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三十歳の日記(5/2-5/30)

五月二日
 朝から働き、帰路のバスで気絶のように寝ていた。目を覚ますと十五分ぐらいしか経っていなかった。十五年経ったのかと思った。
 夜中の二時からALGS本戦が開始するのでまたみんなでウォチパをしようと言っていた。もう既にだいぶ眠いが風呂に入り、アケコンを持ってきてPCと繋げる。なぜかスト6をやる。認定戦を終えて八割ぐらい勝ち、ゴールド3からスタートだった。コーヒーをがぶ飲みしながらランクを続けてゴールド5まで上げて、夜中の二時になった。
 湯船さんとスリンキーとLINE通話に入ってTwitchで見る。おもろかった。

五月三日
 起きてすぐに部屋の掃除。空き缶とペットボトルを捨てに下に降りるとぽかぽか陽気のお出かけ日和だった。しかしすぐにどこにも行かないことにする。なぜならどうせどこも混んでいるからだ。近くの自動販売機で缶コーヒー二本を買って戻り、Amazonプライムでアッバス・キアロスタミ『ホームワーク』を観る。キアロスタミが小学生たちに宿題についてインタビューするドキュメンタリー。宿題を介してそれぞれの家庭環境が見える。ほぼほぼどの家庭にも暴力があり、子どもたちはみんな「人から褒められる」という概念を知らない。「アニメと宿題どっちが好き?」と聞くと、みんなが「宿題の方が好き」と言うが、恐怖に支配されているからそう言っているだけだった。キアロスタミの放つ質問は全て端的で本質を突いていた。途中、転校の相談に来たお父さんが「宿題についての映画を撮ってると聞いたからどうしても言いたいことがあるんだけどいいかな?」みたいな感じで入ってくる。そのお父さんが「繰り返しの行動(既に習得した文字を何度も書かせたりする)は創造性を奪う」というようなことを言っていて良かった。伝統的に厳しく教育する日本では自殺率が高い、とも。明らかにおかしい様子で泣きまくっているマジットという子がいた。モライ(マジットといつもいる親友)がいないと無理だ、早く帰りたい、帰らせてくれ、とお願いするマジットに対してキアロスタミは変わらない態度で「なんで泣いてるの?」とか聞くが、映画監督として絶対にこの子を撮りたい気持ちと早く帰らせてあげたい気持ちが戦っていた。しかし最初はもっと早く帰らせるべきだったと思う。マジットは明らかに壊れている。大人たちの暴力を用いた統率によって。マジットのお父さんにインタビューする時、それまでニュートラルさを心掛けていたであろうキアロスタミが「あなたのやり方ではなく奥さんの接し方の方が合ってるとは思いませんか?」とちょっとそちらに寄った質問をした。そのお父さんは「いや私も妻も間違ってて、結局優しくしすぎるのも厳しくしすぎるのも良くないです」みたいなことを言った。このお父さんはマジットが今陥っている状態に対してなんとも思っておらず、反省しているようで実はそうではなく、とにかく無に見えた。親友のモライへのインタビューで、マジットと対極でやたら強い子で、カメラクルーを前にしても微動だにせず淡々と答える。マジットはモライがいないともう学校では何も行動できないレベルにまでモライに頼っていて、しかしモライはマジットのことが大好きだからそうしているわけでもなさそうで、どちらかというと仕事のような態度でマジットのことを守っているように見えた。

