺっちゃんは少し前からぶいすぽも見ているようで、歌ってみた系の動画を見比べる遊びが始まった。みんな上手い。コタローと西上くんと日下部が来て、まずは成都にメシを食いに行く。そのあと車に戻ってレインボーブリッジを目指して走り始めたが、俺がルーインドオーガズムについて熱弁していた表参道あたりでぺっちゃんが猛烈に具合が悪くなり、わけのわからない街で降りて大江戸線に乗って帰って行った。心配だったので改札まで見送りったが、その降りるエスカレーターで「ぐちやまがルーインドオーガズムについて話してるところが一番きつかった」と言っていて爆笑。
 西上くんがどこかから盗んできたのか借りてきたかした黒と青の中間のような何とも言えないダサい普通車がようやくレインボーブリッジに着くと、柵の感じが熊本から福岡ドームに行く道と似ていて「うわ福岡ドームに行く道思い出すわ」と言ったら日下部(福岡出身)とコタロー(鹿児島出身)もわかるようで、大盛り上がり。コタローが「ハードロックカフェがある」と言い、それが三人の記憶の隅をつついて爆笑。西上くん(大阪出身)は遠くを見つめてぼーっとしていた。ぺっちゃん(東京出身)は家で寝ていた。
 海を眺めながら歩く。白く発光した大きな建物があり、あれは何だ、と近付くと、それは豊洲市場だった。このあとどうする、と言いながら車をのろのろ走らせていると、西上くんが朝四時までやってる喫茶店を新橋に見つけて、そこに行く。年収3億だけどみんなから嫌われてるのと、年収230万だけどみんなから好かれてるのどっちがいい? という二択を提示すると、みんなが細かいところを詰めてくるので、それに応えていく。年収230万の方は一人で味の素スタジアム埋められるぐらい人気で、それなのに手取りが230万だから、謎ではある。日下部がずっと「なんでなん? それは」と詰めてくる。そういう話をしていると日下部が『東京オリンピックまでにどうにかしたい七個のこと』を思い出したらしく、俺はあれはまた同じセリフ同じこの四人で十年後とかにもう一回やりたいと思っていると伝えた。
 一旦山口家に戻り、朝七時ぐらいまで話す。西上くんは寝ていた。

十二月七日
 お気に入りのプロッパーのズボンが破けて穴だらけになっていたので縫った。

十二月九日
 lit linkを使って自分のSNSとかをまとめる。これもっと早くやっとけばよかった、と思う。寝る前にVALOを一試合だけ。めちゃめちゃ久しぶりにやるのに意外とエイムが良くなっててよくわからない。MVPになって勝つ。途中、「うわ〜、なんのためにやってんだっけ」となる。こういう素直な気持ちを見くびってはいけない。書くことの方が今は良い感じらしい。短歌を辞めて小説に絞ろうと思っていたが、もうメンタル戻ったので全然やる気だ。笹井賞以外にも出したいし、デリケートができたら営業かけまくらなきゃいけないし、短歌のキーホルダーとか作りたいし、味方の証明書き終わったら次の書きたいのいっぱい待機してるし、木村くんとのVSも展示とかまで行けたらなと思っているし、自分のラジオ的なやつもやりたいし、音楽も作りたいし、やりたいことがいっぱいある。

十二月十日
 M-1の決勝が発表されたのは昨日か一昨日かもう忘れたが、マユリカが入っていて嬉しかった。
 ここ数日よしなま軍団の狂気山脈を見ながら寝ていた。第二弾のホワイトアウト中に白陣営の四人が狂気に呑まれてそれをロールプレイに反映させろ、という指令が出た。そこから歴戦の配信猛者たちの本気の狂気が混ざり合って、とんでもない確変に入る。異常なおもしろさだった。
 早起き。メジャーを使ってベッドのコンセントからリビングまでを測る。Amazonで電源タップと釘を買う。トンカチを探して、見つける。VALO一試合だけ。勝つ。今野書店に行って柴崎さんの『続きと始まり』と『すべての見えない光』の文庫を買う。もう既に目玉がとろけるほど何回も見てきたのに、まだTWICE『Feel Special』のfancamを見なが西荻を歩く。九人全部が映ってるやつ。なぜか勇気が出る。

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