五月十一日
 オーケー、また俺はミスったのね。終電を待つ駅のホームで缶のスプライトを飲んだ。綺麗な緑のべこべこだった。わからん。何も上手くいかんじゃん。毎日眠れない。希死念慮を隠してハアハア浅い呼吸で凌ぐ目の前だけを。いま病名を与えられたら絶対にそのまま転げ落ちてしまうので少しだけ待ってもらう。遅らせグラップがギリ間に合わなかったら死ぬのに猶予は2フレしかなくてしかもそんなもんだと何度も言い聞かせる。馬鹿みたいに。彼女は何も悪くないというのに恋人へのイラつきも甚だしく、もう何も大切にできないしするつもりが全くない。二十四歳の、今の仕事を始めた時の俺は、まさか六年後にこんな感じで辞めるとは思ってなかった。あれ? 何者でもなかったということですか? モブもモブ、平均的人間bot、庶民A、三國無双の兵隊の一人、だったということですね? はい、わかりました。拠点兵長ですらなかった。どうでもいい命。しかしそんな「何者かになりたい」みたいな欲求もベタで自分にイライラする。誰も何者でもないから。全員粘土だから人間っていうのは。摩擦熱だけの苦痛でしかない自慰と早茹で三分であることを売りにしているパスタの束。いつか変わると思ってた。でも何も変わらなかった。十九歳の時にやらかした失敗を三十一歳になってもまだやる。しかしそれらはあなたのミスではなく周りのせいでもある、と言ってくれた人たちすら大切にできなかった。どんどんどんどん急激に一人になっていく。物理的にも精神的にも。何かの出来事から怒りと悲しみに枝分かれした刺股は持ち手は一つで肝心な時には不審者を壁際に追いやることを利点として猛アピールしてくるくせに実際はクソみたいに弱くて役に立たない。自分のために書いてる。利用したいんだったら金か敬意のどっちか払えボケが。仕事を辞めたらもっとメイクモニする動きをするべきなんだろうけど俺はもう絶対に文字を安売りしないと誓った。プライドとかじゃない。むしろない。だからどうでもいい。どうでもいいから遠慮なく安売りしない。世界中の全員から嫌われようともともと一人だった。毎日浸かるあったか〜い湯船とは対照的に死人みてえに冷たい彼女の手首をもう忘れた。like aジャスコの跡地を満たした夕日。何もなくなったことに対する恐怖とまたここかという疲れ。怒りを歌っている安易な横移動にも怒る。寄り添えると思ってくんな。俺も思ってないからそれでいいだろナイフで裂くぞイカみてえにな

五月十四日
 もうどこの駅のホームかも覚えてないけど電車が来るのを見ていたら、一瞬、いや百年、頭がパンとなって、完全に真っ白になった。そして気付いたらその場に留まっていたので助かったが、五感の全てがシャットダウンしていたので目が覚めた時にはどのぐらいの時間が経っていたのかわからなかった。目の前を電車が通り過ぎて行く最中だったので数秒しか経っていなかったが、運だった。暗闇の中でこの線路に飛び込む誘惑と猛烈に戦ったそのほんの数秒が決め手になった。誰にも言ってないけど。それでもう無理だった。
 狂ったようにスト6のトレモに入って永遠にコンボを繰り返す。これをやっている時だけ忘れられる。しゃがみ中K→ラッシュ→しゃがみ中P→立ち中P→立ち大P→奮迅昇竜を繰り返して、そのあとは画面端でジャンプ大P→立ち中P→立ち大P→中迅雷→強追撃→中昇竜。プラチナ3になっていた。しかし好きだからやっているというよりかは依存でのプレイという感じもあり、こんなことをやっている場合じゃないのはマジでそうなんだがしかしそんなのどうでもよくしてしまうのが依存だ。数日前に終電の中央線で露出の激しいおっぱいのでけえお姉さんの横で、いかにも不良っぽい見た目をしたイカついお兄さんがでろでろに溶けた感じで抱きついて甘えていた。それはなんかとてもよくわかった。そうなるよな、いいな〜、と羨ましく思った。
 調子が悪い死にたい死にたい死にたい死にたいと言うと心配してくれたり助けてくれる人がある程度いるけどしかし全くそれらを信用するつもりがない自分がいて、これはなぜかと言うと、悲しい時に一緒に悲しんでほしいわけじゃなくて楽しい時に一緒に踊ってほしかったからだ。もう遅いんだけど。だからみんなも、自分がハッピーな時に一緒にアッパーな調子に乗ってくれる人がいたら本当に大切にしたがいいよマジで。きつい時に寄り添ってくれる人はそこそこいるけど嬉しい時に一緒に飛び跳ねて走り回ってでんぐり返しをしてくるくる回りながら喜んでくれる人はなかなかいないから。
 それらも引き連れて歩いていくのさとは思うが三十一歳を目前にして無職オワタ棺桶へGO! 竹馬の友こと落合が「生きるのってマジ簡単だよ」と何回も言ってくれる。一緒に真夜中にカスタムルームに入ってケン VS ケンで二時間ぐらい戦った。癒された。シミーの解説をしたり、こういう動きをされたらこう対策する、数字の世界、明確さしかないことへの安心としかし実生活では感情や行動に発生・持続・硬直フレームは割り当てられないことへの絶望。
 ちりにきとスリンキーとApexをやりながら話した。「篠崎愛と一緒おれたらもうなんでもええやろ」と言いはしたが、この寂寞さ、強い風が吹く草原のど真ん中に一人で立っているような気持ちにはな〜んにもだ〜れも入ってこれない。書くのつまんねえならもう辞めちゃえばいいと思う。ただ何もないのは無理。何かは必要。なんでもいいのにその何かが見つからない。短歌を書くのは「ラクショーっしょ、全員ぶち殺すわ」という気持ちで行けるのに小説だとそうなれなくなってきた。何かが噛み合ってない。大暴れしたい。とにかく。それだけ。すげえデカい声で叫びたい。とんでもない爆音を鳴らしたい。責任に対価が伴うなら一生無責任で貧乏なまま死ぬ。でもプレイヤー1「山口慎太朗」のRPGにおいて正社員というロールを経たことは良かったんじゃね? 責任に対価が伴うのは当然だとしてそれらからずっと逃げ続けることは可能だろうか。この逃走中は賞金はないくせにハンターは二億人いてみんな末續慎吾ぐらい速くてしかもテレビ放送もされない。ちゃんと貧乏なまま死ねるだろうか。ちゃんとダサいことに耐えられるだろうか。クソ資本主義ゴミ自民党政権の男尊女卑推進バカクソ体育会系カス島国で生きていくことに抗い続けるのもそれはそれでしんどいよ絶対。全てを手に入れることはできない。何かを選んだら別の何かはこぼれ落ちるサンドキャッソーでそれでも絶対に譲れない何かを見つけられたらいいな。みんな死ね♡

五月二十四日
 バスの運転が荒すぎてイライラする。

五月二十六日
 終電で改札を跨いで明日の分のチャージをしようと券売機に並んでいたら、前の女の人が一生券売機を触っていていつまでも出番が回ってこない。十五分ぐらい。何やってんだよわけわかんねえな。しかもなんかわかんなくてノロノロしてたらまだわかるんだけどずっとテキパキ操作しててますます意味わからん。十五分もさ、券売機で何をしてんの? 何? 一生分の切符を今買ってるわけ? クソババアが死ねよ。ようやくそいつが帰ってPASMOに二千円をチャージしようとしたら、目の前で機械が販売終了した。イラつきすぎてこの液晶画面を握り拳でこちらの骨が折れるまで叩き続けようか迷っていると、駅員が後ろから出てきて、立ち尽くす俺を見て明らかに無視した。当然ながらこの機械を販売終了させたのはこの駅員だ。なぜなら私は今までもこの時間にここで、この一個しかない券売機でチャージを何度もしており、だから時間によって自動的に販売終了されるとかではなく、人間の手によってそれが成されるのを知っている。つまりこの駅員は自分が早く帰りたいがためだけに俺が並んでいるのをわかっていながら販売終了させた。あいつを殴りに行こうかこの機械を壊そうかリアルに四分間ぐらい悩み、もう最近の俺はどうしたのか知らんけど別にこれで器物破損とかで逮捕とかされても全然いいやの感じだから、しばらくそこをうろうろしてあいつを殴りに行くかかなり葛藤してやっとの思いで階段を上がった。それが数日前のことで、今がいつなのかとかもよくわからん。寝てても起きてるみたいだし起きてても寝てるみたいだし、自分の中で抱えてる苦痛や絶望を誰にも言うつもりもない。ずっと嘘つきでいいもう。怒りのエネルギーが凄まじすぎて体内に留めておくのが本当にギリギリな感覚がある。心配されてもイラつくし、イラつかれてもイラつく。
 バイオリズムのアッペンダウンの中でその怒りすらもいつもみたいに文字にするのさと風に乗ってバス停の横あたりを枯葉たちと共に前へ前へと進もうと思えるシンプルな夕方もあれば目の前にいるムカつく奴の顔面をツルハシでぶっ叩いてそれで不自由になったとしても自由なタイミングでずーっと目の前の奴の顔面をツルハシでぶっ叩き続ければそれでオールオーケーじゃない? としか思えない朧げな真夜中もある。誰もが人知れず戦っている。TENTACIONがそう言っていた。液晶画面の中では誰もが美しい見た目を自慢げにひけらかして大量の金を手に入れることなんか普通ですよという雰囲気だがこちらはセブンイレブンの二個入りの煮卵を一日一個で我慢するので精一杯。それなのに半端じゃねえ時間働いて貰える手取りはラムネ一つ分の贅沢すら許さねえ日本刀みたいな厳しさだ。歪みや痛みや苦しみなどを不自然極まりないやり方で隠すそれらのようになりたいとは別に思わないが今を変えたいとは思う。ユリゲラーがいつか曲げたスプーンの一本みたいにぐにゃりと変質さえしてくれたらそれが道端で大雨を浴びるワニみたいな暮らしだとしてもそれでいい。文字を書いても何も変わらないよ。わかってる。どっかの、東京駅の、知らない、二度と行くこともないだろうカッフェで母ちゃんがこう言った。
「辞めたら終わりよ」
 俺が文字を書くことに対して。十年だ。十年、それなりに、たくさんの物語を書いてきた。だけど、それでも流石にへこたれそうだ、と珍しくきちんと弱音を吐いたら、父親は黙ってコーヒーを飲み、母親はそう言った。意外だった。世間体とか関係なく自分が好きなことをやることにとても寛容な母ではあったが、まさか「辞めちゃダメだ」的なことまで言ってくるとは思っていなかった。

五月二十八日
 雨。起きてすぐ『ダークナイト』を観る。フィルマークスを見たら2017年に「五年ぶりに観た」と書いてあった。つまり2012年ぐらいに最初に観ている。東京に出てきた年だ。その時の彼女とでも観たんだろうか。あんな大変な日々の中で十九歳の俺はこの映画をどう捉えていたんだろう。ちゃんと理解できていたんだろうか。ぼーっと霧の中にいるみたいな感じで観たんだろう。2017年は脚本めちゃめちゃ書いてた時期だから、そこら辺に対する意識がビンビンで観ていたようだ。その2017年から更に七年が経った三回目、齢三十の鑑賞は、ジョーカーに共感しまくりで、むしろハービーの顔半分火傷とコインの裏面が焦げてるのを合わせたり、ダークナイトが「夜明け前が最も暗い」と「暗黒の騎士」の掛け言葉になってたりとか、そういう小道具・技術的な側面に対してはむしろ冷めるというか、はいはい、うんうん、まぁまぁ、そうやれば上手い感じになるよね、はいはい、と割とどうでもよかった。それよりもとにかくジョーカーのブチギレ具合、ノーランの魂的な部分が見える時の方が上がる。
 暗い部屋の真ん中で「何もやることがない」と思う。全てが退屈で無意味だ。やることはいっぱいあるはずなのに。なぜここまで書く気にならないのかを考える。書いてて楽しくないことを書こうとしているからだ。そういう業務的な態度で取り組むことでしか出てこない硬質さみたいなのはあるだろうけど、別にそんなん望んでなかった。成長の途中でいつからか仕事として書く意識は確かに強まってきている。でも誰かに頼まれているのかと言うとそうではないし、自分がハイゲインで超高音がキャンキャン歪むあのジャズマスターみたいな威力を放てるのは書いてる俺が楽しんでる時だ。それでScrivenerを開いた。プロットは当然物語内容に沿って区切ってあり、全部で十四ブロックあった。全体を通して「ジュリアン・ラージの曲を弾けるようになるのを目指す話」と一言で説明できるその簡潔さはこれで良い。しかし一個一個のプロットポイントに対して「何を言いたいの?」と問い詰めると意外と答えが返ってこず、これに返答していくことが大事だと考えた。現代文のテストで「ここで作者の言いたいことは何でしょう」という問題がよくあったが、あんなもんはどうでもいい、太宰が本当に言いたかったことなんて太宰と仲良くならないとわからない。いや、仲良くなってもわからない。それは無意識下に強く刷り込まれていたようだった。しかし一旦それから逃げずに、ちゃんと答えていく。一個一個のシーンに、物語としての機能とか役割と無関係で、山口慎太朗が何を書きたいのか、どう楽しみたいのかを書いていく。作者が物語のハンドルから手を離している状態が好きだから、こういう風な介入をしたことがなく、だからそれは意外な切り口というか、基本的すぎるが故に舐めていた取り組み方だった。しかしその作業を経てこの物語のことが本当に好きになり、プロットポイントが二個削れて十二個になった。これは、もっと早く気付くべきだった。そしてそれと同時に作者が物語から手を離している状態に至れるまでの遠さも思う。やってる人達ほんと凄いんだな、と。あまりにも遠い。俺はまだそんなレベルじゃないからまずここから始めないと。自分の言いたいことが見えたらそこに向かって進めばいい。冒頭からリライトしていく。しかし今まで書いてきた文字も無意味ではなく、足したり引いたりしながら進めた。楽しさがちょっと戻ってきた気がする。これならいけるかもしれない。最後まで書けるかもしれない。今までこういう基本的なアプローチをやってこなかったから気付いてなかったが、「こういうシーンを書きたい」「こういうことを言いたい」を出発的にそれを物体や出来事に置き換える能力がかなり高くなっているようで、これはきっと短歌を書くようになったからだ。作者の意図がストーリーより先行するのを大変に嫌っていたが、俺はこれをできるようになっていた。というよりこちらの書き方の方が得意っぽい。なぜか今さら気付いた。短歌を書きながらそれらの思いの全てを物体に託してきたからだった。溶けた残滓が根元にたらふく溜まった汚い短い蝋燭に小さな炎が灯るとき。
 真夜中に「もう一本映画観ちゃお」と言って『グリーンブック』を観た。

五月二十九日
 白くて透明な結束バンドで結いた自律神経の束の先端が線香花火みたいに爆ぜて煙を上げながらパスパスと鳴った。鬱病の人のほとんどが病前の自分にはもう戻れないと言っていて、それがもう本当にわかりすぎて、希死念慮と怒りにここまで浸された体はチョコレートが染み込んだ食パンみたいだった。そこからチョコを抜くのはもう無理だが、さらピンの食パンと一緒に食ったり、フルーツと一緒に食ったりすることで少しマシにはできそう。
 心療内科を調べる。高円寺にもいくつかあったのでそれらのホームページを見る。ひと段落したらここに行こうと決める。
 眠れない体を引き摺り下ろして早朝の青梅街道を彷徨う。日光を浴びろ、と落合から言われていた。とにかく生活リズムを人間寄りに安定させるのをまず目指さないと、これはどんどん下向きの螺旋階段に呑み込まれる。知らない路地裏に入る。知らないな、忘れないだろうな、と思う。こんな気持ちでこの道を歩いたことを。価値の洞穴に迷い込んだ俺は暗すぎる谷底に向かって猛スピードで背中から落ちながら髪の毛が全部上に向かっていくのを感じている。あとどれぐらいの時間で背中が地面にくっついて死んじゃうんだろうか。それは永遠にも感じられたしもうすぐにも思えた。
 散歩から帰ってくると溜まった食器を洗い、洗濯機を回し、髭を剃り、歯を磨き、洗濯物を干し、洗濯二回戦を回し、ペットボトルや缶やらを捨てに行き、部屋中の窓を開けて掃除機をかけ、洗濯二回戦を干し、それでもまだ朝だ。爽やかな朝やん、ええやんええやん、と思われるかもしれないが実際は苦痛にまみれた体で行われた。この苦痛を取り除くためにはこうするしかないだけだった。足元がふらふらする。
 気付いたら夕方で、窓を開けて外を見る。窓を閉めたまま日光を浴びても意味がないらしい。朝に干した洗濯物たちは乾いていた。無茶苦茶になった生活リズムと寝不足によって頭が割れるように痛い。毎日終電で帰宅して三時には寝て十時とか十一時に起きるリズムを保てたら最高だ。難しいだろうな。
 帰宅してコタローと電話する。コタローが「上京してきて一番つらい」と言って、「同じです」と返した。日下部も西上も大変そうだ。誰もが人知れず戦っている。コタローと話している間ずっと泣きそうだった。それでも泣かなかったのは、本当の意味で言葉を介してお互いに寄り添えた時間だったからだ。マジでありがとうと言った。「誰にも言ってないんだけど、心療内科行こうと思っててさ」と言うとさらっと「あ〜、いいんじゃない」みたいに流してくれた。「電車がホームに入ってくるの見てたらぱーって真っ白になっちゃって」と言ってもコタローは別に引かなかった。シネマートで働いてた時に戻りたいね、と言い合った。電話を切ってすぐにベッドに入る。このメンタルヘルスと壮絶な戦いを繰り広げて勝ち誇ったところで意味がない気がしてきた。というか勝てるわけがない。打ちのめすことを目指すのよりも呑み込んで上手いこと手懐けることを目指すべきなんだろう。それもまた戦いだ。そういう戦いだ。

五月三十日
 三時間ぐらいで目が覚めてしまう。仕方ない。短パンとTシャツに着替えて腕時計を着けて外に出る。そして早朝の高円寺を走り回る。時計をちらちら見ながら二十分で自宅に戻ってこれる塩梅で走る。そんなに気持ち良くはない。でも自分が少しでも良くなろうと動いているだけで何もしないのよりもマシなのかもしれない。帰宅するも、若干の吐き気というか気分の悪さ。いきなりにしては走り過ぎただろうか。しかしジョギングは雨の時はできないし、あんまり長続きできなさそうだ。散歩の方がいいかもしれない。シャワーを浴びてまたすぐに寝て、また三時間で起きる。コタローとの昨日の電話を思い出す。自分が調子悪いとき周りのみんなも調子が悪いのはなんなんだろう。今の日本で生きる同世代の人たちは俺と同じような苦痛を抱えてる人が多めなのかもしれない。働きに向かうバスの中でTENTACIONを聴く。誰もが人知れず戦っている。

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